第5話 アロアを守る者。

 初めてランスと外出する朝、レイは何度も姿見の前で自分の姿を確認していた。

「お嬢様、もう十分お綺麗ですよ」

 あきれたようにアイシャが言った。そうかしら、とまだ不安を拭い去れないレイだが、とうとう出発の時間が来てしまう。


 深緑色のベルベットのドレスに、金のサッシュをきゅっと締める。レースの手袋とショール、そしてドレスと同じ色のボンネットをかぶれば完成だ。アイシャが髪をよくとかし、ゆるく編み込んでくれた。肌の白さがぱっと華やかに輝くようなスタイルは、レイにとっても初めてのものだ。


 アイシャに付き添われて階下へ向かうと、玄関の前でランスがすでに待っていた。黒いマントに黒い手袋という姿は、白銀の髪と紅い瞳が相まって怖いくらいに洗練されて見えた。どきんと胸が高鳴り、レイは自然と微笑みが浮かんでくるのが分かる。


 手袋を付けなおしている横顔は端正で、幼いころに母から読み聞かせられた童話に出てくる吸血鬼ヴァンパイアを思わせる。――中身は全くの別物だけれど。ランスが顔を上げ、レイを見るなり唇に小さな笑みを浮かべる。思わず立ち止まってしまうが、アイシャにそっと促されてランスの前に歩む。


「レイさん、今日のあなたは――とてもきれいだ」


 手をぎゅっと握られ、上から下までゆっくりとした視線を浴びせられる。


「あ、ありがとうございます。ランス様も……」


 ランスの手は大きかった。レイも背が高い方なのに、ランスはさらに高い。すっぽりと包み込まれてしまう手から伝わる熱に、くらくらするようだ。というよりも、男性からこんな視線を向けられたことすら初めてで、レイはどうしたらいいのかわからない。今にも煙をあげて蒸発してしまいそうなレイに、ランスは今までの微笑みではなく、はっきり笑顔とわかる笑顔を向けた。


「行きましょうか」

「はい」


 手を引かれて外に出る。外はまだ冷たい風が吹いている。レイの護送馬車に乗り込むと、ランスの指示通りに動き始めた。馬車の中は狭く、ランスと乗ると随分狭く感じる。それでも桁違いの安心感に包まれていた。


「今から魔法団本部へ向かいます。しばらく森の中を走りますが、レイさんには絶対に怖い思いをさせません。約束です」


 ランスが穏やかな声で言った。ランスが騎士団長として魔物を狩り倒している様子など、想像もつかない。魔法団というのはどんなところなのか。どんな人たちがいるのか。レイは緊張もしていたが、未知への期待に胸を膨らませていた。


 ランスの言った通り、しばらくは森の中だった。がたがたという揺れと、木々がざわめく音だけが聞こえる。ランスは厳しい目つきで馬車の外の音や気配に神経を研ぎ澄ましているようだった。


「そろそろ結界です」


 ランスが言った直後、あの膜を破るような感覚がやってくる。馬車が止まり、ランスがドアを開ける。レイに手を差し出し、二人で馬車を降りると、目の前に広がっていたのは半円形をした巨大な石の塊だった。


 あっけに取られているレイに、ランスが言った。


「ここが魔法団本部です。より強固な結界で守られているので、魔物の心配はありません」


 不思議なことに、岩壁にはドアも窓もない。ただ、不自然なほどつるつるに磨かれた、どこまでも続く岩壁があるだけである。ランスはレイを連れて、ある一か所に歩き出した。岩壁まで到着すると、ランスは右手をおもむろに上げ、ぐっと押し当てる。次の瞬間、レイは魔法を目にした。


 なにもなかった壁がふいにぼやけ、人一人通れるほどの穴が現われた。レイを促して、ランスは迷わずその中に入る。目を閉じて恐る恐る「ドア」らしき穴をくぐると、次に目を開けた時にはどこにでもありそうな普通の邸の中にいた。驚いて息を飲むレイに、ランスが説明する。


「魔法で、空間の拡大、湾曲を行っているんです。高度な魔法ですが、魔法団にとっては簡単なものなのだとか」


 アロアを守る者たちの強さを垣間見た瞬間だった。


「ランスか!」


 ふいに上空から声が振ってきて、レイは飛び上がった。低い女性の声だ。風を切るような音がして、レイの目の前にその声の主が現われる。文字通り、現れたのだ。彼女は一風変わった風貌だった。


 尖った耳に、足首まで届くほど長い茶色の髪。くりくりとしたアーモンド形の瞳はヘーゼル色だ。そして一番の特徴と言えば――小さい。レイの腰のあたりまでしか身長がなかった。身体全体を隠すようなローブをまとっている。ローブの隙間から出した手も、やはり幼子のように小さい。


「紹介します。彼女が、魔法団団長の」

「アーリアだ。君はレイ・ハインリヒだね?」


 アーリアは、ランスの言葉を遮って話始める。部隊長。その言葉にさらに衝撃を受ける。きょとんとするレイに、アーリアは小さな手を差し出して握手を求める。しゃがみ込んで彼女の手を握ると、ぎゅっと強い力で握り返してきた。


「よろしくお願いいたします」

「君の考えはお見通しだよ。『こんなチビが団長だなんて信じられない!』だろう?」

「い、いえそんなことは……」


 レイが戸惑いながら返事をすると、アーリアの瞳がきらりと光った。気まずい時間を破るように、ランスが咳ばらいをする。


「アーリア。人をからかって楽しむのはやめてください。無礼のないようにお願いします」


 アーリアはぐるりと目を回し、ランスをにらみつける。


「何度言えば君は理解するのだろうね? 我らエルフ族に平民だなんだのといった区別はない。それはどの部族に対してもそうだ。だから私の前にいるときは、君もただのランス。レイさんよ、あなたもだ」


 やれやれとため息をつくランス。アーリアにずげずげとものを言われても、紀にする様子はない。


 エルフ族。太古から存在する、強大な魔力を誇り、数百年を生きる長命な一族のことだ。はるか昔に絶えたといわれていたが、まさか存在しているとは思わなかった。


「レイさん、『エルフなんてまだ生きてたんだ。死んだと思ってたのに』とでも言いたげだね」


 にやりと笑うエルフ族の生き残り――魔法団長は、戸惑うレイを見て明らかに楽しんでいた。

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