第201話 『花』の切り札
ダンジョンを出て『菊』と合流した私は、『菊』とヒキイルカミの戦いを見て目を疑った。
「…何やってるんですか?あれ」
「さぁ…?」
ヒキイルカミが、気でも狂ったように何もいない場所に魔法を撃ったり拳を振るったりして、怒ったり焦ったり笑ったりしている。
…おかしくなったのかな?
早川に頭を侵食されてるとか…
「その様子だと、姉さんは間に合ったみたいだね」
「当然でしょぉ〜?私が時間に遅れるとでも?」
「まあ、アレだけ時間厳守を説いて、1分遅れただけで容赦なく竹刀でボッコボコにしてきた姉さんだし、遅れるなんてことはないか」
「余計な事を言わないの。私のイメージが悪くなるでしょ?」
流石は『花冠』のまとも枠。
時間には厳しいみたいだね。
それはそうと、アレは一体?
「やっぱり使ったのね。使うなって言われてなかった?」
「使わなかったら私が死ぬよ。主君も許してくれる」
使った?
何を?
ここには私達も居るのに、2人だけで話を進めないで欲しいなぁ…
「…何を使ったの?」
「私達の切り札『虚構』。『菊』の《隠蔽》と《偽装》の合せ技で、相手の認識を完全に狂わせる凶悪な技よ」
「ある種の催眠みたいなもの。コレを受けると主君でさえ何が何だか分からなくなる。…まあ、《神威纏》を使われると溢れ出す魔力で自壊するんだけど」
つまり…どういう事?
「今私達が見てる『菊』の完璧な女装を攻撃に利用したのが『虚構』。そういう認識でいいと思いますよ」
「本物そっくりの偽物の光景を見せて、何も無い場所に攻撃させてるってこと?」
「まあ、そんなところ。実際は目で見た情報だけじゃなく、五感――それどころか、魔力探知や勘と言った第六感の領域の認識すら歪ませ、現実と錯覚するほどの幻覚の中に相手を捕らえる。…まあ、そこまで言っちゃうと神林さんは脳が処理落ちするか」
「うん、何言ってるか分かんない」
とりあえずなんか凄いことをしてる事はわかった。
実際に食らってみたら何かわかるかもしれないけど…そんな余裕あるかな?
「その『虚構』ってのを、私に掛けたりできる?そしたら理解出来るかも」
「出来るけど…いいの?」
「ちょっと食らってみたい。『花冠』の切り札がどんなものかね?」
もし私にも効果テキメンなら、相当凄い技だ。
そう考えると俄然興味が湧いてきたね。
いつでもウェルカムだよ。
「……う〜ん、まあいいけど後悔しない?」
「しないよ。それに、私には頼れるスキルがあるからね」
「《鋼の体》?《鋼の心?》…まあ、どっちも私のコレの前には無意味だけどね?ほら」
「……え?」
『菊』が私の胸を指差す。
視界を下に向けると、そこには血に塗れた刀が生えていて、私の服を赤く染めている。
それを見た直後、確かな激痛が私の胸を貫いた。
「くぅ…!」
「そんなに痛いですか?神林さん」
「かず、ちゃん…?」
刀が引き抜かれ、私に声をかけてくるかずちゃん。
顔を上げると、いつの間にか私の背後にかずちゃんが居て、ニヤニヤと笑っている。
そして、刀を振り上げてジーッと私の首筋を眺めた後……容赦なく刀を振り下ろす。
視界がぐるぐると周り、やがて地面が視界の半分を占める。
空と地面が交互に見えたあと、私は首の無い体とこちらを見つめる3人が映った。
…首を切られた。
他でもない、かずちゃんに。
視界が狭くなっていく。
息もできない…というか、している感覚が無い。
そもそも体の感覚が無い。
あるのは首から上の感覚だけ。
やがて意識が薄れて闇が見える。
薄っすらと川のような物が見えて、死んだおじいちゃんが向こう側で手を―――んん?
「―――ッさん!」
「……ん〜?」
「――しさん!!」
「かずちゃん…?」
「神林さんッ!!」
パチンッ!と何かを叩く音が聞こえ、私の頬がピリピリと痛む。
その瞬間、意識がハッ!として世界が急に明るくなった。
「もう8時ですよ?遅刻確定ですよ?」
「……かずちゃん?」
見慣れた天井。
私が4年間住んだマンションの天井だ。
「…ヒキイルカミは?」
「はぁ…?」
「『菊』や『紫陽花』はどこ?」
「何寝ぼけたこと言ってるんです?さっさと起きて会社に行く準備してください。朝ご飯も作ってありますし」
かずちゃんはそう言うと立ち上がってキッチンへ向かう。
私服にエプロンを掛けて、完全に主婦になっている。
……どうなってるの?
「私、さっきかずちゃんに刀で心臓を…」
「はいはい。変な夢見たんですね〜。夜にベッドの上で聞きますから、あとにしてください」
そう言って、スーツとカバンを渡してくるかずちゃんを。
言われるがままにスーツに着替えさせられた私は、目玉焼きの乗ったトーストを口に突っ込まれ、カバンを左手に持たされる。
「いっけな〜い遅刻遅刻!とか言って私以外の女引っ掛けたら容赦しませんからね?」
「ひはいほほんはほほ(しないよそんな事)」
「ならいいですけど」
玄関まで見送りに来てくれたかずちゃん。
口はトーストで塞がっているから行ってきますのキスは出来ない。
いつもの日課が出来ないのは残念だけど…変な夢を見て寝坊した私が悪いんだ。
名残惜しさを残しながら、「行ってらっしゃい」と見送ってくれるかずちゃんに手を振り、いつものバス停で会社に向かうバスへ乗る。
バスの中でスマホをいじり、写真の中のかずちゃんで遊んでいると、ふと私の目の前に何処かで見たような見てないような女性が現れる。
その女性は自分の背丈ほどある大太刀を持っていて、何故かこちらを注視していた。
(何この人…ってか、なんで周りの人は無視?私だけに見えてるの?)
こんなの明らかに怪しい人、無視しようとしても無視しきれない。
なのにそこには誰もいないかのように誰一人としてそっちを見ていない。
見ようともしない。
(霊感なんてある方だとは思わなかったけど……でもそう言うのじゃ無い気が…)
そんな事を考えながらあまり見ないようにして居ると、バスが大きく揺れる。
軽く体が浮いて浮遊感に包まれ、つい反射的に目を瞑ってしまった。
「神林さんッ!!」
「っ!?」
かずちゃんの叫び声が聞こえ、辺りを見渡すと車の中に居た。
…あれ?私、ついさっきバスに乗って通勤してたような…?
「全く…居眠り運転しないでくださいよ」
「ごめんごめん…会社に遅れそうになった夢を見てて」
「職業病ですかね?もう無職なのに」
「えっ?」
無職…?
私が?
「何驚いてるんですか?衣食住私に保証されて、明日の命を私に握られてるんですから、もっと私に感謝してくれても良いんですよ?」
「……ああ、そうだったね」
そうだそうだ。
仕事辞めて飲んだくれて死にかけてた所を、金持ちのかずちゃんに拾ってもらったんだった。
それからは何もかもをかずちゃんにしてもらって、その代わりに恋人として愛誓ったんだったね。
それなのに、大切な恋人を乗せた車で居眠り運転だなんて…私とした事が情けない。
…まあ、元から情けないか。
「せっかくのデートで事故なんて嫌ですよ?咲島さんに迷惑掛けたくないですし」
「だねぇ。咲島さんは私の第二の命の恩人だし」
私とかずちゃんの交際を後押しして、私の使うお金を用意してくれる最高の女性、咲島恭子さん。
あの人には本当に頭が上がらないよ。
いつか絶対恩返ししないと…
「…私が出来る恩返しって何かあるかな?」
「このまま私と幸せに暮らすことですよ。それが一番の恩返しです」
「そうかなぁ…?」
なにか形に残る恩返しをしたい。
それこそ私が就職して重役になって、咲島さんの助けになるとか。
あるいは自立して、かずちゃんを養う側になるとか。
…まあ、私就職する気なんて微塵もないけど。
いつも通りの話をしながらドライブデートを楽しんでいると、信号で止まった時にコンコンと窓をノックされた。
外を見ると女装をしている咲島さんの部下…『菊』が居て、こちらを覗き込んでいた。
なにか用事かな?
「どうしたの?」
「どうしたの?って…そろそろ帰っておいで」
「……え?」
「あっ、起きた」
気が付くと私は倒れていて、かずちゃんが私の隣に座っていた。
「どうだった?私達の切り札を食らった感想は」
「私も聞きたいです。何があったんですか?すごく変な事言ってましたけど」
「???」
えっと……え?
…アレが『虚構』?
それとも、これも現実じゃなくてまだ偽りの景色を見てるの?
いや、この世界が偽物でさっき見たうちのどれかが本物…
「駄目だ。完全に処理落ちしてる」
「そんなにやばいんですか…この技」
「現実と幻覚の境界が曖昧になって、最悪の場合精神に異常をきたすんだよね。神林さんの場合は《鋼の心》があるから大丈夫かと思ったけど…」
「脳がバグを起こすから精神防御とか関係ないでしょ?だから使うなって姐様が言ってたのに…」
…?
現実と幻覚の境界が曖昧に…
精神に異常をきたす…
脳がバグを起こす…
……待って、ようやく頭がスッキリしてきた。
「…ねぇ、私おかしくなってない?」
「今は正常ですよ」
「デバッグが終了したみたいだね」
「無事で何よりだわ。廃人になってたら今この場で死人が出てた」
「確かに…」
廃人って…
ヤバすぎないこの技。
あ〜、なんとなく思考が纏まった。
これアレだ。
哲学の領域に踏み込むレベルのとんでも攻撃だ。
相手の思考、記憶、人格を強引に改変してそれを現実だと深層心理から錯覚させる。
五感も掌握してるからいくらでも見ている世界との辻褄合わせができる。
感覚としては明晰夢に近いかな?
でも、明晰夢と違うのは五感さえも明確に感じられる上に、思考もある程度誘導されるから現実の方を夢と認識しちゃう事。
『紫陽花』の言う通り、本当に廃人になりかねない。
戻ってこれなくなっても全然おかしくないよこれ。
「アレに今もヒキイルカミは囚われてるんだよね?」
「そうだよ。決して死ぬことのない私の幻影と戦い続けてる」
「怖いなぁ…抜け出す手段はないの?」
捕まったら最後、抜け出せないとかだったら最悪だね。
マジでおしまいじゃん。
どんな最上級アーティファクトより凶悪だよ?
「主君は《神威纏》を使って抜け出してたね。以前、主君の本気攻撃の余波で私の《偽装》が解けかけた事あったでしょ?それと一緒で、膨大な量の魔力を食らうとこっちで辻褄合わせが出来なくなって、自壊するんだよね」
「それ以外に方法は?」
「無いよ。なんならそれも2回目の幻覚みたいに、そんな力存在しない世界の幻覚を見せて信じ込ませれば《神威纏》すら使えなくなる。私は唯一、主君に完全勝利できる人間なんだよ」
だから切り札なのか…
おっそろしいね、《偽装》と《隠蔽》の合せ技。
『ジェネシス』は何を思ってその2つを同一人物に渡したのか…
『虚構』の恐ろしさに触れて、私は『ジェネシス』の正気を疑った。
そんなトンデモ能力を、普段は女装の為に使ってると考えると…贅沢の極みだ。
今まで見てきたどのトンデモよりもぶっちぎりでトンデモな『虚構』。
それをヒキイルカミは食らっていると考えると…もう勝敗は決したね。
私は肩の力を抜くと、4人の中で最初にヒキイルカミを見る。
それにつられて3人もヒキイルカミを見ると、かずちゃんに視線が行った。
「わかりました。私が倒してきます」
「よろしくね?かずちゃん」
私はかずちゃんを見送ると、『菊』から距離を取る。
一度改まった認識がもう一度改まったからだ。
もう二度とあんなのを食らわないことを祈りつつ、ヒキイルカミに視線を戻すと……ちょうどかずちゃんがヒキイルカミの首を切り落とし、戦いに終止符を打ったところだった。
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