第48話 術の消失

「マティスさん」

「ん?」


 リディには牽制なんて必要ないなんて笑って言えたし、本当にお似合いの二人だと思っていた。

 ドラゴンの姿ではどうにもならないとわかっていたから、あの言葉は本心だったけれど、ずっと変わらないマティスの笑顔に欲が出てしまう。


(やっぱり私も、リディさんやロベルトさんのライバルに、立候補したい)


 元の姿に戻れたからといって、現金だとは思うけれど、マティスの隣に居る権利が欲しくなってしまった。

 報われなくても良い。

 意を決して、想いだけでも伝えようと顔を上げたその時、足下の模様がぼんやりと輝き始める。


「……きゃ、何?」

「おっと、どいう事だ?」


 陽奈子とマティスの足下で、じわじわと模様が消えかけている。

 その光は、まるで術式の最後のあがきの様にも思えた。


「いけない! 二人とも下がって下さい」

「何が起こっているんだ?」

「この呪術陣は、一度発動すると長くは持たない様です。術式の崩壊に巻き込まれる可能性があります」

「ヒナ、立てるか?」

「は、はい……あれ?」


 珍しく焦った声で退避を促すロベルトに、マティスがすぐに状況を察して立ち上がり、陽奈子に手を伸ばす。

 マティスの手を握って一歩踏み出そうとしたけれど、何故か上手く足に力が入らない。

 立ち上がるところまでは平気だったのに、この後どう身体を動かせば良いのか、急にわからなくなってしまった様だ。


 ドラゴンから人間の姿に戻った影響なのか、それともあまりにも色々な事がありすぎて身体が付いて行けていないのか、腰が抜けるとはこんな状況をさすのかと驚いてしまうくらいに、自分の身体を上手く動かせない。

 そうしている間にも、地面に描かれた模様はどんどんと発光して、そこから薄くなっていくのがわかる。


(もしこのまま動けなかったら、私もこの模様みたいに消えちゃうの?)


 不安が頭をよぎり、ますます身体が硬直する。

 焦れば焦るほど、身体が自分の言うことを聞いてくれなくなっていく。


「ヒナ、大丈夫だから、そのままじっとしてて」

「えっ……きゃぁ!」


 差し出された手を握ったまま、一向に動き出せない陽奈子の様子を察したのか、マティスがぐいっと繋いだ手を引き寄せたと思った次の瞬間。

 陽奈子の身体は、地面を離れていた。


 抱き上げられていると気付いた時には、マティスが颯爽と模様の外へと陽奈子を連れ出してくれている。

 マティスが、先に部屋の隅に非難していたロベルトの横に並んでから数十秒で、部屋一面に描かれていた模様は綺麗さっぱり消え失せてしまった。


 あっという間に、単なる塔の中にある何の変哲もない一部屋に戻る。

 この場所で、人の姿を変える大がかりな術が行われたとは、とても思えない殺風景さだった。


「何もなくなったな」

「初めから長く持たせるつもりはなく、召喚よりも変化に特化させた術式だったのでしょう」

「だが、これだと……」

「ヒナが元いた世界へ繋がる痕跡を辿るのは、かなり難しいでしょうね」


 マティスとロベルトの会話の中には、どこか陽奈子への哀れみが混じっているのを感じた。

 二人の視線が、マティスに抱き上げられたままの陽奈子に注がれる。

 その真剣な眼差しが向けられ、陽奈子はもう二度と元の世界へと戻れないのだと、悟るしかなかった。


「下ろして、ください」

「あぁ」


 このまま温もりに包まれていたら、縋り付いて泣いてしまいそうで、ぐっと歯を食いしばる。

 マティスは何も言わずにただ頷いて、優しく陽奈子を地面に下ろし、身体に上手く力が入らない事を慮ってか、そっと腰に手を当てて補助してくれた。

 おかげで、腰が砕けることなく自分の足で立つことが出来て、ほっと一息つく。


 再び部屋を一通り見回してみるけれど、そこには何もなく薄ら寒いワンフロアと、ぽっかりと空いた天井があるだけだ。

 この場所に、陽奈子の非日常が始まった形跡は何もない。

 実際には、陽奈子が召喚されたのは全く同じ作りのもう一つの塔だけれど、恐らくほぼ同じ状態と考えて良いだろうし、既にもう一つの塔は壊れてしまっているので、ここより状態が良いとはとても思えなかった。

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