第5話 人間からの敵意
「やめて下さい! 私、何もしません!」
声は出ないとわかっていたのに、思わず叫んでしまう。
この時、陽奈子の口から吐き出されたのは、人間に通じる言葉でも、ましてやあの恐ろしい咆哮でもなかった。
「ちょ、何で火が出るのよ!」
恐怖を遠ざけたいという、陽奈子の心からの叫びに呼応したように、大きく開けた口から吐き出されたのは、火というには生易しい炎の塊だった。
つい先ほど、何も分からずに空を飛びながら考えた可能性の一つ。
鳥達には逃げられたけれど、出なくてよかったと安堵したその可能性。
あの時の予想よりも、遙かに巨大で辺りを真っ赤に焼きつくす程の、攻撃性を持った炎。
出ても咆吼だと思っていたから、全く違うものが自身から飛び出て、一番慌てているのは陽奈子自身だ。
だが、どうしてよいかわからない陽奈子を置いてけぼりにして、言葉を発する度に、口からは巨大な炎の塊が吐き出され続ける。
しかも、襲ってくる男たちに向けて「止めて欲しい」と告げた言葉だったから、その炎は迷うことなく、彼らを襲い焼き殺してしまう様な勢いで、真っ直ぐ進んで行った。
「くそ! ドラゴンめ……なんという強さだ」
屈強な騎士が、なんとか巨大な盾を手に先頭に立ち、全力で一緒にいた男達を守ってはいるが、その防具もそんなに長く持ちそうにない。
このシチュエーションを端から見れば、完全に陽奈子が悪者である。
ゲーム世界であれば、勇者に倒されるべき、人間を襲って暴れる魔物そのもの。
「やだやだ、止まって。そんなつもりじゃないんだから!」
泣き叫びたいのは、誰よりも陽奈子自身である。
元々、逃げ出す気満々だったのだから、攻撃しようなんてこれっぽっちも思っていない。
(何で突然、炎なんか出て来るのよ!)
何とか文句をこれ以上声には乗せず、心の中で押しとどめなければという思考が働く。
けれど既に、陽奈子は人間達にとって、暴れ回る魔物でしかない。
炎を消したくて振りかぶった尻尾が、彼らを容赦なくなぎ払う場面は、さながらボスキャラのようだった。
「くそ、ここは一旦引くぞ」
「……うぅ、なんてこった」
「この辺りは、安全だったはずなのに」
気持ちを落ち着かせるよりも先に、とりあえず口を開かず動かない方が効果的だと気付くまでに、あまりにも時間が掛かり過ぎた。
陽奈子が立っていた場所周辺は、瞬く間に焼け野原となる。
どうして良いのかわからずに、バタバタと動かした陽奈子の尻尾や手足によって、あっという間に傷を受けた人間達が、焦げた匂いと血の匂いを混じり合わせながら、命からがら逃げ去って行くのを呆然と見つめる事しか出来ない。
これで確かに、陽奈子の危険は去った。
実際、攻撃を受けたのは最初の一度だけだったし、それも少しも痛くなかったという事は、この頑丈な身体にとってそれは他愛ない一撃だったのだろう。
心底ほっとする気持ちと同時に、何か釈然としないものを感じる。
「助かった」、それは事実。
今まで一度たりとも向けられた事のない敵意や殺意を、半ば無理矢理受け止めさせられ、恐怖にさらされながらも、結果的に何もなく事が終わった。
けれど、これで陽奈子は本当にドラゴンになってしまったのだと、いわゆる「魔物」という種類のものになってしまったのだと、認めざるを得ない結果をつきつけられた。
陽奈子にとって、これは全く喜ばしい事ではない。
鏡で自分の姿を見たわけではないから、自分の全体像がどんな感じになっているのかは、想像するしかないけれど、もし陽奈子が今の自分の姿の目の前に立っていたとして、「化け物!」と罵り、泣き叫ばないでいる事ができるだろうか。
(……きっとそれは、無理)
つまり陽奈子は今、人間にとってそんな存在になってしまっているという事であり、訳も分からず一人で空を飛んでいた時より、あの騎士様率いる集団に遭遇してからの方が、遙かに衝撃は大きかった。
他人を介して、自分の状況を認めさせられる事は、一人であれこれ考えるよりもずっと現実的で、逃げ場がない。
草の根ひとつなくなった広い平原と、ところどころ土が凹んだり盛り返したりして、争いの跡を主張するこの場所で、このまま休もうと考えられる精神力は、陽奈子にはなかった。
疲れが取れるどころか、本来自分と同じはずの人間から攻撃されたという事実に、今更身体が震え出す気配を感じながらも、よろよろと陽奈子は翼を動かす努力をする。
飛び方が、わからないかもしれない。着地する時に漠然と感じたそんな不安は、ここに留まりたくないという気持ちで、吹き飛んでしまっていた。
やがてゆっくりと、巨大な身体が再び宙に浮く。
現実から目を背けて逃げる様に、いや文字通り逃げ出すのだけれど、早くこの場所から離れたい一心で、必死に翼となった両手を動かす。
あまりに必死に動かせすぎたからなのか、想像以上のスピードが出て、陽奈子はあっという間に恐ろしい現場から姿を消す事に成功した。
それを「良かった」と感じる余裕はない。
けれど、陸地を離れ再び眼下に広い海が広がる上空に辿り着いた頃には、何とか少し落ちつきを取り戻し始めた。
そのまま無心を保って、再び身体を落ち着かせる場所を求める行為だけに、集中する事にする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます