八木詩葉.1


 天真爛漫にして明朗快活。

 同級生という、極めて薄っぺらな関係性の基。実際…というより詳細についてはひとまず置いて。八木詩葉やぎうたはに対しての率直な印象を簡潔に述べるならば、この二語に尽きる。そしてまた彼女は、兎角美しいと言う言葉を体現し続ける様な人間でもあった。

 人の美観とは、何も造形としての容姿のみに限られない。一挙手一投足、彼女の常日頃の所作の諸々に、それは如実に滲み出していた。

 いついかなる時も背筋を伸ばし、顎を引き。胸を張って歩くその姿には、少女然とした幼さあどけなさに起因する可愛らしさとは隔絶した高貴さがあった。


 こんな人間がいるのか。

 芸能や芸術界隈では無い。地続きの日常、特別とは縁遠い我が身を取り巻く現実の世界に突如姿を現した彼女と言う存在は、最早殆どカルチャーショックに近しい衝撃をこの身に与えた。

 それでいて。彼女はとにかく人懐っこい性質の人物でもあった。ありがちな言い回しになるが、誰とでも分け隔てなく接し。可憐というより美麗に寄ったその風体からはいっそ似付かわしくないとすら思えてしまう程の屈託ない笑顔を振り撒く。彼女の周りにはいつだって人の姿があったし、その中心はやはり彼女だった。人好かれ、とでも呼べば良いか。上級生、同級生、教員連中…とにかく誰も彼もから好かれている事が、周囲の人間の様子から窺い知れた。


 そんな彼女…八木詩葉が、苦手だった。


 嫌悪や厭忌ではない。ただ漠然と…人間としての完成度の高さが、何故か無性に気色が悪く感じられて仕方がなかった。

 とは言え、ではそれがさしたる問題かと問われると、実のところそんな事もなく。根本的に住む世界が違いすぎてそもそも接点なぞなく。必然、初見時に感じた以上の感情を抱く契機そのものがなかった。そしてそれは永く、揺るがない距離感であるという確信もあった。


——だったの、だが。


「………」

 登校道中道すがら。学舎まであと三分。昨日と同じ公園に、八木詩葉の姿があった。友人などの取り巻く者はなく、ただ一人で。

 ぽつねん立ち尽くす、という表現は相応しく無いだろう。手持ち無沙汰の身にあって、しかしその体躯は凛と立ち誇っている。松葉杖をついていながら、それでもしゃんとしている辺り、まぁ全く生粋なのだなぁ等とぼんやり考える。彼女が立っているだけで、辺鄙で閑散とした公園ですら、なにやら一つの舞台上の様に見えてくるものだから本当に大したものだ。だが、やはり松葉杖自体はどうにも不便ではあるらしい。肩掛けの通学鞄が時折ずり落ち、それを持ち直すのに悪戦苦闘している様子が見受けられた。

 と。その視線が僅かに揺れ、こちらの姿を見付ける。見付けるや、ぱっと笑顔が咲く。

「おはよっす」

しぴっと、手を挙げる。そしてひょこひょこ、松葉杖をついてこちらへと歩みを進め始める。

「いい、いい、いい。ちょっと待って」

 慌てて、こちらから八木の方へと駆け寄る。昨日も思ったのだが、怪我人の癖にアクティブだな、こいつ。

「これ、なれなくてさー。ひょいひょい進めなくて嫌になっちゃう」

 歩みは止め。恨めしそうに松葉杖を睨め付ける。それは、杖ついて颯爽と駆動できたら世話無い話なのだが。

「使い熟すまで、まだしばらくかかりそうだなぁ…」

しげしげと松葉杖を手遊びながらごちる。松葉杖を使い熟すってなんだ。

「怪我人なんだから仕方ないだろ…で、どうしたんだ。人待ち?」

 時折見かける彼女の登下校の姿。その影が一つ限りだった事は、記憶の限り一度もない。常に複数人の友人と行動を共にしている印象が強い。故に、そもそも今現在…久世阿儀人くぜあぎとと二人きりと言うシチュエーションこそが異常であり、そして恐らく傍目から見ても異様な光景であろう事は間違いがなかった。…こんな場面を、彼女のご学友にでも目撃されようものならば…想像しただけで具合が悪い。

「うん、人待ち」

 要はとっととこの場を立ち去りたいのだ。ならば無視するか、つっけんどんにあしらってしまえば良いのだが、そう出来ないのかしないのか。自らの内心も判然としないままのこちらを、八木の手が指し示す。

「久世君を、お待ちしておりました」

「……」

 閉口。

「…ちなみに、どう言ったご用件でしょうか」

「え、嘘でしょ」

 八木が目を丸くする。そんな反応されたとて、思い当たる節など………いやまさか

「するでしょ、作戦会議」

にやりと。似合もしないニヒルな笑みを浮かべながら、そう言った。嫌な予感程良く当たるものである。

「…マジでやるのか、犯人探し。俺はてっきり…」

「それは勿論、やりますとも」

その場のノリで放り投げた言葉だとばかり思っていた。そんな言葉をみなまで言わせぬとばかりに、悔い気味の肯定が。アクティブ過ぎる。

「昨日一晩考えてきたんだけどさ。ほら、犯人は現場に戻るって言うじゃん。だから今日からあそこの階段のトコで張り込みするっていうのはどう?」

 安い刑事ドラマの見過ぎだろ。そんなひょいひょい犯人が戻ってきてたまるか。

「提案有難いけど、そもそも校内の階段だぞ。犯人どころか、一日に一体何人の往来があるって話だ。戻ってきたところでわかりゃしないだろ」


 そう。事が起きたのは動線の渦中、本来的に衆人環視の只中。無人の間隙を縫って行われただけの、極めて大胆な犯行。

 八木の顔を盗み見る。割合自信があったらしい、秘蔵の策をあっさりと否定されて幾分かしょぼくれている。しかしながら、そこに映る落胆は心底からのものではなく、昨夕の様なただならぬ悲壮感は感じられない。その表情に僅か安堵を覚えながら…その表情が再び、この世の終わりを迎えたが如く暗く沈み込む様を想像して、躊躇う。

 ——わかっているのか。外界と隔絶された、学校という閉鎖空間。その密室に、突如不可解な人間が紛れ込むだなんてこと、そうあるわけが無い。だとすれば、犯人とは或いは——


「——なぁ、やっぱり——」

「わ、やば、時間っ」

 言いかけた言葉は、八木の声によって掻き消される。改めて言い直す事もやや憚られたので、何をか誤魔化すようにスマホに目を落とす。確かに、時間はどうして中々に渋い頃合いとなっていた。

「続き、また後でにしよ」

 言いながら、八木がひょっこひょっこ歩き始める。…まさかこの件、まだ続くのか。

 まぁ。とりあえず、この場が収まった、それ自体は喜ばしい事。後は何某か理由を付けて、八木と登校のタイミングをずらしてやればいい。いくらなんでも次から次にあらぬ嫌疑を掻き集める趣味はない。


「え、どこいくの?」

 学校とは反対へ。踵を返し歩き始めた所を呼び止められる。

「あー…忘れ物。取り帰る」

 とんでもない大嘘である。が、言葉を受けた八木はと言えば、その内容それ自体を疑る気配もなく。

「遅刻しちゃうよ?」

当たり前の心配をしてきた。…正直これについては全く、彼女の杞憂でしかない。自慢じゃないが、一度二度の遅刻程度が問題として取り沙汰される程の素行はしていない。…。…マジで自慢にならんが。

「そっか。じゃあ、また後でね」

 …放課後は早々に帰ろう。巻き込まれ事故の未然防止策として強く決意を固め、その場を後にする。



「あ」


 ばさり、と。八木の肩から通学鞄が落下する。一瞬にして土埃に塗れうっすらと煙っぽくなった鞄を見下ろしながら、八木が項垂れる。

「リュックで来るべきだった…っ!」

そりゃそうだ。

 ふと見やると。鞄を掛けていた左肩の肩先が、うっすらと埃で白くなっている。どうやら、鞄の滑落はこれが初めてと言うわけではないらしい。

 体を窮屈そうに屈めながら鞄を拾おうとして…しかし上手くいかずにまごついている。絶妙な鈍臭さである。


 天真爛漫明朗快活。その鈍臭ささが、美しいを体現し続ける人物だとばかり思っていた人間も、等しく同じ世界の住人である事の証左である様に感じられ、よくわからぬ安堵を覚える。と、同時に。そんな姿は見なければよかったとも思う。


「杖、浮かせて」

「わ」

 ひょいと。鞄を手に取り、浮いた杖と地面の隙間を通してそれを救出する。ぱたぱたと軽く叩き、土埃を落とす。…些かキモいか、とも思ったが。それでも、あんな姿を見せられてしまった以上、無視してすたすた行く訳にもいかない。


「学校まで…あー…お持ちしましょうか?」


持つよ、などとキザったらしい言葉は無念にも姿を表さず、妙にへりくだった物言いになってしまった。

 これがどうもツボだったらしく。八木が若干噴き出す。…もう一回埃まみれにしてくれようか。

「でも、忘れ物はいいの?」

 良かない。主として、順当にいけば白日の下さらされる、この身の受けるであろう嫌疑について。

 …それでも。


「忘れて、なかった。大丈夫」


 中々無理のある話だ。そんな、些か無茶苦茶な言説を咎めるでもなく。

 一つ、こほんと小さく咳払いをしてから。

 

「お願いしてもよろしいでしょうか?」


 口の端に、イタズラっぽい笑みの残り香を色濃く映しながら。しゃなりと、ダンスの振り付けの様にたおやかに腰を折ってみせた。 そんな姿に全く、よっぽど、溜息の一つでも吐いてやろうかと思って、やめておく事にした。

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