第49話 これからのこと

「私、もう帰れないんですか?」

「この場にあった術式を、解明する事は出来ます。あのメルアという女から、過程を聞き出すことも可能でしょう。ただ……」

「召喚術というのは、偶然の産物なんだ。基本的には禁忌とされているから、実行する者が少ない事に加えて失敗が多いのもそのせいで、完全に解明されたという事例はない。ましてや、今回の場合は……」


 先ほどロベルトが言っていた通り、召喚よりも呼び出した異世界人をドラゴンに変化させる事に特化していたのだとしたら、元々不安定だという召喚術が精査されていたとはとても思えない。

 術式の痕跡が消えてしまっては、元の世界への道を辿ることは不可能だといっても間違いではないだろう。


 不老不死という個人的な欲望の為だけに、魔物を生贄にしたり異世界人を呼び出しドラゴンに変えようとしたり、王やメルアの思考がとても人道的な思考とは思えない。

 異世界からの召喚も、一度で成功させる必要はなく、何度かは失敗しても良いという考えが、元々あったのではないだろうか。

 陽奈子の召喚に成功したのはただの運で、本当ならばもっと沢山の人が犠牲になっていた可能性さえある。


「私、これからどうすれば……」

「助けてやれなくて、すまない」

「それは違います!」


 絶望感に苛まれるが、マティスの謝罪の言葉が聞こえてきて、反射的に顔を上げる。

 もう二度と元の世界に帰れないのは、もちろん辛い。

 何も知らないこの世界で、この先どうやって生きていけば良いのか、見通しも立たない。

 けれど、マティスが謝る事は何もなかった。


 マティスとロベルト、リディの助けがなければ、陽奈子はドラゴンの姿のままどうすることも出来ず、動けなかったに違いない。

 言葉も通じず、誰かを傷つけるばかりの牙や咆吼、吐き出される炎に怯えたまま、殺されてしまっていたかもしれない。


 陽奈子を掬い上げてくれたマティスが、謝る必要なんてどこにもなかった。

 勢いよく首を横に振って否定する陽奈子に、マティスが驚いた顔をする。


「ヒナ?」

「マティスさんが居なかったら……私は今こうして、元の姿で笑えていません」


 少しぎこちない笑みだとは自分でもわかっていたけれど、何とか口角を押し上げてマティスに向かって笑ってみせた。

 何も知らない陽奈子を無理矢理呼び出した挙げ句、ドラゴンに変えて心臓を取り出そうとしていたのは、この国の王とメルアの目論見であり、マティスに否がない事は明らかだ。


 むしろマティスは、突然現れた異物であるドラゴンの存在にいち早く気付き、世界の秩序を守るために行動したに過ぎない。

 おかげで陽奈子は命拾いしたのだし、ドラゴンの姿のまま一生を終える悲しい最期を迎えずにすんだ。


「無理しなくて良い」


 感謝こそすれ、責めるつもりは一切ない。

 それを伝えたくて笑って見せたつもりなのだけれど、マティスには陽奈子がやせ我慢をしている様に見えたのだろう。

 それは確かに間違いではないけれど、マティスに感謝している気持ちは嘘ではなかった。


 陽奈子に向かい合ったマティスが、一歩近付いて陽奈子の背中にそっと両手を回した。

 マティスの胸に顔を埋める形になって、勝手に涙が溢れ出す。

 我慢していたつもりはなかったのだけれど、やはり突きつけられた事実は心を抉っていたのかもしれない。


 わんわんと泣き出した陽奈子を、マティスは何も言わずに更にぎゅっと強く抱きしめてくれた。

 ひとしきり泣くと、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。

 もう帰れないという事実を、完全に受け止めるにはまだ時間はかかるかもしれないけれど、前に進まなくてはいけないという意思が、じわじわと生まれてくる気がする。


 とはいえ、この先どうやって生きていくかが問題なのは、変わらない。

 迷惑をかけてばかりだとわかっているのに、頼れる人がマティス以外にいないのも、また事実だった。

 ゆっくりとマティスから離れて顔を上げると、目尻に残った涙のしずくをマティスが拭ってくれる。

 その瞳がとても優しくて、とくんと胸が高鳴った。


(もう少しだけ、甘えても……良いのかな?)


「マティスさん」

「ん、どうした?」

「私と……お友達になってくれますか?」

「は?」


 陽奈子が勇気を振り絞って出した言葉に、マティスがぽかんとした表情で首を傾げ、隣にいるロベルトが盛大に吹き出した。


(あれ? 何か間違った?)


 この場面で、いきなり「好きです」と告白するのは違う気がしたし、迷惑にしかならない事はわかりきっている。

 全面的に寄りかかるつもりはないけれど、この世界で一人で生きていけるようになるまでは、味方で居て欲しい。


 多少甘えてしまうのは許して欲しいけれど、友人としての距離感ならマティスの負担も最小限ですむと思ったし、このままただの知り合いでいるよりずっと、陽奈子の心も安定する。

 「お友達から始めて下さい」ではないけれど、いつかマティスの隣に立つ権利を手に入れる努力をする為の、最初の一歩としてはこの辺りが順当だと思われた。


 陽奈子的には一世一代の告白ではあったのだけれど、どうやら何かを外してしまった感は否めない。

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