真尋、入試をする。

増田朋美

真尋、入試をする。

3月になり、桜がぼちぼち咲いてくるかなと思われる季節になってきた。今年は開花が遅いらしいが、それでも桜が咲くのは待ち遠しいきがする。

その日も、真尋さんはお母さんの睦子さんに作ってもらった御飯を食べて、今日も食べられて良かったなど、話をしていたところだった。美里さんは出ていってしまったが、真尋さんが動くことはできないため、引き続きそのままアパートを借りて住んでいた。

睦子さんがお皿を片付けようとすると、インターフォンがなった。

「はい、どちら様でしょうか?」

睦子さんがドアに向かっていうと、

「失礼いたします。あの、古郡真尋さんのお宅はこちらでしょうか?」

なんだか、老人の声が聞こえてくる。

「すみません、どちら様でしょうか?」

睦子さんがそういうと、

「はい、学校法人望月学園理事長の望月正人でございます。」

と聞こえてくるので、睦子さんは、そんな人を追い返すわけにはいかないと思い、直にドアを開けた。

「ああ、突然押しかけて申し訳在りません。真尋さんに、あわせてもらえませんか?」

とても親切な感じの理事長さんであった。流石に変な厚生施設に引き渡す引き出し屋とはまた違うようだ。

「あの、どういう、ことでしょうか。私が、呼び出したわけでも無いのですが。」

「ええ。それはよくわかっております。こちらの住所は、曾我さんが教えてくださいました。電話されても、信じてもらえないと思うとおっしゃっていましたので、それなら直接お宅へお伺いしたほうが良いと思いましてこさせていただきました。」

理事長さんは、とても明るく言った。

「こういうふうに、生徒さんのお宅を家庭訪問させていただくのは、珍しいことではございません。真尋さんにぜひあわせてください。本人に、学校の事を紹介させていただきたいです。」

「そうですか。わかりました。くれぐれも、あの子の負担にならないように、なるべく短時間でお願いします。」

睦子さんは、そういうと、真尋さんの部屋まで、理事長さんを案内した。理事長さんは、お邪魔いたしますと言って、アパートの中へ入った。

「君が、古郡真尋くんだね。大体の経歴は、曾我さんから聞かせていただきましたが、」

真尋さんは、直ぐに布団に起き上がろうとしたが、

「いや、そのままで大丈夫ですよ。お友達が来たような感覚でお話をしてくれればそれで良いです。私はね、学校法人望月学園の理事長の望月正人といいます。君は知っているかな?本校は、君のように勉強をしたくてもできなかった生徒さんが、たくさん学んでいるんだ。」

理事長さんはにこやかに言った。

「でも僕は、ほとんど学校に行けなかったので、何も学力もありません。」

真尋さんがそう言うと、

「初めはみんなそうなんだよ。だけど、うちの学校では、就職したり、大学に進学したり、家業を継いだり、いろんな進路の生徒さんがいるけれど、みんな勉強して自分の道を見つけている。君もそうじゃないかな。そうやって、勉強したいって、心の内では思っているのではないかな?」

理事長さんはそう話を続ける。

「そうかも知れませんが、僕は、ご覧の通り、寝たきりの体です。とても、学校になんて通うことは。」

真尋さんは申し訳無さそうに言うが、

「いや、大丈夫だよ。学校に来なくても今の時代は、オンライン授業とか、家庭訪問授業でしっかり学力をつけることはできますよ。それに、学校に来ないで、家庭訪問授業のほうが、順位や成績で比べられることがないので、安心して学校生活ができると言っている生徒さんは大勢います。だから、それは気にしないで大丈夫。」

と、理事長さんは言った。

「それに心に問題がある生徒さんのために、学校心理士をお宅へよこすこともできます。何なら、体験授業をしてみましょうか?学校説明会に来るのも難しいようなら、近い内に教師をよこします。基本的に、教師が訪問するのは、親御さんのいる時間でないとできないので、大体の生徒さんは、夜の七時くらいが多いのですが、いかがでしょう?」

「そうなんですか。」

真尋さんは理事長さんの話に迷っているような感じでいった。

「でも、もう体が、無理なのでは。」

「心配なら、一時間だけとか、短時間から始めることもできますよ。大丈夫です。過去には、がんセンターに入院していて、退院と同時に大学へ進学できた方もおられます。それに、目標ができれば、また人生楽しくなるかもしれません。人間ずっと同じところにいたら、疲れてしまいますからね。それなら、学校に在籍して少し変化のある毎日を過ごしてみるのはいかがですか?」

「そうですか、、、。」

真尋さんは少し考える仕草をして、布団に寝たままであったけれど、なにか決断したような顔をした。

「わかりました。そういうことなら、一度やってみます。」

「了解しました。それでは、直ぐに教師をよこします。楽しみに待っていてください。」

理事長さんはそう言って、布団に寝たままの真尋さんの肩を叩いた。ありがとうございます、と真尋さんは、にこやかに笑った。

理事長さんが真尋さんのところへやってきて数日後。夜の七時になると、真尋さんのアパートのインターホンが鳴った。

「こんばんは。古郡真尋くんの担当教師になりました。藤原と申します。」

ドアの向こうから、一人の女性の声が聞こえてくる。若い女性ではなく、40代から50代くらいの、ベテランの先生といった感じの女性だった。

「はじめまして、真尋くん。体験授業でこさせてもらいました。藤原秋子です。担当科目は、国語です。」

秋子先生は、にこやかに笑って真尋さんの部屋に入ってきた。

「寝たままで全然大丈夫だから、体験授業をしてみようか。今回は、漢字の勉強をしましょう。大丈夫、意味や組み合わせを考えて学べば、漢字の勉強も楽しくなります。ただ一斉に漢字を書けと言われてもピンとこないでしょうし。それなら、こうやって勉強すれば楽しくできるよ。」

秋子先生は、真尋さんの前で教科書を広げた。そして、木偏を見せ、そこから派生する漢字を次々に並べた。そしてその漢字がどういう意味なのか、どこから起源でその感じができたのか、あるいは、文章としてどう使うのかなどを教えてくれた。なんだか、小学校でも、こんな個性的な教え方はしないだろう。知識を教えるクイズ番組にでも参加しているような、そんな楽しい授業だった。やはり、望月学園というだけある。勉強が嫌いになってしまった生徒さんにも、勉強に興味を持ってもらえるよう、色々考慮されている。

「それでは、本日の授業はここまで。なにかわからないことはありますか?」

秋子先生は、にこやかに笑った。真尋さんはもうつかれた顔をしているが、

「わかりやすくて楽しかったです。」

とだけ、答えていた。

「入学すれば、学校のタブレットでいつでも話ができるわ。訪問するときも、雑談する時間もあるし。やっぱり、学校の先生は、学問を教えればいいかということは無いもの。」

秋子先生がそう言うと、真尋さんは涙をこぼしてしまうのであった。思わず秋子先生は、どうしたの?なんでなくのと聞いてくれたけれど、

「だって、こんな年になって、勉強できるなんて思いもしませんでしたから。僕は今年40ですよ。そんな年齢で、ほとんど勉強なんてできなかったのが、また改めて勉強し直せるんですから。」

「いい時代になったものですね。」

真尋さんに続いて、睦子さんが言った。

「そうよ。だから、こういう学校を有効活用してくれれば、真尋くんだって、学校へ通えるようになってるの。だから大丈夫。真尋くんだって、勉強することはできるわ。どう?望月学園で、入学してみない?」

秋子先生に言われて、真尋さんはそうですねという顔をした。

「いつまで、体が持つのかわかりませんが、でも、勉強ができるのなら。」

そう言うと、秋子先生が大きく拍手をした。

「今の時代は、全日制の高校に行くのがすべてじゃないし、県立の高校で頭がいいなんて言う時代は終わったの。だから、気にしないで、望月学園で勉強してください。」

「ありがとうございます。」

睦子さんがそう言うと、

「それならね、真尋くん。どこの学校にも、必ずあると思うけど。」

秋子先生は言った。

「ああやっぱりあるんですか?受験勉強は。」

睦子さんが直ぐいった。

「いいえ、受験勉強ではないけれど、望月学園でどんな事をしたいのか、作文を書いて提出してほしいのよ。もちろん、オンラインで十分よ。スマートフォンかタブレットのメールアプリで提出してくれれば良いわ。作文の長さは、原稿用紙1枚以上で、上限は無し。そこさえ守ってくれれば、作文の文体も何も気にしないで書いてくれればいいから。」

つまり、これが入試の代わりのものだということだ。入試がまったくないわけではなく、通信制高校であっても、作文を書くとか、なにか実技試験を課されることもあるという。まあ確かにそれは生徒の現状を知るために、必要なのである。

「それなら、タブレットで書かせて貰えばそれで良いわね。」

と、睦子さんが言うが、

「いいえ、手書きにします。」

と、真尋さんは言った。

「でも、それだと負担が、」

睦子さんがそう言うが、

「やっぱりこういうときはオンラインに頼らず、手書きでやったほうが良いと思います。」

真尋さんはきっぱりと言った。睦子さんはでもといったが、

「いや、良いんじゃないですか?彼が、彼の意志を初めて示したわけですから、それに従ったほうが良いと思いますよ。それにわたしたちも、精一杯お手伝いさせていただきますし。」

と、秋子先生がそういったため、睦子さんはそれ以上は言わないことにした。

「では、一週間待ちますので、来週の今日こちらへ取りに来ますから、そのときに、作文とこちらの入学希望書類を提出してください。よろしくお願いします。」

秋子先生は、睦子さんに一枚の分厚い茶封筒を渡した。

「じゃあね、真尋くん。望月学園で、待ってるね!」

秋子先生はにこやかに笑って、部屋を出ていった。帰りは、睦子さんが送っていった。睦子さんは、送り出しながら、どうして通信制高校の先生になったのか聞いてみると、指導力不足のレッテルを貼られてしまい、全日制の高校で教えられないからだと秋子先生は答えた。そこで、通信制の高校でやり直したいという。それでも、軽い気持ちでやり直したわけでは無いとも言った。睦子さんは、そんな秋子先生の顔を見て、この世の中、悪い人ばかりではないんだと思い直した。

その日から真尋さんは入学に向けて作文を書き始めた。と言っても、書きたいことは沢山あるのに、原稿用紙に半分書いては休み、一枚書いたら眠りである。そんな亀より遅いペースで真尋さんは、作文を書きはじめた。遅いペースで、ひらがなばかりの作文だが、一生懸命書いていた。ところどころ誤字や当て字もあるけれど、頑張って書こうという意志がちゃんと見えていた。

「社長、只今戻りました。」

宅配クリーニングの配達を終えて戻ってきた年配の社員が、社長である加藤理恵さんに言った。

「ああ、その後どうなったの?」

理恵さんは当然のように言う。

「その後どうなったって何がですか?」

社員が聞くと、

「ええ、古郡真尋のことよ。なにか情報がもらえたら、直ぐに私に報告するように、以前指示を出したでしょ?」

理恵さんは直ぐに言った。

「彼のことですか。なんでも噂になっていて、あくまでも噂は噂ですが、高校受験の勉強を開始したということです。」

と社員は、そう報告した。

「それで、受験勉強はどうなの?多分あんな体だから、きっと直ぐにギブアップしてしまうだろうし、それに、彼のような重い障害を持っていたり、義務教育も満足に受けてない子を入れてくれる高校なんて、あるわけ無いでしょう?」

理恵さんがそう言うと同時に、理恵さんに差し出すお茶を渡そうとした美里さんは、思わず手を滑らして、湯呑みを落としてしまった。

「何をしているの!しっかり仕事しなさい!美里のお婿さんはお母さんが決めます。」

理恵さんはそう決め台詞を言ったのであるが、美里さんは、小さな声で、

「真尋が学校に行こうなんて、、、。」

と言ってしまった。

「どこの学校なのかしら?」

美里さんが思わず聞くと、

「いやあ、そこはわかりません。私も、教育関係にあまり人脈が無いものでして、そのあたりのことは詳しくないのです。」

と年配社員は言った。まあ確かにその社員の言う通り、通信制の高校は、大きく宣伝することはしないので、あまり情報が入ってこないという特徴もある。

「真尋は、今でもあのアパートに住んでいるの?」

美里さんは、思わずその社員に聞いてしまった。

「そうみたいですよ。第一、簡単に動ける体ではないの、」

人の良い社員は、美里さんの質問に答えてしまう。すると、理恵さんが思わず机を叩いて、

「早く、湯呑みの割れたのを片付けなさい!どうせ、受けさせてくれる学校がなくて、頭を下げてくるわ!」

と言った。美里さんは、思わず、

「そうかしら!体が弱いとしても、意志はまた別かもしれないわよ!」

と言ってしまう。結局、割れた湯呑みの始末は、美里さんも理恵さんもしようとはせず、年配の社員が行うことになった。まあ、いつものことですと年配社員は言っていた。

美里さんは、仕事が終わると、あのアパートにいってみようかと思ったが、理恵さんが会社の入口で立ち尽くしていたため、それはできなかった。次の日も、その次の日も同じであった。それでは、とても家を飛び出して、どうのということはできなそうであった。

それから、秋子先生が訪問して一週間経った日。真尋さんは、どうにかこうにかという表現がふさわしいペースで作文を書き上げ、茶封筒にそれを入れた。そして、いつもなら、ベッドに寝たままで居るはずなのに、その日はちゃんと布団の上に座って、秋子先生が来るのを待った。

秋子先生は、その日のお昼すぎにやってきた。

「こんにちは、真尋くん。」

秋子先生は、真尋さんの部屋に入った。睦子さんが、保護者として書いた、入学希望届も受け取って、

「じゃあ、こないだお約束した作文、書いてくれたかな?」

と、真尋さんに聞いた。

「はい。間違いだらけの字で申し訳ありませんが、ありのままの事を精一杯書かせていただきました。」

真尋さんは、茶封筒を秋子先生に渡した。秋子先生はそれを袋から取り出して、

「ずいぶん、一生懸命書いたじゃない。こんな長い作文書いてくれた生徒さんはあなたが初めてよ。」

とにこやかに笑った。確かに、原稿用紙七枚書いたというのは、学生の作文にしては長いものであった。

「じゃあ真尋くん、これを理事長にお渡しして、あなたの正式な入学を許可してくれるように頼んで見るから、この作文は預からせてもらうわね。」

秋子先生は、そういったけれど、真尋さんから返答はなかった。その代わり、カエルを潰したような、うめき声がした。直ぐに睦子さんが、真尋さんに声を掛けるが、返答は無い。秋子先生は、真尋さんが、胸を抑えてうずくまっているのを確認し、真尋さんの方へ駆け寄る。真尋くん大丈夫と声を掛けると、

「すみません、ちょっと息苦しくて。」

と真尋さんは、そこまでやっと言えた。そして、力を全部使い果たしてしまったかのように布団に倒れ込んだ。睦子さんが真尋さんに、薬を飲ませて、大丈夫だからねと言って、背中をなでていた。秋子先生は、これから高校に入ったら、と言うセリフを言おうと思ったが、真尋さんの顔を見て、それは言えなかった。

それと同時に、また玄関のドアが急いで開いた。誰かと思ったら美里さんだった。

「まだここに住んでいるって聞いたから、どうしても会いたくてこさせてもらったわ。」

美里さんは、そういった。でも真尋さんはもう疲れてしまって、何も言えなかった。睦子さんや、秋子先生に、一生懸命介抱してもらっているのを見た美里さんは、

「もう私は、真尋にとって、要らなくなっちゃったのかな?」

と小さい声でつぶやいた。

「あなたは、真尋くんとどんな関係があるんですか?」

秋子先生が、教育者らしく聞いた。

「ええと、あたしは、真尋と結婚の約束をしていました。母が、さんざん反対して、あたしたちの結婚を認めてくれなくて、それで仕方なく実家へ帰ったんですけど、あたしは未だに真尋のことが好きです。」

美里さんは、正直に答えた。

「そうなのね。それならなおさらいいわ。そういう人がいてくれるんじゃこれからも、真尋くんは一生懸命勉強するようになると思うわよ。ほら、真尋くん。疲れたのはわかるけど、よく休んだら、一緒に勉強頑張ろうね。」

秋子先生は明るく真尋さんに言ったが、真尋さんの方はまた苦しそうで、つらそうだった。睦子さんが真尋さんの背中をなでてやりながら、

「ごめんなさい、美里さん。真尋、今日はちょうど入試が終わったばかりで、なんだか疲れているみたい。御用がお有りなら、また違う日にもう一度来てください。」

と、美里さんに言うのであるが、美里さんは、ちょっと涙をこぼして、

「そうなんだ!あたしは、もう、用無しなのね!真尋は、新しい学校にいって、それで色々勉強するんだ!そんな美人の先生がついて、もうあたしは、必要ないんだ!」

と言って、アパートを飛び出してしまった。秋子先生がちょっと待って!と言っても、気が付かないようだった。それと同時に真尋さんが、薬がうまく効いてくれたようで、静かに眠り始めてくれた。秋子先生も、睦子さんも真尋さんのことが心配で、彼のそばを離れることができなかった。美里さんがどこへいったのか追いかけるものは誰もなかった。

外は、そろそろ桜の開花が始まると言われている。現に神社や公園などにある桜の大木は、静かに蕾を膨らまし、花を咲かす準備を今か今かとしているようであった。でも、それが嬉しいようにも悲しいようにも見えてしまうのは、他の動物だからではなく、人間だからそうなるのだろう。ときは、時として残酷になるのである。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真尋、入試をする。 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る