第2話 息抜き(ランス視点)

『今にも過労死しそうな団長様

 今日はお休みください』


 朝一番に屋敷に飛ばされてきた鳩の脚には、短くそう書かれた伝書がくくりつけられていた。胸元が開いたラフなシャツ姿で窓辺に立ち、ランスは短くため息をついた。窓枠に留まってじっとこちらを見つめている白鳩は、クリスがうまく育てたと自慢してきた鳩だろう。


(何かあったのかと思った……)


 アイシャが鳩が飛んできたと報告しに来たときには、騎士団に緊急事態が起こったのかと焦った。毎朝の鍛錬をこなすために着替えていた時間だった。ランスは手紙を小さくたたみ、クリスの伝書の裏にペンを走らせる。


 余計なお世話だ、とだけ記したそれを鳩の脚に括りなおす。軽口を叩き合っているが、クリスなりの配慮だとわかっていた。昨日はそんなに疲れた顔をしていただろうかとランスはわずかに微笑する。


 鳩の小さな頭をそっと撫でてやりながら、ランスは物言わぬクリスの友人に語り掛ける。


「心配ないと主人に伝えてくれ」


 鳩が飛び立っていくのを見送り、ランスは傍に置いていた剣を持ち上げる。今日は魔物を狩る必要も、本部で書類をさばく必要もないのだと思うと不思議な心地がした。戦うことが身に染みついているせいで、そばに剣がないと落ち着かないようになっている。


 とりあえず階下へ向かうことにし、ランスは部屋を出た。



 食堂ではすでに朝食の準備が整っていた。パンの焼ける香ばしいにおいや、スープが入った鍋から立ち上る白い湯気。かちゃかちゃと食器が合わさる小気味よい音が、ランスにはとても平和に見えた。


 食堂は屋敷の中で一番明るい場所だ。高い位置に取り付けられた大きなガラスからは透明な朝日が差し込んでいる。丁度ワゴンに朝食を乗せて厨房から出てきたアイシャが、ランスを目撃して驚きの声を上げる。


「旦那様?」


 しっかり者のアイシャの珍しい反応に、ランスは微笑む。


「今日は休めと命令が下った」

「どなたからです?」


 それには答えず、ランスは一番近くにあった椅子を引いた。アイシャが慌ててランスの前に食器を並べた。


「今日は朝食を召しあがられるのですね、よかった」


 思えば、食堂で朝食をとった記憶が随分薄れている。早朝に起きだして鍛錬をし、馬で魔物狩りに出かけるのが日課になってしまっているせいで、まともに朝食をとる時間さえなかったことに気付く。


「今日はお休みなら、お嬢様とお出かけになられては? よく晴れていますし、普段顔をあわせることも少ないでしょうから」


 湯気の立つパンを目の前で切り分けながら、アイシャがこともなげに言った。ランスは束の間言葉に詰まり、ためらいがちに返す。


「そうしたいのは山々だが、急に誘って驚かせないだろうか」


 アイシャは楽しそうに左目をつぶってみせた。


「もちろんですよ。レイお嬢様もきっとお喜びになると思います」


 目を上げたアイシャが、不意におはようございますと食堂の扉に向かって声をかける。振り返ると、そこにはレイ本人が立っていた。


「……お、おはようございます」


 レイはランスと目が合うなり驚いて目を見開き、白いネグリジェの上に羽織っていたグレーブルーのショールをきつく体に巻き付けた。おずおずとこちらへ歩いてくるレイの足元で、細かなレースの裾が軽やかに揺れている。


「おはよう」


 どこに座ろうかと視線をさまよわせるレイに、ランスは自分の隣を示した。素直に腰かけたレイから、さわやかなライラックの香りがする。アイシャが手早くレイの食事の準備を整え、そそくさと食堂から出ていった。


 二人きりになったランスとレイ。先に沈黙を破ったのはレイだった。


「今日はお休みですか?」


 レイがランスを見上げている。ストレートの黒髪が朝日を反射して、黒曜石のような輝きを放っている。


「はい。同僚から心配されてしまって」

「そうなんですね、よかった。ランス様はいつも忙しそうで、ゆっくりお話しする暇もありませんから……」


 紫水晶の瞳が輝き、すぐに伏せられる。


「ごめんなさい、うまくまとまらなくて」


 膝の上でそろえられたレイの両手が、スカートをぎゅっと握りしめた。


「でも、うれしいです」


 ああ。どうして彼女はこんなにも、ランスの心をつかむのだろう。素手でぎゅっと心臓を掴まれたようで、ランスは浅く息を吸う。いつからだろう。自分でももう覚えていなかった。気づけば、彼女が大切になっていた。


「レイさん」


 自然と唇が動き、特に考えるまでもなく言葉が紡がれる。


「一緒に出掛けませんか。あなたと二人で、外へ出たい」


 レイの顔がぱっと明るくなった。こくこくと頷き、レイは桃色の唇で微笑んだ。


「初めてですね、お仕事じゃないお出かけ」

「――ええ」


 ランスがふと目をそらし息をついたのは、言葉に詰まったからではない。自分は今どんな顔をしているのだろう。この感情を悟られたくなかった。レイの前では、頼れる柱でいたい。


「いただきましょう。冷めてしまったらもったいないです」


 レイがふかふかのパンをちぎり、口に運ぶ。それを眺めながら、ランスも食事に戻る。久しぶりに、きちんと食事をとった。母は幼いころに病死し、父と兄が一度に事故死し。それからランスは無我夢中だった。


(こんな風に、穏やかな朝も悪くないな)


 朝は、静かに過ぎていく。



「お待たせしました」


 アイシャとともに階下へ降りてきたレイを、ランスは振り返る。カジュアルな装いだった。黒髪を半分だけ持ち上げ、編み込みながら頭の後ろでバレッタで留めている。白いビショップスリーブシャツに、ダークレッドの編み上げビスチェ。同じ色の控えめに膨らんだスカートから、黒いレースアップシューズが覗いている。カジュアルだが品のあるドレスは、レイによく似合っていた。


 ランスは黒い手袋のカフスを留め、レイに手を伸ばす。腰の剣は威圧感を与えないようさりげなくマントで隠している。


「行きましょう」


 手を握り返してくれたレイを引き寄せながら、ランスはそっと唇を動かす。


「とても綺麗です」


 頬を赤らめたレイは、とても愛らしかった。

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