第45話 静かな怒り

「ヒナ、俺が怖いか?」

「いいえ! マティスさんは、私にずっと優しくしてくれました。感謝する事はあっても、怖いだなんて思った事はありません」

「そっか」


 今までの威圧的なものとは打って変わって、しょんぼりしたマティスの声に、慌てて全力で首を振る。

 マティスの正体が何だったとしても、絶望していた陽奈子を掬い上げて助けてくれた事実は変わらない。


 陽奈子が、躊躇なくすぐに否定したからだろうか。嬉しそうな王子様スマイルで、マティスが陽奈子の大きな足を「ありがとう」と撫でてくれた。

 頭を撫でてくれようとしたのだろうけれど、陽奈子がマティスを嫌っていない事を伝えるのに必死で首を下げられなかったのは、痛恨の極みである。


「召喚陣と変化の術式は、まだ残っていますか?」

「答えると思うの?」


 ロベルトの言葉は穏やかだったからこそ、メルアは強がったのかもしれない。

 ただそれは悪手だった様で、ロベルトは「ふっ」と小さく笑い、直後に手に持っていた魔導書が開かれ、巨大な氷の刃を空から降らせた。

 縛られていた王とメルアだけでなく、兵士達全員をも囲む様に次々と突き刺さり、あっという間に氷の檻となって、その場にいた全員を封じ込めた。


 半狂乱になった王が、縛られたまま冷たい氷の檻に縋り付く。

 見ている方が冷たそうだったけれど、禄に身動きも取れないまま罪人のように捕らえられた王は、それどころではないらしい。


「す、すまなかった! もう二度としないと誓う!」

「さて、もう一度だけ聞きましょう。使った術式を教えなさい」

「メルア、早く答えろ!」


 王を王とも思わない態度で見下しながら、冷静な声で問いかけるロベルトの冷たい視線を受け、ヒュッと息をのんだ王が、メルアに必死で命令する。

 メルアもこれ以上は身の危険を感じたのか、悔しさの滲み出る声で小さく呟いた。


「……あんた達が凍らせたあの塔に、予備があるわ」

「それは良かった。命拾いしましたね」

「答えたぞ! 早く出してくれ!」


 ロベルトはにこやかに応答しているが、もし術式が残っていなかったり応えなかったりすれば、容赦なく命を奪っていたと言わんばかりだ。

 交渉の一切を任せているのか、マティスもロベルトのやり方に口を出さない。


 それが余計に恐ろしさを増幅させているのか、王は部下達に自分がどのように見えているのか考える余裕もないらしい。

 なりふり構わない必死な姿を、少し哀れにも思う。

 根本原因は王自身にあるので、自業自得感は否めないが。


「この辺りの気候は穏やかです。数日も経てば、自然に溶けますよ」

「そんな……」


 寒くはないが暑くもない穏やかそうなこの国の気候だと、ロベルトの生み出した巨大な氷の檻は、暖かさだけで溶けるようには見えなかった。

 だが、ロベルトはこれ以上の温情を与える気はないようで、くるりと背を向けてしまう。


「ロベルトのやつ、結構怒ってんな」

「そ、そうなんですか?」


 陽奈子と言葉を交わしてからは怒りが収まったのか、すっかり元通りになったマティスが、ロベルトの後ろ姿に向かってくすりと笑う。

 マティスの言葉に首を傾げると、苛つきを隠そうともしていないロベルトが、陽奈子の隣に並ぶ。


「当たり前です。解除術を確立しないまま術を使うなんて、あり得ません。しかもヒナのような何も知らない女の子を異世界から呼び出しておいて、行う所業じゃない」


 ロベルトが怒っている理由の大半は、術を取り扱う者であるにも関わらず、矜持のなさに対するものである様だった。

 魔族が使う魔法と、人間が使う術は、源となる力こそ違えど通じる所があるのだろう。

 けれど怒りのその中に、少しだけ陽奈子の為を思って怒ってくれている優しさが混じっている。


 めまぐるしくて忘れてしまいそうになるけれど、マティスやロベルトと出会ってまだ丸一日も経っていない。

 にも関わらず、マティスやロベルトが、沢山の優しさで陽奈子を包んでくれているのを感じた。


「私、もう元の姿には戻れないんでしょうか……」


 二人の気持ちは嬉しく思うものの、それでも元に戻れる可能性を絶たれた事実に違いはない。

 気落ちする感情は抑えることが難しく、声が震えた。


「大丈夫、ロベルトがなんとかするさ」

「え?」

「どうやらヒナを呼び出して変化させた陣と同じものが、そのまま残っているようですからね。リディから解読呪文を預かっていることですし、なんとかしてみせます」


 メルアが用意していたらしいスペアを見れば、ロベルトにも術式が理解できる可能性が高いらしい。

 マティスとロベルトの言葉は確信に満ちていて、もしかしたらなんとかなるんじゃないかと思わせてくれる。


「よろしくお願いします」


 こういう時、陽奈子がすべきことはただ一つだ。

 信じて、頼って、頭を下げる。

 ただそれだけで、マティスもロベルトも、笑って「よし」と言ってくれるのを、もう知っていた。


「じゃあ、あれ溶かせ」

「わかっています。壊さなくて良かったでしょう?」

「はいはい。俺が軽率でした」

「あ、あの……あの方達は?」

「平気ですよ。飢え死にする前には、溶けます」


 凍らせてあった塔を、あっという間に簡単に溶かして元通りの姿にしたロベルトに、そっと氷の檻に囚われている人々は助けないのかと振り返る。

 だが、ドラゴンの姿である陽奈子が視線を寄越したのが恐ろしかったのか、そこには助かるかもしれないという期待よりも、食われるかもしれないという絶望の方が濃い様子だ。

 放っておいても大丈夫だとロベルトが冷静に言うので、それ以上は触れない事にする。


 マティスに「殺すな」と止めてくれたのはロベルトだし、きっと反省する頃には出してあげるに違いないと、思っておくことにしよう。

 一番怒っているはずの陽奈子が、一番心配しているこの状況が少しおかしい。


(それだけ、マティスさんとロベルトさんが、私の代わりに沢山怒ってくれたって事だよね)


 陽奈子の中の負の感情が大きくなる前に、全てを収めてくれた。

 だからこうして、心穏やかに陽奈子を酷い目に合わせた元凶である、この西の国の王やメルアを哀れむ事が出来ている。

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