第19話 元いた世界とは違う場所

「さて、そろそろ会話してくれる気になったかな?」

「ごめんなさい。初めての事ばかりで、怖くて……」

「俺はマティス。んで、こっちの堅そうなのがロベルトだ。よろしくな」


 怖がってばかりで、最初からずっと優しかったたマティスに対して、陽奈子は何も言えなかった。

 その事を申し訳なく思って、謝る陽奈子に「気にしていない」と態度で示す様にただ頷いて、マティスは優しい自己紹介をくれる。


 ロベルトも既に警戒は解かれているのか、マティスの紹介とともに、軽く会釈をしてくれた。

 陽奈子を敵ではないと判断してくれた二人の姿に、涙が出そうになりながら、潤んだ声で言葉を紡ぐ。


「高村陽奈子です」

「タカ、ムラ……?」


 フルネームを名乗ったら、マティスが発音しにくそうに繰り返して、首をかしげた。

 比較的単純な部類である苗字だが、この世界はそもそも日本語の発音を使っていない。

 それに、マティスもロベルトも、カタカナ表記としか思えない名前なので、陽奈子にとっては単純でもマティスにとってはそうではないのだろう。


 この世界が日本ではない事は、既にわかりきっていた事だったのに、改めてここは異世界なのだと思い知らされる。


「陽奈子です。ヒナって、呼んでください」


 慌てて言い直し、もしかしたら「ひなこ」も馴染みがないかもしれないと気付いて、家族や友人に呼ばれている愛称を告げる。

 すると、マティスはそれを飲み込んだように頷いて、数回陽奈子の名前を繰り返した。


「了解。ヒナ、覚えた」


 向けられる笑顔が眩しくて、顔の温度が上昇する。

 ドラゴンの姿では、実際赤面しているかどうかは怪しいところではあるけれど、陽奈子が名前を呼ばれて照れた事は伝わったらしい。


 最初から変わらぬ笑顔のマティスの隣で、こちらをじっと観察する様に見つめていたロベルトの表情が、初めに向けられていた敵意から呆れに変わる。

 そしてとうとう、最終的に心配というか憐れみの様なものに流れるように変化していく。


 ブラントが「お前には似合わない」と言っているのは一目瞭然だった。

 心配してもらわなくても、陽奈子とマティスが釣り合わない事くらい理解している。


 キラキラの王子様と、化け物であるドラゴンがどうにかなる世界線なんて、誰が考えてもあり得ない。

 それでも、素敵な男性が目の前に居るのだ。想うだけは、許して欲しい。

 これはそう、テレビの中の手が届くはずがないとわかっていても、つい目で追いかけてしまうという、アイドルや俳優に抱く、憧れに近いもののはずだから。


 二次元よりも近くて、でも実は同じくらい遠い、そんな人を追いかける感覚。

 「せめてこの身体が元の人間の姿だったら」と思わなくもないけれど、例え元の姿だったとしても、平凡な陽奈子と王子様なマティスが釣り合わないという事実は、変わらない。

 推しや憧れの人との距離感は、心得ている。


(この姿が「王子様のキスで解ける呪い」とかだったら、良いのに)


 異世界ファンタジーと、おとぎ話の合わせ技で、結果単純な事になっていたりしないだろうか。

 希望的要望が強すぎて、思考が完全にぶっ飛んだ方向に走り出している自覚はあったけれど、この状況から脱する方法が、全く思いつかないのだから仕方ない。


 とはいえ、本当に何かの呪いにかかっていてこの姿にされたのだとしても、巨大で恐ろしいドラゴンに怯まずキスをしてくれる王子様なんて、それこそおとぎ話でもない限り現れない。

 姿を変えられた者の呪いを解くのは、どちらかといえば王子様ではなくお姫様の役目だという大前提は、この際忘れておく。


 現実逃避に向かう思考が、多方面に飛び交っている陽奈子を現実に引き戻したのは、パンっという大きな音だった。

 はっとして視線を眼前に戻すと、それはそれはうんざりしたような顔で、ロベルトが手にあった分厚い本を閉じた音だった。

 大きくため息をつくロベルトと、視線が合う。

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