第2話 お邸に彩りを。
ランスとレイが顔をあわせる時間は、活動時間の中の四分の一ほどしかなかった。ランスは朝早くから馬で魔物狩りに出かけていくし、それは午前中いっぱいにわたる。昼時に帰宅し、あわただしい昼食を済ませた後、ランスは再びどこかへ出かけていく。どうやら、アロア騎士団本部とここを行き来しているらしい。
「旦那様は、騎士団長でもあるんですよ」
アイシャがそう教えてくれた。ランスはもともと伯爵家を継ぐ予定はなかった。幼いころから騎士団の一員として鍛錬に励み、未来の団長として鍛えられてきたという。しかし不慮の事故により、先代の伯爵と、ランスの兄である長男が死亡。スカイラネン家の家督は急遽、次男であるランスが継ぐことになった。
伯爵、騎士団長、という二つの肩書を背負うランスは当然忙しい。レイがランスと顔を合わせることが出来るのは、昼食と夕食のわずかな時間だけ。そもそも邸に帰らない日も多い。ランスがゆっくりと身体を休める時間はほとんどないのではないだろうか。
レイがもう一つ気になっていたのは、伯爵邸の異常なほどの静けさだった。昼夜を問わず活気がない。もちろん使用人たちがいないわけではない。キッチンにはコックがいるし、ルームキーパーも、アイシャのような侍女もいる。
しかし、人数は圧倒的に少なかった。最低限、必要な人数だけ。さらに、使用人たちは一人で何役もこなしていることを知った。コックが料理を作って食卓に運ぶし、侍女が来客の世話をする。それでも邸の歯車は止まることなく回転し続けている。
使用人たちは、彼らなりのプライドとを持っているものだ。自分の領分をしっかり守り、他人の仕事と自分の仕事は全くの別物ととらえている。普通、給仕はコックよりも格下の使用人が行うものだし、客にお茶やお菓子を出すのは侍女ではなくメイドがするものだ。実家のコックに給仕をやれと命令すれば、彼はきっと怒りの表情を見せるはずである。しかしここは違う。
人が足りないのなら、もっと雇えばいいのに。一人一人に給金を出せないほど困窮しているとは思えない。
「お邸は静かな方がいいと旦那様がおっしゃったので。侯爵様のお邸では違うのですか?」
昼食後のティータイムの時間。思わず疑問を口に出すと、アイシャは不思議そうな顔でそう問い返してきた。そして、いたずらっぽくこう付け加えたのだった。
「それをいうなら、お嬢様は普通町に出ようとしませんよ。使用人に任せるものです」
レイは苦笑しながらカップを両手で包み込んだのだった。
――あの、外出許可をいただけませんか?
昨日の昼食時、休憩に戻ってきたランスにレイは申し出た。
――どこへ行きたいんです?
ランスはハーブティーをテーブルに置いて眉をあげた。レイは口ごもり、視線を落とす。
(言いにくいのだけれど……)
レイは気になっていた。邸があまりにも静かすぎる――静かすぎて寂しいのだ。もちろん、話し相手のアイシャもいるし、庭師のジョンやメイドのクレアとも仲良くなった。けれど彼らには仕事がある。レイの都合で仕事の邪魔をするのは申し訳ない。
(ランス様のお手伝いをすると言っておきながら、なにもできていないわ)
せめて邸に色彩を添えられないだろうか? 調度品や食事とは違う彩りを。毎日のように庭のネモフィラを眺めていて思いついた。花はどうだろうか。レイにとって花は、最も身近な装飾品だった。部屋を宝石や金で飾るより、生きた花をそえたい。レイの部屋の花瓶にはいつだって、色とりどりの花が生けられていた。
使われていない温室は、花を育てるのにもってこいである。ベランダや玄関にも花があったらきっときれいだ。
「町にお花の種を買いに行きたくて」
「クレアやアイシャに頼んでおきますが?」
「いえ! あの、お花もそうなのですが……町に行ってみたいんです」
一人で部屋にいるのには飽きてしまった。そして土地を治めるには、まず領民を知らなくてはならない。父の口癖だった。
それでもランスは顔を曇らせたままだった。
「森を通るのは危険です。魔物に襲われるかもしれない」
「そう、ですよね」
がっかりと肩を落としたレイをかわいそうに思ったのか、アイシャが口をはさんだ。
「旦那様、お嬢様をとじこめてはいけません。アリを同行させますし、魔物の一帯や二体くらいなら、私だって倒せます」
「……」
ランスはしばらく沈黙した後、ようやくうなずいた。
「わかった。ただ、もしものことがあればアイシャ、迷わず私を呼ぶんだぞ」
そして手を伸ばし、テーブルの上に置かれていたレイの手に軽く触れた。ランスの手から、柔らかな白い光が漏れるのを唖然として見つめる。ランスと触れ合っている箇所から、体中に熱が広がるような感覚がある。
「気休めにしかならないですが、魔よけのまじないです」
ランスが手を離した瞬間、熱は消えた。
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべたレイに、ランスは数回瞬きし、微笑みを返してくれる。
「くれぐれも、気を付けてくださいね」
赤い瞳に浮かぶ、不安と優しさが入り混じった色を見て、レイはふいにランスをぎゅっと抱きしめたい衝動にかられた。まるで何かを我慢する子供のような、飼い主の帰りを辛抱強く待つ忠犬のような、ランスがそんなふうに見えたのだ。
「……何かありましたか?」
ランスの問いに、レイはあまりにまじまじと彼を見つめすぎていたことに気付く。
「いえ、何でもないです」
一人で真っ赤になったレイを、ランスは不思議そうに眺めていたのだった。
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