第6話 見えてきたこと。

「アーリア、本題に進みましょう」


 ランスが口を挟み、レイは救われる思いだった。アーリアに向けられる視線はからかいを含んでいたが鋭く、すべてを覗かれているような気持ちにさせられた。アーリから視線を外され、レイは小さく息をつく。顎の下で結んだボンネットのリボンが、ひんやりと首に触れた。


「ついてこい」


 アーリアは横柄な口調で言い、くるりと背を向けて歩き出す。


「申し訳ありません」


 ランスがレイに申し訳無さそうな表情を見せた。レイは首を振り、小さく笑って見せる。


「少し驚いただけですから。それよりも、これから何を見せていただけるのか、楽しみです」


 ランスはほっとした笑顔を見せ、紅の瞳をきらめかせた。


「こちらへ」


 黒い手袋をはめた手をレイに向ける。二人は空間魔法で拡大された屋敷の中を歩いた。アーリアは小さな体で驚くほど足が速かった。こちらを振り返りもせずすたすたと歩いていってしまう。長い廊下を抜けると、アーリアはある扉の前で立ち止まった。なぜか、廊下が急に寒くなったような気がして、レイは自分の腕を抱いた。


 アーリアは長いローブの奥から小さな腕をのぞかせると、ドアノブに手を押し当てる。ヘーゼル色の瞳を閉じ、小さな声でなにか囁いた。それと同時に、ぽうっと白い光がドアノブを包む。かちゃ、と音がして鍵が開いた。


(古語のように聞こえた)


 彼女が口ずさんだ言葉は、この国の言葉ではなかった。唄のようになめらかで抑揚がある、変わった言葉。


「どうぞ」


 そこは暗い部屋だった。いや、完全な闇ではない。部屋の奥行きはわからないが、中心にドア一枚分ほどの大きさの何かがあった。それは宙に浮いているようで、白い光を放ちながらゆっくりと回転している。ランスを見上げると、彼は近づいても大丈夫だ、とうなずいた。


 レイはゆっくりとその光に歩む。部屋の中にいるのに、靴音がいやに大きく響く。まるで洞窟の中にいるかのようだ。その光を見下ろして、レイはあっと息を飲んだ。


「これは……」


 その光の中に街があった。森も川も、山の稜線もそこにある。信じられない光景だった。そこにアロアのすべてがある。ミニチュア化しているが写真のようにリアルで、木々が風にそよいでいる様子が見える。


「素晴らしいだろう。わが魔法団屈指の施工だ」


 アーリアが押し殺した声で言った。


「君はとても聡いひとだと聞く。これを見て、何か気付くことはないかね?」


 レイはミニチュアのアロアを再び見つめる。

(色が違うんだわ)

 よく見ると、全体が赤い光に覆われているところと、そうではないところがある。アーリアに伝えると、彼女はうなずいた。


「まあ、それくらいのことは子供でも分かる。レイさん、そのほかには?」


 レイは考えることもなく答えた。


「魔物が頻繁に出没する地域と、そうではない地域を示しているのではないでしょうか。その証拠に森林地帯や山岳地帯は全体的に赤く、アシュアを中心とする街は白い光に覆われていますから。森の中の白は、魔法団の皆様の結界で守られる村――正解でしょうか?」


 レイがアーリアを見ると、彼女はふうんとうなずいた。背後のランスを振り返り、ひょいと眉を上げる。


「ランスよ、おまえはこの国の令嬢の中でも一級品を嫁にしたらしい」


 ランスはうなずき、レイに賞賛の目を向けてくる。


「私の人生の中で、レイさんは最大の幸運です」


(ランス様ったら……)


 恥ずかしげもなくそういう言葉を口に出すところは、ランスの美点の中の一つだと思う。けれど、レイにとってはまだまだ慣れないことである。


「私はなにより莫迦と間抜けが嫌いでね。特に身分が高くなるほどそういうのは増えると思っていたのだが――例外を見つけてしまった」


 レイはうつむいて、寂し気な笑みを唇に浮かべた。


「ありがとうございます。けれど、女は知恵をもつものではありませんから。きっと……私は悪い意味でも例外なのです」


 スワンの顔が久しぶりに脳裏にひらめく。アンネの顔も。レイはずきりと痛みそうになった胸を抑えた。


「いいかね。君がどんな教育を受けてきたのかはしらないが、知恵は誰に対しても平等なものだ。人種、種族、性別。そんなものに縛られるものではない」


 ずっとレイも思ってきたことを、アーリアはいとも簡単に口に出した。幼いころから疑問に思ってきたこと。チャーリーや両親は、レイが学をつけることを歓迎してくれた。レイの疑問には必ず回答をくれたし、学ぶことを厭うこともしなかった。そんな環境が当たり前だと思っていたから、社交界にデビューして、周りの女性たちを見て驚き幻滅したことも鮮明に覚えている。


「さて、レイさんのおかげで今日の話は素早く済みそうだ」


 アーリアがこちらへ歩いてくる。アーリアが手を下に下げるような動きをすると、光るアロアのミニチュアがアーリアの目の高さに降りてきた。


「ここを見てごらん」


 アーリアが指さすのは、ある森の一点だった。赤い光がゆっくりと点滅している。


「結界が破られようとしているんだ」

「結界が……」


 結界がどんな役目を果たすのか、レイはその重要性を理解し始めていた。結界があるからこそ、アロアの領民たちは明日を生きて迎えることが出来ている。それはレイも例外ではない。ランスが庇護をもたらしてくれるから、レイは今を生きているのだ。


「すぐに修復作業がなされるだろう。ランスから聞いているかもしれないが、本当にきりがないんだ。いくら修復しても、またすぐに破られる。アロア各地に在留する魔法団がそれぞれの担当を決めて守っているんだ」

「アシュア周辺に住居を建てるように定めるのは可能なのでしょうか? 私が知る限りですが、飲み水も食料も十分に確保できると思います。住民が分散すれば、その分守りにくくなるのでは?」


 レイが素直に疑問を口に出すと、アーリアは首を振った。


「そうできるものならそうしたい。しかし、魔物というのは厄介でね。人が一か所に集まれば集まるほど、彼らはこちらに引き寄せられるんだ。だからアシュアにはより強固な守りが施されている。一か所に魔物が集中すれば、とてもではないが我らだけでは補いきれなくなるだろう。わざわざ危険な森に領民を分散させているのはそういう意図があるんだよ」


 アーリアがにやりと笑った。


「君と議論をするのは楽しいね。久しぶりに実りのある会話ができた気がするよ」


 レイは微笑んだ。


「ありがとうございます」


 レイはもう一度ミニチュアの上に目を戻す。


 「アロアのために、私も何か力になれることはないでしょうか。魔法団の皆様のようにはできませんけれど……」

「誰かを守るというのは自分自身を完璧に守ることがてきてやっと成り立つものだ。――君はまだ、魔物に襲われたこともその姿を見たこともないだろう?」


 アーリアが人差し指で自分の頭をついて見せる。


「君は賢い。ランスも、君に傷ついてほしいとは思わないに決まっている。今の時点では、まだ何もしなくていい。いつの日か必ず君の力が役に立つときがくる。まだその時ではないというだけだ」


 厳しい言葉に聞こえたが、それは至極当然のことだった。何も知らないうちから、弱いうちからは何もできない。


「……わかりました」


 レイはうなずき、アーリアの静かな瞳を見つめたのだった。


 


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