第210話 抗う為に
――咲島恭子の別荘――
いきなり咲島さんに呼び出された私達は、顔パスで入口のガードを抜けると気配を頼りに咲島さんの居る場所までやって来る。
「暇そうだね。な〜んか、優雅な休日って感じがして腹立つ…」
「なんて理不尽な。まあ、そこに座って。ゆっくりしてくと良いわ」
咲島さんは、離の小部屋でキンキンに冷えた麦茶を片手に本を読んでいた。
それが気に食わないらしいかずちゃんは、ま〜たいきなり噛みついている。
「麦茶はいかが?」
「貰います」
「私も」
アイテムボックスからガラスのコップを2つ取り出すと、氷の入った麦茶のピッチャーから冷えた麦茶を注いでくれる。
苦くも渋くもない麦茶は飲みやすくて美味しい。
「あなた達のアドバイス通りしばらく休暇を取ることにしたんだけど…」
「やることがないって?」
「そうね。今まで仕事一本で生きてきたから、休暇って言っても何するのがいいか分からないの」
「本でも読んでれば良いのに…それはどんなジャンルの本?」
「『よく分かる現代アート』って本」
「咲島さんって現代アートとか興味あるんだ…」
「良さは全く分からないけどね」
現代アートなんて、言ったもん勝ちのイメージしか無いなぁ…
アーティストがそれっぽいものを作ったら全部現代アート。
それで称賛されるんだから、すごい世の中だよね。
そんな事より…
「さっきやることがないって言ってましたけどもしかして…」
私がそう言うと、咲島さんはニヤリと笑う。
うん、これは確定だね。
「そうよ。暇だから組手の相手が欲しくてね。私の部下達はみんな仕事で忙しいから無職の2人に手伝って貰おうと思って」
「えぇ〜?」
「なに?文句でもあるの?」
暇を持て余した咲島さんは、少しでも時間を有意義に使うべく、私達を組手の相手として呼び出していた。
大幹部を始めとした部下はみんな仕事で忙しいから、なんにも仕事してない私達を組手の相手しよう。
そう考えて、私達を呼び出したのが今回の件。
…まあ、私達も少しでも同格以上の相手との戦闘経験を多く積んでおきたいし、悪い提案じゃない。
「いいですよ。でもどこで?」
「どこって…ここは山の中よ?場所なんていくらでもある」
「大自然の中で、ですか…」
やばいなぁ…咲島さんに別荘に来いって言われたから余所行き用の服で来ちゃった。
山の中で組手出来る格好じゃないんだけど…
「大丈夫よ。着替えは用意してある」
「準備がいいですね」
「元々模擬戦の場所として使ってたからね。色々なサイズの着替えの服を用意してあるわ」
そう言って、咲島さんは箪笥の中から私達のサイズに合う地味な服を取り出し、手渡して来た。
確かに動きやすそうな服だ。
…防御は無いに等しいけど。
その服に着替えると、私達は山の頂上まで一気に登り、そこで向かい合う。
「ルールは相手を降参させること。大きな怪我を負うような危険な行為は無し。その為にも、魔力の使用は基本的に禁止。日常で纏っている量が上限よ」
「武器の使用は?」
「木刀を用意したからそれを使いなさい。もちろん魔力を使っちゃ駄目よ?」
「使わないよ。他にやっちゃいけないことは?」
「山の木々を傷付けない事。地面を踏み荒らさない事。私達が本気で暴れたらこんな山簡単に壊れちゃうからね」
そうなったら別荘が危ないし、麓の建物なんかも危ない。
何より環境破壊の極みだ。
だから、強さを制限するために魔力を使っちゃ駄目なんだね…
そう言う戦闘経験を積むのも大事かも。
「いざ魔力が無くなったって時の訓練だと思ってやろう?」
「別に文句は無いですよ。で?2対1でやるの?それとも1対1?」
「まあ、2対1で良いよ。2人はこういう戦闘に慣れてないだろうし」
そう言って、剣を構える咲島さん。
私も戦闘態勢を取り、かずちゃんも渡された木刀を構える。
「じゃあ……始めっ!!」
「せいっ!!」
咲島さんがそう言った直後、かずちゃんが全力で突っ込んで斬りかかる。
しかし容易く弾かれ、鼻で笑われている。
…追撃しない。
私への牽制か…
「なら、私も攻める」
2対1は気を抜くと格下とはいえ普通に負ける戦い。
油断も隙も与えないって意思を感じる…
「ふっ…」
「甘い。攻撃に迷いがある」
「そりゃあ、いつもわけが違うので」
「後ろのこと?私は避けられるけど…あなたは大丈夫?」
「―――っぶな!?」
「――っ!?ごめんなさい!?」
私が軽い攻撃を仕掛けるも容易く躱される。
そして、後ろから斬り掛かったかずちゃんだけど…こちらも簡単に躱されただけでなく、いつもよりも体の動きが鈍いせいで私の回避が遅れ、危うく当たりそうになった。
「魔力が使えないと、まるで水の中に居るみたいに体の動きが鈍いでしょ?それも視野に入れて動きなさい」
「なるほど…これは確かに良い訓練になる」
「普段なら速度とパワーでゴリ押せる場面ですからね…それが出来ないと言うことは、技術と策でカバーしないといけないわけですし」
小手先いらずのいつもの戦いと違い、しっかりと考えて戦わないといけない場面。
動きの無駄を無くし、今の手とその次の手、さらに次の手も考えながら、かずちゃんの動きに合わせて動かないといけない。
中々に頭を使う戦いだ。
私の苦手な状況だね。
「それでも私の方が不利よ?頑張りなさい」
「どの口で…なら、当たっても恨まないでくださいね!」
「組手とはそういうモノよ。はい、迷ってる」
「くっ!」
また躱された。
迷いがあるって言われたけど…次の手とさらに次の手を考えながら、かずちゃんに会わせないといけないのって、かなり大変なんだよ?
なまじ感覚で戦うタイプのせいで、いつも感覚でやると自滅するし…
…今の戦いに慣れるまで感覚で戦えば良いんだろうけど―――
「ダメダメ。もっと頭を使わないと」
「うぐっ!」
何も考えない攻撃は、いつものと感覚の違いで頭がバグって変な動きになる。
当然そんな攻撃が百戦錬磨の咲島さんに当たるわけがない。
なんだったら…
「痛っ!?」
「ごめんなさい!」
「ほら、もっと周りを見ないからそうなるのよ。一葉。あなたもよ」
「うぅ〜!」
感覚でやるとやっぱりいつも避けられる攻撃が避けられない。
かずちゃんの木刀が私の首を直撃し、結構痛かった。
「その感覚で何でも解決するセンスは認めるわ。でも、一度感覚を狂わされると何もできなくなる。『菊』と戦えばどうなると思う?」
「『虚構』を使うまでもなく、か…」
「そうね。あの子は別にアレを使わずとも認識をある程度歪める攻撃をしてくる。それが本当に厄介なのよ」
認識を歪める攻撃。
位置を絶妙にずらしたり、動きを少し遅れているように見せることで、こっちの攻撃タイミングや場所をずらす攻撃。
《隠蔽》と《偽装》の応用でそんな事が出来るって聞いたけど…私には最悪の相性かもね。
「あなたの戦い方は、1センチでも認識を誤れば大きな隙が生まれる。あの子はそれを意図的に起こせるの。似たようなことをするカミが現れないという保証は無いでしょう?」
「なんだったら、あの蝶の神は平気でやってきそうだし…」
「そうね。少しでも違和感を感じれば、すぐにでも感覚で戦うのをやめなさい。相手の策を見破れる、対策出来るまではしっかりと頭を使う事」
対策出来るまで。
この状況に対応しろって事か…
魔力が使えない話面への対応。
この場合、普段との感覚の差――ギャップをどうにかしなきゃいけない。
普段がこの程度動けて、今はそこまで動けない。
その差をどうにかして埋めなきゃいけないんだ。
そんなの試行回数を増やして対応するしかないと思うけど…意識してみるのも大事。
例えば…
(いつもより前に出る。半歩前へ。少し前へ)
いつもの踏み込みよりも少し多く前へ出る。
どうせ躱されるなら、私がどの程度動いて、咲島さんがどうやって、どの程度回避するのかを見定めたい。
前へ出た私はいつもよりも力を込めてパンチを放つ。
そのパンチは避けられるが…避け方がいつもとそんなに変わらない。
つまり、咲島さんは速度が違うだけで同じ動きが出来てるって事。
それは逆手に取れば…
(今の動きは、普段の動きをスロー再生したのと同じ事。この感覚がいつもと同じ動きが出来る感覚なんだ!)
さっきの動きの感覚を忘れないうちにもう一度パンチを放つ。
当然これも避けられるが、全然想定内。
何故なら、コレを基準に当たるように調整すればいいだけ。
だって、普段でも避けられているんだから、今避けられないはずがない。
普段当てられる動きに調整するための基準として、感覚を脳と身体に染み込ませてるんだ。
「…格段に動きが良くなった。もう慣れたの?」
「ちゃんと考えて動いた結果ですよ。今の攻防で大体感覚は掴みました」
かずちゃんの木刀を回避しつつ、前へ出る。
木々の間を縫うように後退し続ける咲島さんを追いかけながら、私は確実に当てられる調整をして、渾身のパンチを放つ。
咲島さんの表情が険しくなった。
コレは当たる。
そう確信した次の瞬間……
「あうっ!?」
「思ったりより早かったわね」
全身に痺れるような痛みが走り、体が動かなくなった。
かずちゃんの方を見ると、私に代わって攻撃を再開しようとするも…
「あたっ!?」
「はい王手」
「うぅ…降参」
1対1では純粋に格の違いを見せつけられ、簡単に降参させられていた。
そして、すぐに私のところまで駆け寄ってくると、回復魔法を使ってくれる。
「ありがとう…なんで?全身が痛い…」
「動きが良くなったのはいいけれど、それによって体にかかる負荷を計算できなかったのは問題ね。今はあんな動きをして体が持つほど頑丈じゃないのよ?」
「つまり…?」
「簡単に言えば、準備運動無しで激しい運動をすればどうなるか?って事。全身が攣って痛いでしょ?」
…そうか、そういう事か。
魔力を纏うことで強化されるのは身体能力だけじゃない。
身体能力だけ上がったら、それに体がついていけなくて簡単に壊れてしまう。
今の私のように。
同時に耐久力も上がっているんだ。
その事を考慮していなかったから、急に激しく動いたせいでこんな事に…
「なんで私だけ…」
「まあ、私は神林さんほど激しく動いてないし、一葉ちゃんは若い上にそれ程インファイトを仕掛けるタイプじゃないからね」
なるほど…私だけ頑張り過ぎてたのか…
にしても……
「若いって良いなぁ…」
「ホントよね…」
「…咲島さんは兎も角、神林さんだって若いじゃないですか?」
「26にもなると体は衰えるわよ…?」
「老化って怖…」
若い体って羨ましい…
大幹部が揃いも揃って引退したがるわけだ。
これはキツイ。
「冒険者の殆どが四十代には辞める理由がよく分かる…」
「そうよ。私も辞めてないのはフェニクスがあるから。無かったらとっくに引退してる」
愛しのかずちゃんに介抱されながら私は攣った体が治るのを待つ。
普通に痛い。
結構痛い。
その痛みに耐えて耐えて…ようやく治ったと思ったら「もう一回」と言われまた組手をする羽目に。
結局、今日だけで5回は全身の何処かが攣り辛い思いをした。
その度にかずちゃんに介抱される自分を情けなく思い、もっと体を丈夫にしようと決意したのは内緒の話。
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