第35話 あの時私、お酒飲んでてあまり記憶にないんだよね~

 次の日。


 葵たちは朝食を食べるために優の部屋にやって来た。


「おはよーみんなー。昨日はちゃんと寝れたかな~」


 葵が優と実乃里を気づかうように話しかける。


「はい。中村さんが布団まで運んでくれたおかえでグッスリ眠れました」

「わ、私も眠れました」


 実乃里はグッスリ眠れていたらしく、朝から元気である。

 一方、葵にキスをされた優はなかなか寝付けず寝不足だったが、正直に言うわけにいかず嘘を吐く。


「葵、ありがとな。あたしたちを部屋まで運んでくれて」

「あたしもちょー感謝してます。ありがとうございます楠先輩」

「別にこれぐらいお安い御用よ」


 葵はいつも通り瞳と愛音と話している。


「く、楠先輩って昨日のことって覚えてますか」

「昨日のこと? なにかあったかしら? 瞳と木村さんを運んだのは微かに覚えてるんだけど……」


 優は勇気を振り絞って昨日の夜の出来事を聞いたが、葵は本当に覚えていないらしく首を傾げている。


「……そうですか」


 葵が昨日のキスを覚えていなかったことに優は激しく落胆した。

 これでは今も葵とキスをしたことを意識している自分が馬鹿みたいだ。


「……?」


 葵は優を見つめながら首を傾げているが、深くは追及してこなかった。


 その後、五人で朝食を取ったのだが優は葵と視線を合わせることができなかった。




 勉強会をして二週間が経った。


 中間テストも終わり、夏の暑さも本格的になってきた。

 ちなみに、一年生三人とも赤点は一つもなくその時は三人でハイタッチをして喜びを分かち合った。


 三年生の葵と瞳は受験生ということもあり、学年一位、二位を独占した。


「今回も一位よ。ねっ、中村さん」

「凄いですね楠先輩。おめでとうございます」


 葵は褒めてほしそうな顔で優を見つめていたが、優は未だにキスのことを意識してしまい感情を込めて褒めることができなかった。


「……うん、ありがとう」


 葵も薄々優に避けられていることを自覚しているのか、深く踏み込んでくることがなかった。




 優が葵のことを避けている。

 葵も薄々自覚していた。


 理由は分からない。


 葵には特に優に嫌われるようなことをした記憶がない。


「ねぇ~瞳~聞いて~」

「はいはい。どうせ中村さんのことでしょ」


 休み時間。


 葵は瞳に愚痴る。

 瞳も葵の愚痴には慣れているので、塩対応である。


「私、中村さんに嫌われることでもしたのかな~。最近、中村さんが私にそっけないと思うんだけど」

「知らないよ。あたしは葵じゃないし。中村さんになにをしたのか分からないし」

「私は真剣に悩んでるんだよ」

「それは分かってる。けど知らないものは知らん」

「ぶーぶー、友達なら親身に相談に乗るべきよ」

「毎日毎日、グチグチ言われるこっちの身にもなれ。そんなにグチグチしてるなら直接本人に聞いて来い。そして謝ってこい」

「えぇー、私が悪い前提なの?」

「中村さんがなんの理由もなしに人を嫌うような男の娘じゃないことは葵も分かってるだろ」

「それはそうだけど……」


 そんなことは瞳に言われるまでもなく葵も分かっている。

 優がなんの理由もなく人を嫌うような男の娘ではないことを。


「葵が中村さんになにかしたんだろ。葵に記憶はなくても」

「……そうだよね……中村さんに嫌われるようなことをした記憶はないけど」


 瞳の言うとおり、きっと葵がなにか優に嫌われるようなことをしたから優に避けられているのだろう。


 その記憶があれば、すぐにそのことを優に謝罪することができるのだが、その記憶がないからなにを謝罪すれば良いのか全然分からない。


「きっと勉強会の夜になにかしたんだよね」

「多分ね。朝、中村さんが葵に聞いて来ただろ。『昨日のことって覚えてますか』って」


 もし、葵が優になにかしてしまったことがあるなら十中八九、勉強会の夜だろう。


 それから優の態度がよそよそしくなった。


 当時葵はお酒を飲んでいたこともあり、その時の夜のことはあまり覚えていない。


 今、思い返しても優になにをしたのか記憶にない。


「あの時私、お酒飲んでてあまり記憶にないんだよね~」

「それ一番最低だろ、お前は記憶がなくても中村さんにはきっと葵になにかされた記憶があるんだから」


 お酒のせいにするのはよくないと思っているが、本当にあの夜の記憶がない。

 瞳の言うとおり、葵に記憶がなくてもきっと優には葵になにかされた記憶があるのだろう。


「一番はあの時はお酒を飲んでいてなにも覚えていないことを正直に言って、自分がなにをしたのか中村さんに聞いて、それを聞いたうえで真摯に謝罪する。それが無難だとあたしは思うけどな」

「そうだよね~。それが一番だよね。ホントにあの時の私、中村さんにどんな酷いことをしたのよ。もし、過去に戻れるならその時の私をぶん殴ってやりたりわ」


 もし葵が相手から酒のせいでなにをしたのか覚えていないと言われたら、間違いなく怒るだろう。


 そして内容次第では絶交もすると思う。


 それにも関わらず優はお酒のせいでなにも覚えていない葵にそっけない態度は取るものの、無視したり、暴言を吐くことはしなかった。


 あいさつをしたらあいさつは返すし、話しかけたら話を返してくれる。


 本当に優は優しい男の娘である。


 そんな優をここまで葵は傷つけたのだ。


 自分が最低すぎて嫌になる。


「その時中村さんになにを言われても真摯に受け止めるんだよ」

「それぐらい分かってるわよ。中村さんに嫌われたままなんて絶対嫌だもの」

「……」

「なによ。なんか変なことでも言った?」

「いや別に。中村さんは後輩なんだから先輩のお前がしっかりしなきゃダメだからな」

「分かってるわ。私は中村さんの先輩なんだから。中村さんに許してもらえるように頑張るわ」

「頑張れよ、葵」


 瞳もなんやかんや言って優しい女の子である。


 最後には発破をかけ、応援してくれる。


 本当に良い友達を持ったものだ。


 このまま優に嫌われたままなんて絶対に嫌だ。


 もし、優になにを言われても葵は受け止める覚悟をする。


 葵の目にもう迷いはなかった。

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