0320「授乳」ーシ

 村田沙耶香さんの短編作品。群像新人賞を第46回だったかに受賞した作品らしい。


 この作者の方の作品はたしか「コンビニ人間」で初めて触れたような気がしているのだが、そのとき読んだ時期が中学生?あたりだったような気がしていて内容はあまり覚えていない。ただ、なんだか当時はとても読みにくいしわかりくい内容だったなということを感じていたことは、ざっくりではあるが記憶している。


 純文学というものはあまりたしなんだことがない。(芥川賞などを対象とした作品を仮に純文学と呼ぶのであれば)だが、なんだか日常の少しのことであっても詳細に描写している印象が純文学にはある。そしてある種の気持ち悪さというものが、他の小説を比べても類もみないほどに散見される。


 おおよそ芥川賞というものの価値が一般的に文学賞のなかでも栄えあるものというイメージがあるのだけれど、あの賞を受賞している作品は、特に最近のものであればあるほど、その生暖かい感じのする気持ち悪さは、とても強い傾向にあるかなと、初心者ながら感じている。といってもあまり網羅的に読んでいないのでなんとも言えないが。


 どっちかというと昔の受賞作のほうが、気持ち悪さは少ないイメージがあるのだけれど。なんだろうか。芥川賞に絞って読むというやり方はあまり好きではないので、今後はそういう読みはあまりしないつもりではある。なにか有志がまとめ記事みたいなものを書いてくれていたら助かる。あとで探してみよう。TODOに入れておけ。


 「授乳」に関しても純文学というものの枠に入るものだろうなというのはわかった。ストーリーの内容はそのまま伝わるのだが、かなりセンシティブな内容で、後味は悪い。これが純文学のお決まり。紋切型。おそらく純文学というものは、高尚なもの、手のつけ難い立派なものと、単純に遠ざけてとらえるのはなくて、ある種の物語の形式であるとして、接したほうが、純粋に作品を楽しめるというものだ。最近のエンタメコンテンツでまみれた現代人には、あまり需要のない作品であるように思える。なので、最近の芥川賞受賞で手を伸ばして、すごいなぁ。なんか知らへんけど。みたいな感じになって、高尚なものとしてそのままにしておく人が多いのは、現代人の考える時間のなさ、余裕のなさから来ているものでもあるのだろうな、需要が今以上になくなっていくものでもあるのだろうなと、そんな感覚的なことを書いてみたりする。


 ただ私は純文学が好きだ。というか誰かの書いた作品というものを、どんな内容であれ文体であれ、それが作品としてのなんらかの形を成しているのであれば、読むのをためらわない。何かしらのこと吸収したい欲が私にはある。


 ……なんだか、純文学に対する一般的な世間の反応をまとめて書いたみたいな内容になってるが、これも駆け出しということで、好きなだけ書かせていただいている所存。


 わかりにくさに対する耐性というものがコンテンツに対しては、かなりなくなってしまったのが現代人全体としての傾向であることは間違いなくて、なんだがそうだな。そこらへんが今日読み終えた「華氏451度」の大衆に重なるところがある。もちろん、そのようなあり方がいけないということではないが、偏り過ぎるのもいけないと思うわけでして。偏るというのは、ポジティブであってもネガティブであっても、どちらもあまりよろしくないことという思いもありまして。なんだか、純文学というものの本質は、そこにあって、それが理解できないというのであれば、たぶんおそらくかなりこれを受け入れるのは難しいのだろうなというのが、正直な感想。純文学に対する感想。


 本に対して求めることが、変わっている。いや、そもそも本という情報伝達媒体のみではなくなった現代(動画コンテンツ、特にようつべなど)。ほかのコンテンツ勢力の勢いが凄まじく、その多勢における本質となる流れるような情報の流動性が本というものにも、強く影響を及ぼしているような気がしてならない。そしてそれは、本に対して何を望むのかに反映されてしまう。


 よく、因果における何が先か問題というものがあって。動画というコンテンツ。即時性のあるコンテンツができたから、スキマに消費したり時短にしたりすることの重要性を無意識のうちに感じるようになったのか。そもそもそのような社会特性が形成されたために……。このような分析は経済学者や社会学者があれやこれやとしているのだろう。うん、しているのだろうか?


 なんだか長くなってきたのでそろそろ切りたいと思ったのだが、「授乳」に関してほとんど思ったことを書けていない。まぁ、でも「授乳」を通して純文学について人並に考えて書くことができたので、それでよしとしよう。この記録はあくまで、創作に関しての考えの整理について、作品を読んで作品を介することで、それを行うというところに目的があるので。これで良しとしよう。


 SFも読みたいし、純文学も読みたいし。そうだな、読みたいジャンルがたくさんあるぞ。漫画も読みたいし。ああ、なんだかそのコンテンツにはたくさんの型が存在していて、そうだな。純文学はかなりその型に馴染めない人が多く、その理由から考えなしに高尚なものとして敬遠されているのだろうなということを、感じることができたというか、整理ができたので、今回はこれでよし。よし。よしいくぞう。


 それにしても、家庭教師におっぱい吸わせるなんて。悪い子だわね。授乳かぁ。なるほど。なんだかメタファーぎゅうぎゅうに詰まってそうだわね。そういうことが今回はここに書かないでおいて、頭のなかで考えておこう。


※情報まとめ(気が向いたときに追記していく感じ)------------------------------------------------------------------------


村田 沙耶香さん


 執筆しているときに自分自信を表現できるような気がしていたらしい。(なんだかとても共感できる。私は表現というよりも、書いている過程で何か常日頃のぼんやりとした思考のもやが、少しだけ塊を得るような感覚があるので、書いているという感じだ。)

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