第36話 生贄の存在

「多分、その時に初めて、空を飛んだ……?」


 ぐんぐん小さくなっていく人々を眼下に捉えて、何かわからないけれどとても恐ろしい「もの」から遠ざかれたという安心感からか、陽奈子はそこで意識を手放した。

 目が覚めたときに空を飛んでいたという事は、そのまま無意識の内にも、身体は飛行を続けていたという事だろうか。


「ヒナは正常に召喚された後に、この世界で身体をドラゴンに書き換えられた?」

「そんな事が、可能なのでしょうか……」

「可能だったんでしょ。現にヒナちゃんは、今ドラゴンの姿でここにいるんだから」


 それならば、結界が破られていないのにドラゴンが出現した理由にも、陽奈子が自我を失っていない事にも、納得がいく。

 そうリディが付け加えると、マティスとロベルトもその仮説に反論はないといった風に、険しい表情で頷いていた。


「気になるのは、その女ってやつと光る動物だな。リディ、思い当たる奴はいるか?」

「上下に模様が描いてあったって言ったわね。それってこういう感じかしら?」


 リディがどこからともなくその手に杖を出現させ、さらさらとチョークで書くように地面に模様を描いていく。

 当時は、睡眠中に夢を見ているのと近い感覚で頭がふわふわとしていたし、突然の知らない場所と知らない人の出現に焦っていたこともあって、複雑な細かいところまでは覚えていないのが本当のところだ。

 ただ、リディの描いたその模様は、確かに陽奈子の記憶の片隅にあるものと、似ているような気する。


「似ている……と思います。ちゃんと見た訳でも覚えている訳でもないので、あまり自信はないですけど」

「人間が使う、呪術陣の一種だと思うわ。人間は魔力を持たないから、普通は変化術なんて使えないはずだけど……」

「手を貸した魔族がいる、という事でしょう」


 リディの疑問に、ロベルトが冷静にけれどどこか忌々しそうに言葉を繋げた。

 その可能性が高いとわかっていたのか、リディも小さく頷く。


「えぇ。でも人型の魔族は、人間と関わる事をあまり好まないから……光っていたという動物が、魔族だと考えるのが妥当でしょうね」

「動物型のやつら、基本的には喋れないだろ? それって協力って言うより……」

「捕らわれて、無理矢理力だけを奪われた上で、生贄にされた可能性が高いわね。害のない子が大半なのに、酷い事をするわ」


 マティスの言葉を引き継いだリディが、痛ましげに目を伏せる。

 ロベルトの表情が険しかったのは、その身に半分動物型の血が流れているからだろう。

 同じ種族の誰かが、生贄にされて魔力を搾取されたのかもしれない等と言われたら、当然の反応である。


「今回が、初めてではないかもしれませんね」

「そうね。魔族を生贄に使う程の術となると確かに簡単ではないでしょうけど、召喚した人間をドラゴンに変化させるなんて、大がかりすぎるわ。何度かは、もう少し小さな術で試していた可能性が高い」


 陽奈子の要領を得ない言葉を元にしているとは思えない程、次々と今の状況に至る理由が、明確になって行く。

 沢山の犠牲の下に試された結果が、今の陽奈子の状況なのだとしたら、あまりにも酷い。

 そして陽奈子もまた、実験の一つなのかもしれないと思うと、ぞっとする。


「……そう考えると、西の方が怪しいな」

「マティス様、お心当たりが?」

「ここ最近、西にある人間の都付近の魔族分布が変わってきているんだ。今までは、大人しいタイプの動物型大多数を占めていたのに、急激に減って凶暴で大型の奴らがじわじわ増えてきてる」

「何者かの手が入った可能性がある、と」

「まだ微増って感じだけど、劇的な環境変化があったわけでもないのに、わざわざ縄張りを移動させるのもおかしいだろ?」

「確かに」


 マティスは、世界中の魔族分布を把握しているのだろうか。

 強いという事実はわかっていても、ロベルトとは違って、剣だけで戦う姿しかみていないので、マティスが魔族かどうかは今だ不明である。

 研究者にはあまり見えないけれど、世界を守護しているというリディとも知り合いであるところを見ると、もしかするとマティスも大きな使命の様なものを持っているのかもしれない。


 だが今は、陽奈子の疑問を口に出して、会話の腰を折っている場合ではない。

 マティスはいつも、軽い口調で話してくれるけれど、本来は他人に知られてはいけない事なのかもしれないし、踏み込んで良いのかどうか判断が難しい。


 リディの事だって、こんな人里離れた場所で暮らしている事もあるし、守護結界というのもほぼ対ドラゴン用だ。

 外部に漏れて良い存在ではないのかもしれないのに、陽奈子があまりにも哀れだったから、連れてきてくれたに違いない。

 あまり深くに踏み入れず、機会があったら聞いてみる位にしておくのが、安全なのかもしれなかった。


「他の地域で増減があった気配もない。人工的な変化があったと考えた方が、説明がつく」

「西の都と言えば、最近国王が代替わりしたはずだけど、それと同時に宮廷魔術師に出自不明の女が就任したって噂を聞いたわねぇ。当たりかも」


 理解出来ない事も多いけれど、黙って話を聞いている限り、意識がない間も飛び続けたこの丈夫なドラゴンの身体は、生贄になったかもしれないというあの猫に似た動物型の魔族のせいであり、同時にそのおかげで助かったとも言えそうだ。

 動物型の魔族が陽奈子に同化していたからこそ、意識を失っていても羽ばたいていられたのかもしれない。


(今も私の中に、あの光る動物がいるのかしら?)


 ただその存在は、陽奈子には全く感じられない。

 陽奈子が意識を取り戻すと同時に消えてしまったのか、それとも今もどこかで眠っているのか。

 もし自分の意思とは関係なく、無理矢理力を奪われ生贄にされてしまったのだとしたら、生きていて欲しいと思う。


 魔族という未知の存在が、陽奈子の中にいるのかもしれないと聞いて、怖くないと言えば嘘になる。

 けれど、ロベルトやリディを見ていれば、この世界において魔族は悪者ではない。

 むしろ、陽奈子を召喚したと考えられる、人間の女性の方が恐ろしい気がした。


 あの時あの場所から飛び立たず、もし逃げ切る事が出来なかったとしたら、今頃陽奈子はどうなっていただろう。

 ブルリと身体が震え出すのを、止められない。

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