第168話 この幸せがいつまでも続くように

午前5時

疲れ果てて動けなくなった私達は、汗でびしょびしょになったネグリシェを脱ぎ捨て、裸で抱き合う。


「窓開けるよ?」

「お願いします」


アイテムボックスから取り出したタオルで素肌を隠し、部屋の窓を開けておく。

じゃないと私達がした事の臭いがずっと部屋に残って、ホテルの人に迷惑だから。

私はそんな迷惑なことをしないように…出来るだけ人に優しくあろうと窓を開けておく。


開けられるところまで開けて、空気の入れ替えが出来るようにすると、ベッドに戻って来る。


「結局一睡もできなかったね?」

「ですね。新記録じゃないですか?」


お互い、この時間までずっと意識を飛ばさずにいられたこと。

確かにコレは新記録かもね。

でも、こんな新記録があっても何にもならないし、誰にも誇れない。

私達の間だけの、秘密の記録。

私達の愛の思い出。


汗で濡れたシーツの上を歩き、かずちゃんの上に覆い被さって抱き締める。


「まだやるんですか?」

「いや?ぎゅっとするだけ」


こんな時間から再開しても、結局起きられなくなって終わりだ。

それに、ただでさえ2人でイチャイチャするために咲島さんの依頼を適当にやってるんだから…これ以上は本当に怒られる。


そんな事を考えていると、かずちゃんが私の胸に手を伸ばし、私の豊かな双丘を揉み始めた。


「私は神林さんと一緒にいられるなら、十分です。…でも、これとそれは別ですよ」

「…本当にふしだらな子。でも、そんなかずちゃんも愛おしい」


かずちゃんの顔を胸に押し付け、好きなだけ私の胸を堪能させる。

荒い鼻息が胸に掛かり、熱のこもった空気が私の肌をくすぐる。

とにかく可愛い。

本当に愛らしい。

そんな感想しか出てこない私の語彙力だけど、かずちゃんの可愛らしさに言葉を飾るのはあんまり良いとは思えない。


素直な感想を伝えればそれでいいと、私は思っている。


「この幸せな時間が、いつまでも続けばいいのに」

「残念ながら、それは無理ね。3時間くらい寝たら、朝ご飯を食べて仕事に行くわよ」

「や〜だ〜!」


幸せな時間が続いてほしいと願うかずちゃんに現実を突きつける。

嫌がるかずちゃんを落ち着かせて毛布をかぶると、2人で少しだけ寝ることにした。







午前9時半


「今日は早い出勤ね?そんなにお楽しみじゃなかった?」

「失礼な。昨日は一晩中寝ずにヤッてました〜!」

「そう。それは良かったわね」


咲島さんに呼び出され、近畿支部にやって来ると、かずちゃんがまた喧嘩腰に話す。

かずちゃんのこの誰にでも噛み付く精神にはいつも呆れる。


私が居ないと何にも出来ないくせに。


「にしても、どうしてあなたがここに?昨日の今日で仙台から近畿にまで来るなんて…暇なの?」

「詳しい話を聞くために、わざわざ昨日の夜にリニアに乗ったのよ。さて、『ジェネシス』との話について聞かせてもらいましょうか?」


行動力が凄いな…

確かに、大事な話とは言え…まさか話した次の日に直接会いに来るなんて。


「『ジェネシス』は、早川にカミになるため方法に関する知識を与えています。これは、咲島さんも知らないのでは?」

「そうね。…ただ、不可能なことじゃない事は知っていたわ」

「そうなんですか?」


カミになることは不可能じゃない。

一体どこでそんな知識を…


「カミとは、強大な力を持った神霊。そして、ダンジョンには人間を辞める手段が存在するの」

「『俺は人間をやめるぞー!』的な感じ?」

「まあ、そんなところ。実際、一番手っ取り早いのはアンデッド化。人でなくなるアーティファクトと言うものが存在する。その一つに、アンデッド化するものがあるんだけど…まあ、使おうとは思わないわね」


アンデッドなんかにはなりたくないね…

そもそも、アンデッドになるメリットがわからない。

あんなのになって何がいいんだか…


「その延長として、神霊へと変化するアーティファクトを、『ジェネシス』が用意している可能性と言うのは十分にある。だから、不可能ではないと思っていたけれど…やっぱりあったのね」

「なるほど…流石の名推理ですね」

「私は探偵じゃないよ。でも、私の予想は正しかった」


咲島さんが予想したカミになる方法。

これがどこまで正しいのかわからないけれど、そういう手段があるというのなら…『ジェネシス』は、そのカミになるためのアーティファクトを、それとなく早川に渡している可能性がある。


早川があそこまで厄介なのは、『ジェネシス』が作った勢力均衡を保つための調整弁だから。

そして、調整弁としての役割を確実なものにするために、アーティファクトを与えているとしても、何ら不思議じゃないのが本当に恐ろしい。


「早川の消息は、今も不明なんですか?」

「転移魔法が厄介なのよ。どれだけ追い詰めても、転移魔法でダンジョンに逃げられたらおしまい。態勢を立て直し、私達が知らない何処かへ転移すれば、安全にこっちへ戻って来れるわけだし」


頭を抱える咲島さん。

それを見たかずちゃんが溜息をついた。


「補足は難しそうですね。神林さん、私達がこの仕事をする意味は無いんじゃないですか?家に帰ってゴロゴロしましょうよ」

「どうして私に言うのよ。咲島さんに言いなさい」

「だって…怖いし」


私だって怖いよ。

こんなこと言って、怒られないはずがないんだから。


チラッと、咲島さんの顔色をうかがうと、深い意味のありそうな笑みを浮かべている。


「別にいいのよ?帰ってくれたって」

「じゃあ…!」

「その代わり――」


笑顔を見せたかずちゃんは、咲島さんに口を挟まれて一気に萎む。

咲島さんがかずちゃんを指差し、顔を覗き込むと笑っているのに、まったく優しくない表情で話を続けた。


「代理で働いてくれる人が必要なの。そういえば一葉ちゃんのお母さん、再就職がまだだったわね?」

「んなっ!?」


かずちゃんのお母さんを人質に…なんて悪質な!

これが咲島さんの本性…どれだけ理由を取り繕っても、やはり社会の裏側に半身を浸けて生きる人。

使えるものはなんでも使い、私とかずちゃんを言いなりにしようとするとは…


…でも、私が隣りに居て、家族を引き合いに出されたかずちゃんは強いよ?

それが、咲島さんの想定外かな?


「あなたには感謝してますよ。…それでも、言っていい事と悪い事があるというのは、私でも分かりますよ」


そう言い切って、アイテムボックスからいつでも刀を抜けるようにするかずちゃん。

それに対し、咲島さんは完全に笑顔が消え、敵を見る目に変わった。


「…私と戦うつもり?それは、一葉ちゃんが屈辱的な敗北を喫するだけでなく…大切な家族にまで被害が及ぶということを理解してのこと?」


体の芯から震え上がるような感覚に襲われた。

私の隣に立つかずちゃんへ向けられた殺気の余波が、ここまで影響を持つなんてね…

でも、怖いだけで私もここで引いたりはしない。


2人の間に私が割って入ると、かずちゃんを手で止める。

そして、正面から咲島さんを見つめて口を開く。


「咲島さん。それはお互いの信頼を壊す行為です。やめましょう」


かずちゃんを私の後ろに隠すと、冷たい視線を向けてくる咲島さんの眼圧を押し返す。

それを見て咲島さんはニヤリと笑い、私の眉間に指を当ててきた。


「あなたは少し、一葉ちゃんに傾きすぎている。仲裁に入るなら、もう少し両者の意見を聞けるようになりなさい」

「…それは、私にかずちゃんの味方をするなと言うことですか?」

「ええ。だってそうでしょう?与えられた仕事を自分の勝手な都合――それも、本当に身勝手な理由でやらないなんて…どうかと思うわよ?」


…まあ、そこだけ聞けばそのとおりだ。

咲島さんの言っていることは正しいし、筋は通っている。


でも…大切な部分が抜けている。


「私達は、あなたの部下じゃない。しかし、多大な恩がある。その恩に報いるために、あなたの仕事を引き受けているに過ぎません」

「…人の善意につけ込んで、利用するような人間に返す恩は無いと?」

「ええ。そして、あまつさえ家族を人質に取るような人にはなおさら」


咲島さんを睨み返す。

ここで下手に出ちゃいけない。

別に私自身、ここで帰るかは咲島さんの出方とかずちゃん次第。

ただ、私は『NOと言える人間』である事を咲島さんに示すために、反抗してるだけだ。


さあ、どうしますか?咲島さん。


「…そう。あなた達がそんな人間だとは思わなかったわ」


…不味いかもね。


ゆらりと咲島さんの体が揺れ、動き出す。

分かりにくいように、横移動をしながら私から距離を取るのだ。

その距離は…咲島さんの得意とする間合い。


私はかずちゃんに私の後ろから出ないように警告し、静かに構える。


「残念ね。本当に…」

「私も残念です」

「そうね。本当に、ザンネンね…!」


アイテムボックスから抜いた『ゼロノツルギ』が私の首を狙って振るわれる。

正直、首を狙ってくる事は読めていた。

あらかじめ守り固めていた私は、避けることなく前に出る。 


まさか、避けないとは思っていなかったらしい咲島さんの反応が一瞬遅れる。

寸止めの調整の為だ。


その一瞬で私の間合いへと入り、即座に咲島さんの胸倉を掴む。

そうして力任せに引き寄せると、身長差もあって、ほんの僅かに咲島さんを見下ろしながら口を開いた。


「私は、かずちゃんとの生活を、この幸せがいつまでも続くように…幸せを守るためなら、例えあなたでも殺す覚悟がある。その事だけは、覚えていて欲しい」


私の視線に、咲島さんは心底楽しそうな笑みを浮かべる。


「…ホンモノね。その思いは」


そうして、『ゼロノツルギ』をアイテムボックスへ仕舞うと、殺気を抑え込んだ。

私も咲島さんの服を離すと、かずちゃんの隣へ戻る。


…まあ、本気で怒っていたり不快に感じてる訳では無い事は知っていたから、ほぼ茶番だね。

最も、かずちゃんは本気でビビってたけど。


「お互い、幸せを守りたいと言う気持ちは同じ。だからこそ、今は面倒でもこの仕事を引き受けてくれないかしら?一葉ちゃん」

「…はい」


いつも通りの咲島さんに戻ると、優しくそう問いかける。

かずちゃんは首を縦に振ると、仕事を続けると言ってくれた。


はぁ…無駄に疲れた。

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