第三十五話「見舞い客たち」

 高熱によって朦朧となった意識の中で、琴音は自分を悩ませる様々な苦悩を次々と目の当たりにした。憂鬱の総ざらいと言ってよかった。


 やがてその脈絡のない苦しみの去来は一つの不安に収斂されていった。それは歌羽とのことであった。


 無意識は歌羽との関係についての悩みを琴音に課した。それは決して一番の悩みというわけではなかった。だがどういうわけか、そのことばかりが頭に浮かぶようになった。苦しい意識はそのことに集中し、焦点が絞られた。


 歌羽、あの子は結局、私のことを大切には思っていないのではないか。今まで学校でずっと二人組で一緒にいたが、向こうは他に友だちがいないから仕方なく私と仲良くしているのではないか。何度か深刻な喧嘩や口論をしたことにより、関係には少なからず傷がついている。もう今度こそうまくいかないかもしれない。


 そもそも私たちは最初から、打算で仲良くなったのだ。新しいクラスで友だちを作る困難を軽くするために、それまではほとんど話したこともなかったのにもかかわらず同じ中学校出身だというだけで仲良くしだしたのだ。決して互いを気に入ったからではない。少なくとも最初は、利害の一致だけが関係を支えていた。


 私は歌羽と友だちでいたい。でも向こうはそうではない気がする。向こうは今もきっと打算だけなのだろう。こうして私が入院している間、歌羽は学校でどうしているのだろう。以前話してくれた、小学校の悲しい経験を考えると、あの子はクラスで一時的にでも一人きりになるのは避けるだろうから、なんとか必死に他の誰かと仲良くしてるに違いない。


 私が学校に戻ったとき、歌羽は私のところに戻ってくることはなく、その新しい誰かのところに留まるかもしれない。誰かと天秤に掛けたときに、私なんかを選ぶわけがない。そんな人間は一人もいない。関係に傷がついている私より、気まずさのない相手の方が歌羽もよいと思う気がする。


 つまり、近いうちに関係の終わりが来て、私は孤独になるのだ。


 そんな風に考えると、苦しい身体が更に苦しくなった。それでも悪い空想は終わらない。



 琴音の脆い精神よりも、身体の方がよほど生きる力をもっているらしい。入院してから一週間ほど経つと、身体は病気との戦いに打ち勝ち始めた。内服薬と点滴と休養も手伝って、琴音の身体は快方に向かい始めた。医師は


「ここまで来れば、あとは体力を戻すだけです」


 と家族と本人を励ました。


 入院から十日後、面会謝絶が解けた。


 そこで思わぬことが起きた。歌羽がメッセージで、見舞いに来たいと言い出したのだ。琴音は心底驚いた。



 面会謝絶が解けたあと、最初の日曜日に歌羽は琴音の病室に現れた。少しよそ行きの格好をしていて、


「これはお母さんからです」


 と赤やオレンジ色の鮮やかなガーベラの花束を琴音の母に渡した。


「ありがとうね。お母さんにお礼を伝えてね」


 と琴音の母が歌羽に礼を述べた。歌羽は照れくさそうに返事した。そして、琴音に声を掛けた。


「まただいぶ痩せちゃったね」


「そう?」


「肺炎になっちゃったんじゃ仕方ないよね。琴音がいなくて本当に寂しいよ。インフルから肺炎なんて、大変だったでしょう。気の毒に思ってる」


「ありがとう。でも回復してきたから。もう心配いらないってお医者さんも言ってた」


「よかった」


 歌羽は笑顔を見せたあと、一呼吸置いてから話しだした。


「私ね、ウォッチングの趣味、反省してるんだ。琴音のいとこの投稿は、この間話し合ったときから見るのやめたんだ」


「そうだったの」


 琴音は意外に思い、神妙な表情になった。


「それよりもっとアルバイトとかして前向きな活動をしたいよ。でも中々やめられない。ああいうネガティブなものを見るのより満足できることがなくてね」


 歌羽は一頻り話をしてから帰宅した。去り際に


「早くよくなってね」


 と琴音に言葉を掛けてくれた。 



 琴音はその晩、歌羽のことを考えた。自分の時間を奪われるのを嫌うあの歌羽が、貴重な日曜日を自分の見舞いに割いてくれた。そこに込められた思いを、琴音は噛みしめた。


 歌羽との関係に散々思いを巡らせてきたが、照れながら病室に現れた歌羽の様子を見れば、答えは疑う余地なく明らかだった。喧嘩もしたし分かり合えないところもあるが、歌羽は私の友だちなのだ。



 退院が目前に迫った頃、もう一人見舞客が琴音の元を訪れた。ネムだった。ネムは自身も退院直後で体調が万全とは言いがたいようだったが、なんとか調子を整え、親を説得し、駆けつけてくれた。


 ネムは以前会ったときと同様の、髪の毛を一房だけゴムで結った髪型をしていた。そして琴音を見るなり、泣きそうな表情をして、頭を下げてきた。


「ごめんね、私のせいでこんなことになってしまって。琴音が倒れたのは、私のせいだよ」


 琴音は意味が分からなかった。慌てて


「頭を上げてよ」


 と促した。重い腕を身体の前で動かした。


「インフルエンザはウイルスの感染で起きるものだから、ネムのせいじゃないよ。どこかでうつされただけだよ」


 と琴音は冷静に述べたが、ネムは気にしているらしく、動揺した様子で言った。


「でもショックを与えちゃったのは私だからさ」


 ネムが落ち着いてから、二人は話をした。


「私たち、順番に入院なんてしちゃったね」


 とネムが自嘲気味に言い、琴音は


「お互い心も身体も弱いんだろうね」


 と同じく自虐を交えて返した。


「私たちはすぐ入院しちゃうような体調の悪さを抱えているんだよね。よくないよね」


「本当によくない」


「お互い治していこうね」


 琴音は数秒黙ってから、返事した。


「治さなきゃいけないよね」


 その言葉は本当だった。迷ったが、ネムに嘘はつきたくないしつくつもりもない。琴音はそのとき、治療する方向を一瞥だけだがしたのだった。


 こうして二人は一致した。ネムは白い掛け布団の下にある琴音の手を探して握った。そしてこう提案した。


「ねえ、次は病院の外で会おうよ。またどこかへ行って遊ぼう。二人とも元気になって」


「そうだね。次遊ぶときは病院の中じゃなくて外。約束しよう」


「約束だよ」


 二人は握手するように互いの手を強く握った。ネムは表情を晴らした。琴音も会う約束ができて、心が満たされるのを感じた。早く回復して、退院したいと強く思うようになった。

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