第二十四話「麻理恵の近況」
琴音は少しだけよそゆきの格好をして、母に連れられ、麻理恵と麻理恵の両親が住んでいる、藤沢の家と呼ばれている家へ行った。
広いダイニングで、麻理恵は琴音を迎えた。上下灰色のスエットなんて着ている。琴音は最初驚いた。
「久しぶり、琴音。旅行のとき以来じゃね?」
麻理恵の嬉しそうな様子は、本心からのものに見えた。
「そうだね。麻理恵、久しぶり。元気だった?」
「元気。最近学校超楽しくなってきたし」
琴音は麻理恵の風貌をさりげなく観察した。麻理恵の髪の毛は明るい茶色に染まっていて、後ろで一つに縛ってある。前髪をヘアピンで一カ所留めていた。顔には化粧が施されている。ダイニングテーブルの大きな椅子に腰掛けた麻理恵は、脚を伸ばして足首をクロスさせた。
「いつメンがね、超ウケんの。スクーリングの度みんなで騒いでる」
なんだか麻理恵はヤンキーっぽくなったな、と琴音は感じた。そういう変化をする同級生は少なくなかった。麻理恵もそういう方向に行くのか。
「琴音はどう? 全日じゃ毎日登校でだるいっしょ」
「まあまあつらい。体育の授業みんな見学してたら、親に言われちゃって怒られた。最悪だった」
「琴音、前より痩せた。病気なんじゃないの?」
「摂食障害って言われてる。病院行ってんだ」
麻理恵は目を伏せて、何か言いよどんでいる様子だった。
「ウチのクラスにも、そういうの、いる。ガリガリに痩せてて、お昼はどっかいっちゃう。みんなお弁当食べてるからだと思うけどね」
琴音は話題を変えたかった。
「ねえ、写真ないの? 学校の友だちと撮ったようなの」
「あるよ。今見したげる」
麻理恵はスマートフォンをいじって、画像を見せてくれた。琴音は驚いた。
「え、男子もいるの?」
「うん。男子女子三人ずつ、六人でつるんでる。カップルもいるよ。こいつら」
麻里絵は画像の真ん中を指で示した。確かに手を繋いでいる一組の男女生徒が映っていた。
映っている六人は、麻理恵も含め、風貌がいわゆるヤンキーそのものだった。学校には制服はないのか私服だったが、みんな身体のサイズより大きめの派手な服を着ていた。髪の毛は金色か明るい茶髪で、髪型も派手だった。女子生徒はみんな厚化粧していた。全員楽しそうな表情を浮かべている。
「琴音はこういう人たち見ると、びっくりするよね」
麻理恵が切なそうに言うので、琴音は言いつくろった。
「私、別にヤンキー嫌いじゃないよ。私の学校にもいるけど、にぎやかで、楽しそうで、いいじゃん」
「そういってもらえりゃ、ウチも気が楽だよ」
「ところで、スマホもってるんだね」
「うん。学校通うのにいるし、スマホないと不便だから、何度も頼んで親にオッケーもらった。ライン交換しよ。そのために来てもらったんだ」
琴音は麻理恵と再び直接連絡を取れるようになった。とても嬉しかった。琴音は、麻理恵が自分に全然怒っていないことに気づいた。恐れていたのは、自分だけだったようだ。
琴音は、そっと聞いてみた。
「ねえ。もう、手首切ってないよね」
「知ってたのかよ」
「うん」
「なんか、仲間ができてから、自分と向き合えるようになったんだ。そしたら、いつの間にか、もう切らないでいられるようになってた。今は好きな人いるし」
「この中にいる人?」
琴音が画像を指すと、麻理恵は赤面した。
「一番左端に映ってる男の子。今いい感じ。でも、セックス一生拒否じゃ難しいだろうね」
麻理恵は寂しそうに笑った。琴音は何も言わず、麻理恵の肩を優しく叩いた。
琴音は午後一杯麻理恵と過ごした。麻理恵は茶菓子を無理に勧めてくることはなかった。大切ないとことの間にわだかまりがないことを実感して、琴音は久しぶりに幸せな気分になれた。
以降、麻理恵は頻繁に琴音にメッセージを送ってくるようになった。楽しく話せるときも多かったが、ふとすると麻理恵は不安定になり、自分を蔑むようなことを言ったり、ひどい言葉を自身に使うことがあった。言葉を使った自傷行為にさえ感じられた。
琴音はそれをいちいち否定しなければならなかった。
――そんなことないよ――
――麻理恵は悪くないよ――
そんな風に慰めなければならなかった。そのせいで段々と疲れてきた。琴音本人も決して平穏に生きているわけではないのに、ケアの役割ばかり求められて、辟易とし始めた。
ある日琴音は麻理恵を慰めることにうんざりして、現実から逃れたくなり、ネムとのトーク画面を開いた。ネムはいつ帰ってくるんだろう。元気かな、それとももう話せないのかな、とトークを遡った。
すると、大変なことに気づいた。
琴音の送っている言葉が、慰めを求めてくる麻理恵のものとそっくりだったのだ。琴音は無意識のうちに、ネムにケアしてもらいたがって、そんなことばかり送っていた。ネムは嫌がる様子もなく、麻理恵に対する琴音よりも豊かな表現で琴音を励ましてくれていた。
なんてことだろう。私も同じことをしていたんじゃないか!
ネムがいかに不安定であったのか、琴音は知っていた。彼女自身かなり苦しい精神状態で大変な日々を過ごしている。そんな中で、いつも自分と話して慰めてほしい、入院しないで傍にいてほしかったなんていうあの考えは自分勝手な態度だった。私はネムに求めすぎていた。
琴音は同時に不安になった。ネムの存在は自分にとって大きな支えとなっているけれど、私はネムの役に立てていただろうか。自分ばかり与えてもらっていたのではないか。
改めようと琴音は心に誓った。してもらうことばかり考えていたらダメだ。自分もネムの力になれるよう努力しなければ。もっとネムの話を聞いて、つらい気持ちを一緒に抱えてあげられるようにならなければ。必要なときは励ましてあげよう。
ただそれをするには、まずネムが戻ってきてくれなくてはならない。話をできる状態でなければ、何をしてあげることもできない。琴音はもどかしかった。結局、今の自分にはネムの帰りを待つことしかできない。
――私、気づいたよ。自分がしてもらうばかりで、至らなかったことを知ったよ。もうそんなことはしない。ちゃんとネムの心の支えになれるよう、頑張るよ。変わってみせるよ――
琴音は寝る前に、ネムに心の中で話しかけた。
――だからお願い。早く戻ってきて、お願い――
最後はどうしてもそこに行き着いてしまう。琴音の閉じた両方の瞼から涙が枕に流れた。
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