第九話「僥倖」
一週間ほど経ってから、思いもよらないことが起こった。「純天使日記(ピュアエンジェルダイアリー)」に「毎晩9時ころ拍手をくれる方へ」というタイトルの記事が公開されたのだ。
――先週くらいから毎晩9時頃、いつも拍手をしてくれる方がいます。すごく嬉しいです。最初に拍手が来たときは、久しぶりに反応があって嬉しいって飛び跳ねて喜びました。その後毎晩続くので、奇跡かと思っています。お願いですからコメントください!お話ししたいです!――
琴音は驚いた。拍手なんて珍しいことではないと思っていたのに。画面の向こうにいる彼女に認識されるとは思わなかった。
コメントを書いた方がよいのだろうか。琴音は迷った。コメントを書いてほしいとネムはお願いしている。でも私なんかがコメントを書いたら迷惑じゃないか? 笑われたり怒られたりするんじゃないか? 拍手している人間が私なんかだと知ったら失望される気がする。
琴音はそんな臆病さから、名乗り出られなかった。
ところが次の日も同じお願いが書かれた記事が公開された。
――いつも拍手をくださる天使様、昨日も拍手をくださってありがとうございます。本当に嬉しいです。どうかどうかコメントをください。私のブログに興味をもってくださったあなた様とお話ししてみたいのです。一言でもいいです。何なら絵文字一個でもいいです。何か、反応をください!お願いします!――
そこまで私のコメントがほしいのか、と琴音は心の固い部分がほぐれる感覚を味わい、根負けした。意を決して、コメントを書いてみることにした。
あれほどほしがっておいて、まさか暴言で返されたりしないだろう。もしそうなったら、もう来なければよいだけの話だ。
琴音はコメント欄に一生懸命文章を打ち込んだ。
――初めまして。拍手をしていたのは私です。ネムさんと同じ高校一年生で、同じ病気と言われて調べているうちにここへ来ました。文章がすごく上手で、病気のことも詳しく書いてあったので、気になって読んでいます。――
名前を入れる欄があったので、そこは思いつかなくて「ことね」にした。失礼のないように、おかしく思われないように、本文を何度も書き直して、送信した。
返信は明日だと思っていたら、すぐに返ってきて、驚いた。
――ことね様、コメントありがとうございます!お話しできて本当に嬉しいです!通知を見たとき思わずガッツポーズしちゃいました()文章は見よう見まねです汗 病気はいつも戦っているんで、詳しくなっちゃいますねw薬とかもだいたい覚えちゃってたり(涙を流して笑う絵文字が付いている)お話しできて嬉しいです。ぜひ今後も拍手だけじゃなくてコメントもください!別にこのブログの感想じゃなくてもいいので。学校のこととか愚痴とかあったら自由に書いちゃってください!お返事します!今後もよろしくお願いします!――
ネムは思ったより喜んでくれた。そして思ったよりテンションが高かった。圧倒されながらも、全力で歓迎されたことがとても嬉しかった。歌羽がお昼を誘ってくれて、友だちになれたのも嬉しかったが、この歓迎具合はそれを上回る嬉しさだった。琴音は力を与えてもらえたのを感じた。力を奪われるのではなく与えられるなんて。ここ最近では一度も感じたことのないポジティブな感覚だった。
それから琴音は毎晩ネムのブログの更新後にコメントを書くようになった。ああ言われたものの、自分の話をするのは悪いので、ブログの感想を書いた。ネムに返信で聞かれたときだけ自分の話を書いた。食事をする気力を失って食べなくなり、親に怒られて病院へ連れて行かれたこと、友だちとの仲がこじれたのもあり学校を休んでいること、ネムはみんな聞いてくれた。余計なアドバイスをしたり、説教したりは間違ってもしなかった。琴音は、やはりこの人は理解してくれる、と感じ、安堵した。
ある日、ネムに言われた。
――コメント欄だとみんなに見られちゃうんで、DMで話せるようにしませんか?形だけでもブログを作れば二人だけの場所で話せるので。ブログなんて非公開にして放置しとけば誰にも見られませんし動かさなくて済むんで、気軽に作れますよ――
琴音は言われたとおりにした。形だけブログを立ち上げ、非公開設定にしておいた。ネムのブログと「友達」になったら、DMという機能を使ってネムと二人で直接話せるようになった。
DMだと回りの目を気にしなくてよいので、深い話ができた。
――もう呼びタメでよくないですか?――
とネムが言うので、二人とも敬語は取った。学校の友だち同士のようにタメ口で話した。最初は恥ずかしかったが、やがてその方が自然な気がしてきた。
ネムは中高一貫校に通っているらしかった。偏差値の高い私立のその学校にトップの成績で合格したものの、周囲と話が合わず、ずっと不登校だったが、今はときどき保健室登校しているのだそうだった。受験のストレスで摂食障害になったらしい。その他にも精神疾患をいくつももっているとのことで、薬を手放せないという。
琴音は一番つらい、中学時代の話はまだできそうになかったが、同級生に妨害されて入試に落ちて、一段階レベルを下げた今の高校に入ることになったこと、親と仲が悪くなってしまったこと、毎日のように母親と喧嘩していることを話した。
ネムは、お互いつらいね、と言った。世の中には呆れるくらいひどい人が多いから、どうしても潰されてしまうよ、ことねちゃんみたいないい人がいじめられたり怒られたりするのは不当だよ、と怒ってくれた。
琴音はネムとのやりとり、そしてネムの存在に相当癒やされた。あのとき勇気を出してコメントを書いて本当によかったと感じた。
中学時代は言わずもがな、高校入学以後だけ考えても、何もかもがつらい方向にばかり向かっていたが、一つだけ反対向きのベクトルが生まれた。
学校に行ってみようかなと考えた。学校へいけばネムとの話題が増える。それにいつまでもこうしていたら、きっと面倒なことになる。留年とか中退とか、大事になったら大変だ。明日はもし途中で帰ってくるのだとしても学校に出てみよう。
歌羽はどういう態度に出てくるだろうか、と考えた。怒るだろうか。私を責めるだろうか。それとも私がいなくて、少しは寂しかっただろうか。
どんな態度に出られても、私にはネムがいる。家に帰れば画面越しにネムと繋がれる。そう思うと、耐えられる気がした。
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