第211話 蝶の戯れ

「お疲れ様。また来てね」

「次は絶対ボッコボコにしてやる!」

「ふふっ、楽しみにしてるよ」


夕方になり、暗くなる前に山を下りた私達は咲島さんに見送られながら別荘を後にする。

無駄に長い階段を降りた先の駐車場に私の車が停まっているから、そこまでは徒歩だ。


…一応、別荘へ繋がる道はあるけれど、アレは来客用の道じゃないからあんまり使わないほうがいい。

咲島さんも極力使わないで欲しいって言ってたし。


にしても…


「…いい職場ね」

「はぁ?なんですか急に」


私の呟きに、かずちゃんが困惑する。

あの使わないでと言われた道は、工事の時に作業用の車両を通す道や、あそこで働いている人の使う道。

つまり、あの別荘には何人も従業員が居るんだ。

しかも、住み込みらしい。


「あんな豪邸で掃除して庭の手入れして交代で見張りして、あとはゴロゴロしてるだけで一般サラリーマンよりも遥かに高収入なんだよ?」

「……住み込みで働いてる人達の話ですか?確かに羨ましい環境ですけど…別にそれを言えば私達もかなり羨ましい生活してますよ?」

「まあね」


見張りの女性や庭の手入れをしていた女性達は、この豪邸でご飯を食べてお風呂に入って寝て起きての生活を繰り返しているらしい。

お昼の時に本人にも聞いたけど、これ程楽で良い仕事はないって楽しそうだった。

私も仙台に生まれてたらこんな生活ができてたかな?


「おんなじ咲島さんの部下なのに、扱いは天と地ほどの差ですね。あの使用人と『花冠』」

「…この事は黙っておきましょう」


方や無限残業に汚れ仕事の極みな『花冠』。

方や豪邸でたまに仕事するだけでいい使用人。

同じ咲島さんの部下とは思えない待遇の差ね…


そんな特段意味の無い談笑をしながら階段を下っていると、突然探知がおかしくなった。


「…神林さん」

「言われなくても分かってるよ。こんな事が出来るのは……」


いつでも戦闘態勢になれるように構えながら降りてきた階段を振り返る。

そこには、つい先日見たばかりの蝶の羽の生えた女性――ジェネシスこと蝶の神が居た。


「私達に何の用?まさか、邪魔になりそうだから消しに来たとか?」

『それこそまさかだね。別に君たち程度、消すに値しないよ』


…とりあえず、何もできずこんなところで殺されるって事は無さそう。

でも、油断できない。

何故ならコイツは史上最悪の邪神なんだから。

どんな外道で道徳のかけらもないような事をしてくるかわかったものじゃない。


『ひっどい言い草だね。せっかく最後の一押しを手伝いに来たのに』

「一押し?」

『私の恩恵を強く受けるスキルの獲得だよ。いらないの?』


《神威纏》か…

そう言えば、確かにまだ獲得できてなかったね。

欲しいけど……なんかヤダなぁ。


『私の力は嫌?』

「シナリオによって殺されるのは私かもしれないし、かずちゃんかもしれないし。そんな中でどう信用しろと?」

『ふ〜む…それを回避するために力をつけようとしてるんでしょ?』

「それは…」


私達は、蝶の神が定めたシナリオをどうにかして回避したい。

その為に力が必要なんだけど…その力は蝶の神からもたらされるもの。

とても…信用は出来ない。


だけど、それ以外に方法が無い事も事実。

何故なら蝶の神の力ではない能力である『強欲』が封印されたから。

アレの場合は危険だからって理由もわかるんだけど…それ以外にも、蝶の神のシナリオにとって邪魔になる力は検閲されると言う理由もある。

つまり、蝶の神の定めた力以外は実質的に使えないんだよね。


だから、蝶の神の力に頼るしかない。

分かってはいるけれど…良い気はしない。


『別に私のシナリオは絶対じゃないんだよ?抗おうってなら応援するし』

「だからこその後押しと?」

『そうそう。あと、『強欲』が残していった力の検閲も兼ねてる』

「バレてたのか…」

『私に隠し事は出来ないさ』


『強欲』…何か力を残して封印されてたのか…

一体なんの能力だろう?


『周辺の魔力を吸収する能力か…コレを使われるとダンジョンが不安定になるから、制限するよ』

「不安定になるなら直接安定化させれば良いじゃん。なんで制限するの?」

『いや…だって一度吸い始めたら止まらないよ?これ』


吸い始めたら止まらない?

そんなのかずちゃんが持たないんじゃ…


『仮に耐えられたとしても、ちょっと面倒なことになるんだよね〜』

「面倒なこと?ダンジョン以外で?」

『そう。大地のエネルギーを吸い続けることになるから、星に影響を及ぼすんだよね。空気中の魔力には限度があるし、そうなってくると吸えない分を大地の魔力で補おうとするからさ』


星に影響って…規模デカすぎない?

それ本当に大丈夫な力?


『大丈夫じゃないから制限するの。全く、君達は私のことを毛嫌いしてるけど、私からすれば面白いおもちゃだからね。死なれたり壊れたりされたら困るんだよ』

「シナリオ」

『私の意図しない死が面白くないだけ。能力を制御できずに自滅なんて…特別な理由も無いのに、そんな理由で死なれたらたまったものじゃない』


特別な理由。

強敵との戦いで、誰かを守るために死を覚悟して使うとか、そう言う理由が無いと使って欲しくないって事か…

それで死なれたら面白いおもちゃが無駄に壊れちゃうわけだし…保護したがる気持ちもわかる。


『さて、封印も出来たとことだし…どうする?私の試練を突破して《神威纏》を得るか、与えられる形ですぐに手に入れるか』

「…前者で」

「私も」


コイツが無償で力を与えるなんて想像できない。

絶対に何か碌でもない何かが仕込まれてる。


『そっちを選んでくれたようで嬉しいよ。楽して力を得ようとしてたら、“祝福”を入れて渡すつもりだったし』

「その“祝福”とやらが何かは聞かないけど…多分碌でもないモノって事はわかる」

『さてなんだろうね?じゃあ試練を始めよう。お休み〜』

「なっ!?」

「くっ!?これ…抵抗できな、い……」


蝶の神の言葉が聞こえた直後、立つことすらままならない程の強烈な眠気に襲われ、私達はその場に倒れる。

そして、抵抗虚しく睡魔に負けた私達は蝶の神の試練の会場まで送られるのだった。






          ◇◇◇






油断した。

まさか、こんなに早くアレが動くとは思わなかった。


「…悪いようにはしない。それだけは分かるけど」


部下の知らせを受け山の麓に止められた高級車の中にあった置き手紙を読みながらそう呟く。


「2人に《神威纏》を……でもそれは、アンタが嫌った勢力バランスの崩壊を招く行為なんじゃないの?」


私を筆頭とした『花』

『財団』等の大企業を中心とした『資本家』

ギルドやその上部組織であるダンジョン庁をはじめとした『政治家』

日本は今、この3勢力が睨み合う事で均衡を保っている。


特に、武力と言う面で他を圧倒する私達の『花』がその幅を利かせている状況。

それを蝶の神はあまり良しとはしていない。

だからわざわざ『財団』に早川と言うジョーカーを与えた。

私達の戦力を削ぐために。


しかし早川は死んだ。

もう私達を阻むモノはない。

その上に私達の協力者であるあの2人に《神威纏》を与えるなんて…


(やろうと思えば容易く出来てしまう…国家転覆)


今の『花』は、実質的にカミを3体保有しているのと同じ戦力を持っている。

私とあの2人。

そんな私達が、シナリオに抗う為に今ある秩序を壊すと言う事を考慮しないのだろうか?


…それとも、早急にあの2人に《神威纏》を習得させないといけない理由があるの?


「大丈夫なんでしょうか…?」

「まあ…あの2人は大丈夫よ。それよりも、私達が考えるべきは今後の振る舞い。こんな簡単に力を与えてくるなんて…絶対に何かある」


蝶の神…お前は私に何をさせたい?

国家転覆?カミの討伐?それとも……


「…シナリオの通りに事が進むなら、必ず死者が出る。その埋め合わせ、なのかしらね…」


部下に神林さんの高級車を保管しておくように命令し、別荘へ戻る。

休みたいのはやまやまだけど…何もせずいる訳にはいかないのかもね。

私がすべき事…それは2つ。


『世の中の女性を守る事』

『部下をシナリオの脅威から守る事』


…休んでいたら、その両方を達成出来ないかもしれない。

私はスマホを取り出すと、『青薔薇』に連絡を入れる。


「もしもし?私よ。これからダンジョンの最深層に行ってくる」

『はあ?休暇どうしたんですか?』

「神林さんと一葉ちゃんが蝶の神に連れ去られた。目的は《神威纏》を習得させること」

『…詳しくは今度聞きます。ですが、休む時はしっかりと休んでくださいね』


『青薔薇』は事情を察し、引き止めはしなかった。

…まあ、暗に『休め』とは言ってきたけど。


…何故か遠くへ飛ばされた事でまだ攻略出来ていなかった第80階層。

そこを攻略する。

もしかしたら、蝶の神は私に第80階層へ行ってほしいのかも知れない。

そこに何があるのか?

私も気になっていたところだ。


魔力を使って全力でゲートウェイまで走ると、ほぼ廃墟のゲートウェイの中に入り、第79階層へ飛んだ。



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