0402 「Lolita」(Stanley Kubrick)

 ロリータ(ウラジミール・ナボコフ)という小説を本棚に置いたまま、なにも読まないでいたのを思い出し、そういえば映画作品があったなと。そのような流れで今晩みるに至った。よくよく見ると、映画をあまり見てこなかった人でもなんとなく聞いたことのある監督の名前。すごい方が映画化していたようだ。


 ロリータという小説を知ったきっかけは、おそらくTwitterだったと思う。どういうツイートの内容であったかは忘れてしまったが、あのときはとにかく流れるようにコンテンツを消費していた。少なくとも消化はしていなかったので(今もできているか怪しいところ満載)、こうして本棚の端っこにとどまり続けている訳なんだけど。


 映画を見て思ったこと。それはやっぱり監督がすごいと映画もすごい。これに尽きる。本当に。とても満足のいく作品だった。何様だよって話なんですけど。終始おもしろかったように思う。


 短くまとめると、年下の女の子に中年男性が人生を狂わされるっていうお話だったと思うのだけれど。そして、そのようなお話の最後にはバッドエンドがお約束な訳であるが。そしてまた、このような作品に対して、終わり方をハッピーだとか、バッドだとか一意に決めつけるのは、あまりよろしくないことだとも思うのだが。


 テーマ的には、よく扱われる内容であるとは思う。谷崎潤一郎の痴人の愛もよく似たストーリーだったような記憶がある。あまり読書などをしてきてない私ですらも、一作品はぱっと思い出すことができるのだから、こういうお話は世の中にごまんとあるのだろう。


 恐れ(fear)とはフロイトの作った専門用語だという、会話の断片があったと記憶している。そうなんだ。話をそのままに信じるのであれば、フロイトって人はすごい人だ。ちょっと調べてみよう。


 調べる気力があまりないので、最近はやりのあの子に聞いてみる。


 「恐怖」(fear)は具体的な外的脅威に対する反応とされ、「不安」(anxiety)は不特定かつ抽象的な内的状態や脅威に対する反応として区別されます。この概念は彼の心理分析学における中核的なアイデアである。


 なるほど。専門語用語という感じではなく、その自然言語の具体的定義を与えた(心理学分野における)という意味合いなんだろうか。たしかに不安というのは、どこかぼんやりとした抽象的な対象があり、恐怖はより具体的な対象があるという点で、そのような分類はしっくりとくる。そして、その私のしっくりくるという感覚は、フロイトの定義によって実際に与えられているのだろうか、とかそのような話なのかな。


 まぁ深くは信用はせずに、そのような可能性ということで理解をとどめておこう。映画のなかにあった一瞬のフレーズだったけれど、印象的だったなという小話。


 最初に後ろを見せて、最後にその意味的内容を答え合わせするという感じの作りになっていた。これもとてもいい効果があったと思う。順々にストーリーを組み立てていくとどうしても最後の展開が突飛に思えてしまうということがあると思うのだが、この構成は突飛があっても、ちゃんと理解ができるというか。なんだろう。説明的な構成であるからこその、最後のあっけなさの許容があるというか。そういうイメージ。


 下げて上げるという作用もあるのだと思う。最初は、え?え?と戸惑っている視聴者に対して、最後はそれなりに納得した行動原理が与えられ、なるほど~という感じで幕を閉じる。そうすると、最後の彼のあっけなさもどういうわけか受け入れられる。少なくとも私は。その最後に準備ができるというか、ある種の滑稽さを感じるまである。


 映画は構成が命だとも言うのだろう。知らんけど。それほど、ストーリー内容の見せ方は大事だということがぼんやりと分かったような気がする。同じ内容というものがもしあるのだとすれば、それの見せ方で作品世界はさらに多様性を増す。そしてそれは創作のあらゆる段階で生じる現象。脚本がある時点で、それはもうすでに「構想世界」の選択的切り取りであるし、映画となれば、それは見せ方ということになってくる。内容を変えるのが前提であれば、そこにも選択的切り取りが生じる。


 なんだか、創作は元ですべて決まるような気がしてならない。アイデアだ。そこから、切り取りがある。とにかく。切り取る。起動修正というものもあるかもしれないが、基本的には何を書こうかとか、どうやって取ろうかとか、選択的切り取りがそこには存在する。


 なんだか抽象的で、一元的な創作の把握になってしまった。そういう側面で見てもおもしろいような気がする。


 ロリータを見て感じた、こと。もう少し書こう。


 ロリータと聞いてまず日本人が思い浮かべるのは、もっと幼いアニメ的な風貌ではないだろうか。特に昨今としては。


 アニメとか漫画におけるロリの融合が特に象徴的というのが、こういう世界にどっぷりとつかったことのある人たちなら、わかると思う。そう信じてる。


 だから、私はこの映画に対してもっと、幼い子が相手なのかなとか、そういうイメージを持っていた。だが、違った。


 日本人の思い浮かべるロリと、海外の人が一般的に思い浮かべるロリ。もっと言うと、オタクの思い浮かべるロリとその他うんぬんかんぬん。


 そこにはかなり大きな乖離があるなとも感じた。なんだか、気持ち悪い話でもあるけど、実際にそういうところはあると思う。


 白黒映画というものはやはりいいな。時代性というものを映画は含んでいるから、いい。その当時の人と人との距離感だったり、常識だったり。言葉遣いなんかも現代とずれているところがあるし。そういうのを感じるととてもいい。


 夜も更けたので、今日はここまで。


 

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