起.久世阿儀人

【うそつき人形】と『舞台の少女』


 学校というのは、かくも狭いコミュニティだ。それは何も物理的な行動半径に依らず、その内外において構築される人間関係の限定性において、尚一層際立って。


 文武ともに秀でるでもなく、他校と比較しても特筆すべき特色を有さぬ公立校ともなれば、そうした風潮も一際。物知らぬ無知な学生諸兄については皆一様に、擬似的に外界と分断されたその狭い世界で青い春を謳歌する。まるで自身が置かれた場所こそこの世界の全てであるかのような面持ちで。

 そんな事なので。演劇部の期待の星、八木詩葉の転落事故の件というのは、大方の予想通りあっという間に周知の事と相なった。それも…八木自身とは特に無関係に…ある種のスキャンダラスさを孕んだ、酷く醜悪な様相を呈して。

 伝聞の足は早い。狼煙が上がるよう立ち広まった気分の悪い噂は立ち所校内に充満し、二、三日もすれば最早教員の耳にすら届く程拡大しきっていた。そんな辺り、皆中々刺激に飢えていらっしゃるのだろう。

 とは言え所詮は他人事。熱心に事の真相に執心するだけの熱量があるでもなし。そも縁遠い校内の人気者の安否なぞ、久世阿儀人くぜあぎとの生活には一片の関わり合いもないのだ。


 と。我関せずの体で静観出来ていたのは、しかし僅かな間だった。


 違和感に気付いたのは今朝。教室内で複数の視線を強く感じた。侮蔑の目線に慣れていないと言えば嘘になるが、それにしたってこの日向けられたそれらは余りに露骨。殊更思い当たる節もなく、眉を顰めては首を傾げるばかりであったのだが。放課後、呼び出しを受けて向かった職員室にて。担当教諭との会話で、視線の原因については詳らかとなった。


「足を踏み外す寸前、なにかしら体を押された…と八木が言っていてな。わかっているとは思うが、あの時間帯あそこにいたのは久世、お前だけだったな」

 あー、と。仔細一切合点がいった。

「なに、別にお前を責めようって話じゃない。あくまで事実確認の一環として、だ。だが、故意ではなかったにしろ、そうした事実があったなら…筋は通さんといかんだろ」

 なんともまぁ回りくどい、歯に物が挟まった様な物言い。これなら真っ向から「お前を疑っている」と明言された方がまだ気持ちがいい。…内実は正に、その通りの意図ではあるのだろうが。

 結局の所。昼間教室やらで感じていた視線、その諸々が今伝えられている疑惑に基づいているであろう事は想像に難くない。同じ空間内に不穏当で陰湿な異常者がいるとなれば、あれら猜疑の眼差しについても、まぁ仕方がない事と思う。

 しかしながら。嫌疑を掛けられるのは結構だが、生憎とそれに応えられる事実は持ち合わせてなどいない。とは言え弁明が聞き入れて貰えるかどうか、状況的にも些か微妙なところ。

「はぁ」

 曖昧に濁す…というよりそれ以外の応対が思い付かず、我ながらなんとまぁ気の抜けた声ばかりが口を吐く。それがよくなかった。

 だん、と。担当教諭がデスクを拳で叩き、怒りと苛立ちを明示する。

「お前なぁ、一歩間違えれば怪我だけじゃ済まなかったんだぞ。高校生にもなって、そんな当たり前の想像すら働かんのかっ」

 有難い御言葉だことで。ただし残念。言うべき相手を丸っ切り間違えているけどな。

 不用意に神経を逆撫でする趣味など毛頭ない。なんなら、大した話でもないのであれば罪ごとふっ被って事を収めるもやぶさかではない。しかしながら、今回は事が事。停学程度ならまだしも、退学なんて話のオチはいくらなんでも避けたい。

 妙案が閃くでもなし。逡巡成す沈黙をどう解釈したのか、御高説が続く。

「お前と八木の間柄は知らんが、事実があるなら素直に認めて、誠意を込めて謝罪をしろ。許しを請うも、意見を言うのも、全部それからだぞ」

 教育者の鏡の様な言説である。だから言う相手間違ってるけどな。

 殆ど眩暈に近しい感覚に苛まれる。これは一体、どういう応対が正解なのか、ひたすらに頭を悩ませる。悩ませて、悩ませて。されど口から漏れ出すのはやはり

「はぁ」

空気の抜けた様な、丸っ切り間抜け極まりない声ばかりなのだった。


———


 疑わしきは罰せず。

 現状明確な物証があるでなし。確たる判断材料が存在しないと言う一点のみを以って、本日の所は釈放と相なった。結局素敵な御高説は向こう一時間ほどに及んだのだから、担当教諭の教育意識の高さには脱帽する。まぁ、一歩間違えずとも普通に犯罪案件なのだから、ある意味それはそうだと言う話なのだが。

 畑の案山子よろしく、延々棒立ちを決め込んでいた全身には、なんとも倦怠感を伴う疲労が蓄積されていた。なんなら最早後先考えず虚偽の自供と洒落込んで、そそくさ家路に着いてしまえばよかったか。

 溜息を一つ。今後の協議の推移にもよるが、早い所身の振り方を考えておいた方が賢明かもしれない。退学者の選定基準でも調べておくか…。

 スマホで、想定される最悪の未来に向けてリサーチを開始しつつ、正門へと差し掛かる。

 夕景は茜。西日の強さに目を細めながら、視界はスマホの画面へ。歩きスマホは良くないだろうが、今日くらいは勘弁願いたい。


 ふと。視界の端に、黒く伸びる影が一つ。立ち止まり待ち構えるその影は、正しく自身の正面に陣取っていた。

 …この期に及んで追加の言及はご遠慮したい所存。せめて明日にしてくれ、と。内心でごちりながら顔を上げる。上げて、思わず目を見開いた。立っていたのは、ある意味教師連中よりも予想外の人物であった。



「———よっす」


 西日を背に。軽く手を挙げ、声を。同じ話題の渦中にありながら、本来決して邂逅しないであろう人物…八木詩葉が、そこにいた。

 松葉杖に預けるその右足には厳重に包帯が巻かれており、見やれば見るだけ痛々しい。

「は?——ぉ、ぉぅ」

 クソが声上擦った。みっともない事この上ない。

「……おっす」

 一度小さく咳払いをして、さも何事もなかったかの様に挨拶をやり直す。果たしてこの見栄にどれだけ意味があるかは、全く不明だが。

「長かったね、職員室」

「あー…まぁ」

 会話がぎこちない。それもその筈、八木とは同じクラスではあったが、まともに言葉を交わすのはこれが初めてだ。挙句、その切掛なぞは到底和やかならざるもの。寧ろ、何故わざわざ声をかけて来たのか。理由は想像も付かない。…よもや。辺りを素早く見回す。そんなこちらの様子が奇怪だったか、八木がこてんと小首をかしげる。

「どうしたの?もしかして誰かと待ち合わせてた?」

「いや…」

 取り巻きを引き連れて報復に来た、なんて事であれば大事である。が、我ながら頭の悪いこの妄想は杞憂であったらしい。周囲に他の生徒他の姿は皆目見当たらない。…いや、当たり前か。しかしだとすれば、一体どういった思惑で声を掛けてきたのか。

「………」

 どう控えめに見繕っても、碌々碌な話でもなさそうだ。可及的速やかにこの場を離れる事としよう。

「それじゃ、また…」

 またっていつだよ、とつまらないツッコミを内心自らに叩き付けつつ。踵を返して立ち去ろうとした、その出鼻を

「え、待って待って待って」

勢い良く挫かれる。疑問符を頭の上に乗せ、改めてその顔色を窺う。

 逆光やおらに、影に呑まれたその顔に厭憎いといにくむ様子は見られない。その代わりとして浮かぶのは、僅かばかりの思案の色味。考えあぐねる事暫し。数瞬の沈黙の後、何故かサムズアップで一言。

「ぉ、お茶しない!?奢っちゃうよ!」

昭和のナンパみたいな、大層いかがわしい誘い文句を口にした。


———


「はい!どうぞ!」

 正門から歩く事三分。公園とは最早名ばかりの、区画された小さな空き地。申し訳程度に設置された滑り台とベンチが、この場所を辛うじてその名を冠するに相応しいのだと誇示していた。

 渡されたコーラを受け取りながら、しかし未だ状況の把握はままならず、一先ずほぼ脊髄反射だけで頭を下げる。

「ありが、とう」

 ベンチの端に腰掛け、缶を開ける。その内側で鳴る、炭酸の弾けるくぐもった音ですら響きそうな色濃い静寂の只中。ぎしり、と。古めかしいベンチがもう一度軋む声。同じ様に逆端に腰を掛け、八木もまた一口、コーラを喉元へと流し込む。その横顔を…何故だか僅かに息を殺して…見やる。


 外見の美醜が評価に直結する。演者というものがそんな単純な物でない事くらい、演劇などとは縁遠い自分でもわかる。それでも『期待の星』などと大それた看板を背負わされるだけあるものだ、と。その容姿の秀でる様に、場も弁えず舌を巻く。

 華奢ではあっても線が細いわけではない。全身の輪郭からですら自身を誇示するが如き存在感を放つ。顔立ちについては言わずもがな…鮮明に鮮烈に光を照り返す虹彩、長いまつ毛。肩口まで伸ばされた艶やかな黒髪はローポニーで一つにまとめられ、その毛先は緩くカールしている。あどけなさを伴うその風体がしかし、妙に大人びて見えるのはその髪型故なのか、などと。俯瞰すれば頭が痛くなるほど気色の悪い考察が脳裏を掠める。

「あー…」

 それほどの容姿である。尚のこと、その右足に巻かれた包帯はまさしく異物以外の何物でもなく。大きな世話は百も承知で、傷の程度に気を揉んでしまう。

「体、大丈夫だったのか?いや、大丈夫ではないんだろうが」

 言った側から否定を交え、問い掛ける。問い掛けながら、果たして一体どの口で、とも思う。

 疑わしきは罰せよ。真相はさておき、当の被害者本人の視点から見た今現在の自身が容疑者筆頭であると言うのは、紛れもない事実。嫌疑晴れやらぬ今、この身が放つ憂慮の言葉のなんと空虚な事か。

 当の八木はと言えば。少なくとも表面上、そうした不信はおくびにも出さない。

「だいじょばない…けど、大丈夫。軽い捻挫だから、本当はこんなガチガチに巻かなくったって平気なんだよ。痛いには痛いけど、ほら」

 ぱっ、と。松葉杖を脇に置いてひょいと立ち上がって見せるその姿に目を丸くする。

「わか、わかった!わかったから!座っとけって!」

 思いの外デカい声が出た。自分でも驚いたが、その矛先である八木に至っては最早呆気に取られたと言っても過言ではない程の様子。幸い言葉自体はすんなりと受け入れられ、ストンと座り直す。

「…ご、ごめんなさい」

バツが悪そうに項垂れる。その様子に申し訳なさが募る。こちらはこちらで、随分と居心地が悪い。

「…まぁ、大事ないみたいでよかった」

苦し紛れに口にする。…今一調子が狂う。

 しかしいい加減、目的の分からぬまま拘留されていることに対しての疑念も甚だに。話題を逸らす意味も含めて、それらの疑問を言語化する。

「…それで、用件はなに?」

 言われ…問われた八木の表情が急転直下深く曇る。その様子に、若干乱されていた思考が冷静さを取り戻すのを感じる。

 目的不明、なんていうのはとんだすっとぼけだ。前後の脈絡を考えれば、呼び止められる理由なんてものは一つしかあり得ない。

 すなわち、嫌疑。明け晴れぬ疑惑の、その真偽を問いただす。それ以外に、設けられたこの場に意味など無い。

 最も。あまつさえ負傷の身でありながら、当の本人と一対一で話す場を持つというのは、全く警戒心の欠如と評する他ない。…いや、或いは何処からか監視の目があったりするのか?

 むしろこちらの方が猜疑心に苛まれ始めた頃合い。見計らった訳でもないだろうが、八木が口を開いたのはそんなタイミングだった。

「噂話…を聞いてさ。その、久世君が聞いていい気分がする話じゃないんだけど…知ってる、よね。その…この、怪我のあれで…」

「あー…」

 知っているし、切り出されたこの話題自体も最早想定内。…だったのだが、何故か妙に歯切れが悪い。勿論、加害者との直接対峙というシチュエーションを鑑みればそれも無理からぬところではあるだろう。ただ、八木の言い淀み方は、そうした恐怖や敵愾心とは別種のものである様に見受けられた。

「耳には、したな。確かに」

「そ、そかそか。それはそうだよ、ね」

 またしても言葉が途切れる。不可解なのは、その沈黙がやはり、こちらに対しての悪感情をまるで内包していない事。更に言えば、その表情。眉を落とし、目線がふらふらと彷徨う。それは確かに——後ろ暗さを抱え込んだ人間のそれだった。

 困惑に拍車が掛かる、その刹那。不意に、意を決した面持ちで顔を上げ、八木が真っ直ぐ体ごとこちらへと向き直る。


「ごめんなさい!私のせいで、久世君に凄い嫌な思いさせてるよね、今」


「——んん?」


 これは———正直予想外の発言だ。

 咄嗟に言葉が出ず、沈黙を持って応える。そんなこちらへ、理由のわからない謝罪は尚続く。

「先生も友達も…皆、久世君が私の事押したんだって言ってて…そうじゃないんだよって説明しても、なんか皆信じてくれなくて…」

 雲行きが怪しい。なんだこの流れ。と、見やればじわりと、その大きな瞳に薄らと涙すら浮かべている。

「や、それは別に八木…っさん、の責任とかでは…単に俺の素行の問題であって…」

 そこまで言って、はたと気付く。彼女は今、随分不思議な事を言った。

「…確認なんだが、押した相手の姿は見てないんだよな?」

 こくり。しょぼくれたまま沈黙を保ちつつ、八木が頷く。そうだとすれば、やはり言葉は妙だった。

「だったら、友人や教諭方の言葉のが余程真っ当だと思うのだが。否定の根拠が弱いというか…」

 信頼関係が前提にある否定ではない。

 構築済みの関係性があればこそ、不遜な行動の反証たり得る。当たり前だが、自分と八木の間にそんなものはない。状況証拠を覆すに足るだけの何かなど、互いの間には何一つとしてない。で、あるならば。彼女の友人達の言葉というのは、やはり真っ当なのだ。

 だが。これに返される八木の言葉は、またしても不思議な物だった。


「だって久世君じゃないじゃん。絶っ対」


 なんなら、こちらの言葉の真意こそはわからないと言った風体。沈み込んだ表情が一点、本当に理解が出来ていないといった様子であった。

 …頭が痛くなってきた。

 徒に嫌疑をかけられるのには、時折実害が伴う。故に、あからさまな冤罪等は出来るだけ遠慮したいという気持ちはある。だが、それはそれとして。こうもなんの根拠もなく無条件にそれを否定されるのも、同程度には気不味いものがある。

「友達が、このまま行けば久世君退学になるだろうって。さっき呼び出されたのもきっと、その話だよね。なんとかしなきゃって思って、でもどうすれば良いかわからなくて…」

 実際の状況より、噂話は幾分先の方まで話が進んでいるらしい。これはいよいよ路頭に迷う心構えを整えておいた方が良いだろうか。

 だが、それもまた、それはそれ。

「…押されただなんて、言わなきゃ良かったのかなって——」

「そんな事はない」

より一層沈痛の色味も濃く、伏せかけられたその姿に否定の言葉を。

「被害を被った側が何某かの為に偽って、嘘を吐いて、後ろめたさを感じる必要なんかない。それが例えば誰かの為だとしても、そんな嘘吐くべきじゃない」

これだけは、はっきりと否定しておいた。


 本心はわからない。

 実際の所、八木詩葉について俺が知っている事なんてのは皆無に等しい。だが、額面通り言葉を受け取るならば。彼女は今、感じる必要のない罪悪感・後ろ暗さに苛まれている。何を以てこの身が加害の主ではないと断じているのかは定かでないが…少なくともそんな事の為に、彼女が心を痛める必要なぞ毛頭無い。

「そも、八木さんが押されたのは事実なんだろ。今後同じ事が起きないと絶対に言えないんなら、疑われた人間はちゃんと処分されないと。それが別の誰かへの牽制にもなるだろうしな」

 ……言葉と、今まさに眼前にある姿が真実なら。きっと彼女は善良な人間なのだと思う。なら、その心を疑わしきに遣うべきではない。何故なら人は結局のところ———



「——まぁ、あれだ。ともかく、八木さんが気にする必要ないって話だ」

 思考が。今思い悩む必要のない領分にまで及びそうになり、慌てて頭を振り考えを打ち消す。代わりに思い浮かべるのは、今後。

 見せしめの人身御供、とまではいかないが。身に覚えのある罪によって厳罰に処される何者かの姿を見受ければ、あるいは今後の再犯抑制に貢献し得るかもしれない。そう考えれば、退学になったとしても、あながち全くの無意味でもないかもわからない。

 と、言うのはあくまでこちらの思考。対する八木はと言えば、この言葉には些か賛同しかねるらしく、重苦しい空気を纏ったまま項垂れ続けていた。

 弱った。会話の解決策、落とし所が見つからない。このまま延々落ち込む姿を見続けるのも精神衛生上よくない。かと言って、消沈する彼女を責めるのもてんで御門違いな話。悶々、ついにはこちらも困り果ててしまい。殆ど何も考えなぞ纏まらないまま、口を突いた


「他に誰か、自分がやりましたーって名乗り出てくれると話は簡単なんだけどな…」


その一言が、余計だった。


 しまった、と。思う間も無く

「……やっぱり、そうだよね」

八木の表情を支配していた曇り空が晴れていくのを垣間見る。


 これは、良くない流れだ。全く以て言う必要のない言葉だった。悔恨はしかし時既に遅く、八木がぱっと顔を上げて


「探そう、犯人」


全く。全く、とんでもない事を口走った。


「いや、それは…」

止めておこう、と。食い止めるいとまもなく、みるみる八木の表情が強い決意の熱を帯び始める。

「ホントはそういうの、あんまり良くないのかと思ってたんだけど…やっぱりそういう事する人がいるって言うのは怖いし。その人が誰かわかんなくてうやむやのまんま、久世君が犯人扱いされたまんまなのはもっと良くないと思うし」

「いやいやいや、待てって。そんなの教員連中に任せておけば…」

いいだろう、と。言いかけた言葉を、小刻みに震える手を見て、飲み込んだ。


 その考えは、既に彼女の中にあったものであったのだろう。淀みながらも迷いのない口振りが、既に踏み越えてきたであろう逡巡を感じさせた。

 八木は、傍観者ではない。傷を負わされた張本人だ。本来加害者などとは一番縁遠く在りたいのは、彼女なのだ。その提案は自分の為でなく…久世阿儀人の為のものだった。

 大の大人だって気持ちが悪く、恐れを禁じ得ない。ついこの間まで中学生だった彼女がこの提案を選び取る為には、一笑に付すなど到底出来ないだけの勇気が必要であった筈なのだ。

 だとしても。問題はその決意ではなく、現実の方にある。

「探すったって…どうやって?問い掛けて名乗り出る、なんて事はないぞ、多分」

 むぐっ、と。八木が押し黙る。…考えてなかったな、こいつ。

 熟考に次ぐ熟考。それで妙案が思い付くなら世話無い訳で。思い至らぬ作戦については一先ず棚上げにして

「それは〜…今から考える、から!

久世君も手伝って!」

勢いで頼み込んできた。えー…。

「久世君てほら、なんというか…賢そうだし!私じゃ思い付かない様な作戦?とか、久世君なら思い付くんじゃないかなー、なんて…」

 公立校なんだから、頭の出来は大差ないだろうに、とんだ無茶を言う。

「なん———」

で、と言うこともない。そもそもは俺の問題なのだから、そうなればこの身が何もせずに静観している方が余程不自然ではある。勿論全く全然これっぽちも気乗りはしないのだが。


 それでも。断ろうと思えば断る事は出来たし。そんな探偵ごっこのままごとみたいな行為に付き合う義理なぞないと断ずる事だって出来ない訳ではなかった。にも関わらず


「———だめ?」


 茜に照らされる、涙の名残で潤んだ瞳。ちらりとこちらを覗き見るその顔に、ほぼ完全に反射で


「———だめ、では、ない、です…」


しどろもどろ、血を吐く様に応えていた。

 八木が、満面の笑みを。何が起ころうと、既にその身に起きた惨事を鑑みれば何一つ吉報なぞではない同意に。それでも、目を見張る程に華やかな、大輪の笑顔を浮かべた。…きっとこいつは将来、少なくない男の人生を掻き乱す。賭けてもいい。




 これが、最初。

 八木詩葉と久世阿儀人。

 縁もゆかりもなかった二人の、奇妙で珍妙な、期間限定の同盟が結ばれた…これが、最初の日だった。

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