第4話 お別れはつらいけれど。

 旅立ちの日は、よく晴れたすがすがしい陽気だった。それとは裏腹に、レイを除く侯爵邸の人々はみな沈んだ顔をしていた。


「行ってまいります」


 レイはそう言って、家族に頭を下げる。母は暗く沈み込んでいるし、妹は真っ赤に泣きはらした目を隠すようにうつむいている。そんな中で父だけが顔を上げ、レイに力強い視線を送ってきた。


「――いつか必ず、お前を取り戻す」


 あまりにも無慈悲で、そして理不尽な王子の決定。公爵に次いでの権力を持つハインリヒ侯爵でさえ、その命令には逆らえなかった。反抗し続けることもできた。しかし国家反逆罪にでも問われれば、一家もろとも深淵に落ちる。皆を救うためには一人を犠牲にするしかない。元騎士である侯爵らしい考えだったが、己の無力さに涙をのんだ記憶は新しい。


「私は大丈夫ですから。お手紙もお送りしますね」


 レイは手袋をはめた手を父に差しだし、にっこりと微笑んだ。


 つややかな黒髪には濃紺のリボン。瞳の色がよく映えるブルーのドレスは、この日のために至急あつらえたものである。過酷な運命に立ち向かう娘に何もできないことへの、せめてもの償いだった。


「レイ……」


 母が震える手を差し伸べ、レイはその手をとる。しっかりと抱き合った母娘の間には、紙一枚の隙間もなかった。レイは母の髪に顔をうずめながら、傍らに立つ妹に腕を伸ばす。レーナがしっかりとレイにしがみつき、父が最後に大きな腕で三人を抱きしめた。


「元気でいるのよ」

「お姉さま、離れていても、レーナはお姉さまが大好きです」


 父の言葉はなかったが、家族をしっかりと抱きしめるその腕の大きさだけで、気持ちは十分すぎるほど伝わってくる。


「馬車が待っていますから」


 レイは家族から身体を離し、くるりと後ろを向いた。


(だめよ)


 不覚にも、両眼に浮かんだ涙を必死で飲み込み、レイは一歩踏み出す。


 ここから先は一人だ。レイを苦しませるためとしか思えないが、侯爵家に仕える使用人を同行させることは一切禁じられた。幼いころから慣れ親しんだレイ付きのメイドも、下働きに至ってもだ。


 レイはたった一人で馬車に乗り込んだ。レイの境遇を知ってか、御者は普段よりも丁寧に荷物を受け取り、普段よりも丁重にドアを開ける。


 レイは孤独だった。


 馬車が動き出す。レイはまっすぐに背筋を伸ばし、揺れる馬車に身を任せた。まっすぐに前を見つめる。





 目に見えて、周囲の景色が変わり始めた。王都と領都しか知らないレイにとって、森と草原に囲まれた景色を見るのは初めての経験である。思わず窓を開け、すがすがしい風に吹かれてみる。髪が浮き上がり、緊張して火照った頬を風がひんやりと撫でた。


「なんてきれいなの」


 どこまでも続く森の稜線の、なんと雄大なことか。あの黄金の稲穂は、触れてみればどんな心地がするのだろう。


 大自然に見とれているうちに、馬車は小さな町に出た。馬車の揺れが変わっている。どうやら、石畳を走っているらしい。


「もうアロアに入ったのですか?」


 御者に尋ねると、御者は首を振った。


「いいえ、ここは侯爵領とアロア領の境です」

「じゃあ、シーナね?」


 シーナは小さな町だが、大きな関所があると聞いたことがある。アロア領に入る旅人や馬車を検問するのだ。周囲を見てみれば確かに、たくさんの樽を積んだ荷馬車やほろ馬車が多く見える。アロアの特産品を売っているらしい店もちらほら見受けられた。


「あれは何?」


 遠くに見える堅牢な石造りの建物。のしかかってくるような威圧感を感じる。なんとなく喉が委縮する。


「あれは衛兵の詰め所ですよ」

「衛兵?」


 レイは訝し気に眉をひそめた。あれほど大きな詰め所が必要だろうか――そこまで考えて、レイははっとする。そんなレイの気持ちを読んだように、御者が控えめに言った。


「土地柄、警戒が必要なんですよ」


 そう、アロアは辺境の地だ。街の向こうに見えるのは街並みではない。どこまでも続く広大な森である。木々はそろって背が高く、太い梢がざわざわと風に揺られている。


 アロアはフローミィ最北端の領である。そこを治める伯爵は、貴族というよりは騎士としての役割が大きいらしい。毎日黒馬に乗って森を駆け巡り、人にあだなす魔物を狩っているのだと誰かが噂していた。魔物が現われるのだ。アロアには魔物がいる。


 黙り込んだレイをのせて、馬車はある建物の前で停車した。看板をみると、どうやら旅館のようである。御者がドアを開け、レイに手を差し出した。


「ここでいったん、馬車を乗り換えていただきます」

「……わかったわ」


 レイが馬車から出ると、御者が次々と荷物を下ろし始める。気まずい思いで立っていると、ふいに後ろから声がかけられた。


「レイ・ハインリヒ侯爵令嬢様」


 レイが振り返ると、そこにいたのはすらりと背の高い女性だった。


「ここから先は、私がご案内いたします」


 そう言ってぺこりと頭を下げた女性は、アロア領主であるスカイラネン伯爵に仕えるメイドだと名乗った。


(この国の人じゃない……)


 レイは、よろしくお願いしますと小さく礼をしながら、彼女の変わった容貌を見て驚く。小麦色の肌に、亜麻色の髪。そして瞳の色は深いブルー。フローミィではまず見かけることのない外見をしていた。


 サバナ。どこかで読んだ書物に書かれた国名が浮かんだ。海を越えた遠くに位置する、砂の海が広がる灼熱の国。そこに住まう人々は、茶色の肌と茶色の髪をしている者が多いらしい。レイにとっては名前しか聞いたことのない未知の地である。


 彼女のぴんと伸びた背筋といい、真剣なまなざしといい、満ち溢れる誠実さはレイを安心させてくれる何かがあった。


「申し遅れましたが、私はアイシャと申します。御用があれば、何なりとお申し付けください」

「ええ、こちらこそ」


 ようやく浮かんだレイの微笑みも、あっという間に掻き消えることになる。


「こちらにお乗りください」


 アイシャが導いたのは、一台の馬車だった。それを見て、レイは一瞬言葉を失った。一般の令嬢が乗る、華奢で装飾が施された馬車ではない。


 分厚いドアには、伯爵家の紋章である飛び立つ鷲の姿が刻印され、窓にはカーテンはなく、すりガラスに重ねるように鉄格子がついている。車輪は巨大で、地面よりもはるかに高い位置にドアがあった。そして車体に取り付けられた鉄板。これでは、貴族の乗る馬車というよりも護送車のようだ。


 いや、そうなのだ。レイは気づく。この馬車は、レイを安全に伯爵邸まで連れていくための護送車なのだ。魔物のうようよする森を抜け、彼らのするどい牙や爪から身を護るための馬車。


 辺境アロア。その厳しさを、レイは今初めて、身をもって味わったのだった。





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