第47話 元の姿

「ヒナ、大丈夫か?」

「マティス、さん……」


 陽奈子を支えてくれたのは、いつの間にか傍に駆け寄ってきてくれていたマティスだった。

 ふわりと額に当てられたマティスの手は、とても冷たくて気持ちが良い。

 ドラゴンのゴワゴワとした皮膚では、上手く感じられなかった温度が、今はダイレクトに伝わってくる。


 その感覚を自覚した途端、燃えるように熱かった身体中の熱が、ゆっくりと冷めていくのを感じた。

 マティスの触れる手が心地よくて、このまま意識を手放してしまいたい衝動に駆られるけれど、心配そうなマティスの声に、重い瞼を押し開ける。


「ヒナ?」


 瞼を震わせながら目を開けると、ものすごく近い距離でマティスが陽奈子をのぞき込んでいた。

 肩の辺りを、優しく抱きしめられている感覚もしっかりとある。

 どうやら陽奈子の体は、すっぽりとマティスの胸の中に閉じ込められている様な状態だった。


「…………っ!?」


 マティスに抱きしめられていると気づいた途端、消えかかっていた意識がものすごい速度で戻ってくる。

 と同時に、至近距離で王子様スマイルを浴びてしまい、恥ずかしさに耐えきれず飛び起きた。


「元気みたいで、良かった」


 飛び退くように離れた陽奈子の視線の先で、驚いた様子のマティスが笑っている。

 首を多く下げなければ合わなかったはずの視線が、真っ直ぐに合う。いやむしろ、頭上にあった。

 今まで小さく見えていたマティスが、やけに大きく見える。


「どうやら、上手くいったようですね」


 マティスの背後から、ゆっくりと歩いてくるロベルトの視線も、同じ高さだ。

 二人が陽奈子よりも高い位置にいるのだという事を理解して、やっと自分自身を確認する様に視線を下に落とす。


「私、元に……?」


 そこには、くすんだ深緑の堅い鱗も巨大な尻尾も尖った爪もなく、声を出すだけで火を噴く恐ろしく大きな口も、一歩で何人もの人間を踏み潰してしまえる足もない。

 一般的な日本人の肌色をした二本の手足が、もこもこした肌触りのパジャマの間から覗いていた。


 軽く両手を上げて、くるくると表裏にひねってみると、そろそろちゃんと磨かなくちゃと思っていた爪が、指に沿うように丸く付いているばかりで、誰かを切り裂いて傷つける事なんてとてもじゃないが出来そうもない。

 マティスの腕の中で少し体をひねってみるが、少し大きめでコンプレックスなお尻からは、尻尾なんて生えてもいなかった。


 マティスに支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。

 久しぶりに二本の足で地面に立ち、くるりと一回りしてみた。

 紛れもなく正真正銘ただの女子高生である、陽奈子の見慣れた身体でしかない。


(本当に、戻れたんだ!)


 隅々まで確認して、やっと実感が沸いてきた。

 視線を再びマティスとロベルトに戻すと、二人は力強く頷いてくれる。

 それこそが一番の証明となり、陽奈子から自然な笑みが零れた。


「やっと、本当のヒナに会えたな」

「まさか、こんなに若くて小柄なお嬢さんだったとは、思いませんでした」


 目を細める二人の視線に晒されて、途端に今の格好が恥ずかしくなってくる。

 この世界に呼び出される直前の陽奈子は、お風呂に入ってから寝るまでの間の、だらだらとした時間を過ごしていた。

 つまり、完全に寝間着姿である。


 唯一の救いは、ボロいスウェットじゃなくて比較的可愛いパジャマの日だった事だが、それでも寝る前だったので、髪型もぼさぼさだし可愛く整えられている格好ではない。

 もちろん、ドラゴンの姿と比べればちゃんとした女の子ではあるのだが、非の打ち所がない完璧なイケメン二人に囲まれているので、身だしなみが整っていない状態なのがやけに気になってしまう。


 召喚されてきた事も、この世界の人間ではない事も、もちろんマティスとロベルトはわかってくれている。

 服装も髪型も化粧も、この世界とは違うと言うことも理解はしてくれているだろう。

 だからこそ、こんな気を抜いた格好が普通ではないのだと、声高らかに訴えたかった。


 お洒落にもの凄く気を遣うタイプではないけれど、それでも一般的な女子高生程度には、可愛らしさへのこだわりはある。

 かといって、これは家族や仲の良い友人くらいにしか見せたことのない寝る前の格好だと、わざわざ宣言して弁解するのも、それはそれで恥ずかしい。


「……あんまり、見ないで下さい」


 結局、助けてもらった二人に最初に言う言葉としては、あまりにもな台詞しか出てこないのが情けなかった。

 大きなコンプレックスはないけれど、飛び抜けて誇れるところもない。いわゆる、人並みど真ん中なのである。

 「もう少し、自分に自信が持てるような容姿だったら良かった」と、この時ほど思ったことはない。


(せめて昼間の、ちゃんとしている格好だったら良かったのに)


「ヒナがあんまり可愛いから、じろじろ見過ぎた。ごめんな」


 驚きのあまり陽奈子が飛び退いてしまった数歩分を再び詰めて、マティスがぽんっと優しく手を陽奈子の頭に乗せ、笑いながら謝ってくれる。

 お世辞でも「可愛い」なんて言葉を加えてくれたから、一気に体温が上昇した。


 強くて、格好良くて、どこまでも優しい王子様。

 いや、どうやらこの世界の王様らしいマティスは、最初に出会った時からちっとも変わらない。


 あんなに恐ろしいドラゴンの姿だったのに、マティスはずっと陽奈子を「可愛い」と言い続けていてくれた気がする。

 こんな素敵な人を、好きにならない方が無理だ。

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