偽者の苦悩

三鹿ショート

偽者の苦悩

 往来において、膝をついて苦しんでいる様子を見せているにも関わらず、彼女に声をかけようとする人間は存在していなかった。

 見過ごすことができなかったために声をかけると、彼女の顔色は青かった。

 私の言葉に反応するものの、尋常ではない様子だったために、私は救急車を呼び、そのまま病院へと付き添うことにした。

 やがて体調が回復した彼女は、私に対して恭しく頭を下げ、感謝の言葉を吐いた。

 彼女は謝礼がしたいと告げたが、私は首を左右に振る。

 見返りを欲していたために、彼女に手を差し伸べたわけではないからだ。

 私がそのように伝えると、彼女は自嘲の笑みを漏らした。

「私の外見が美しいものだったのならば、あなたのような人間は多かったことでしょうね」

 そのような言葉を吐く彼女は、確かに一般的に佳人とされる人間とは、その外見に大きな差異が存在しているように見える。

 丸太のような体型に、腫れぼったい双眸や唇などの持ち主だが、私にとって、それらが手を差し伸べることを避ける理由にはならない。

 そして、私の美的感覚が大多数の人間のものと一致していないことが理由なのかどうかは不明であるが、私は彼女に対して、嫌悪感などを抱くことはなかった。

 世界には様々な人間が存在しているゆえに、どのような外見だったとしても、一人の人間であることには変わりはないのである。

 私の言葉を耳にすると、彼女は口元を緩めた。

「あなたのような人間ばかりが存在していれば、私はこのような能力を使って生きることもなかったのでしょう」

 何の話かと首を傾げようとした瞬間、彼女が肉体から光を放った。

 思わず目を閉じたが、やがて開眼すると、彼女の姿が消えていた。

 その代わりとして、先ほど彼女を治療した女性の医師の姿があった。

 何事かと驚いている私に向かって、女性の医師は笑みを浮かべながら、

「私は、一度目にした人間に変身することができるのです」


***


 いわく、彼女が他者に変身することができるようになったのは、学生時代の頃だということだった。

 その醜悪な外見を理由に虐げられ、涙を流しながら帰宅している途中で、彼女は不可思議な生物を目にした。

 様々な色に変化しながら蠢くその粘液生物に、彼女は恐怖を覚えた。

 だが、次の瞬間、その生物は、彼女に襲いかかってきた。

 顔面を覆ったかと思いきや、そのまま鼻や口に侵入し、数秒後には、彼女の身体の中に消えていた。

 咳き込んだが、激痛や吐き気などを覚えているわけでもなかったために、白昼夢でも見たのだろうかと考えた。

 そのまま帰宅し、入浴しようとした彼女は、鏡に映った自分を見た。

 醜い肉体である自分を眺めながら、同じ学級で異性に人気がある女子生徒のような外見だったのならば虐げられることもなかっただろうと考えていたところで、彼女の肉体が光を放ち始めた。

 目を閉じていた彼女が開眼すると、鏡には、先ほどまで思い浮かべていた女子生徒が映っていることに気が付いた。

 自分の姿が変化したのだと気が付くまで、しばらく時間がかかったが、やがて自身の体内に入り込んだくだんの生物の影響なのではないかと考えた。

 それから何度か変身を繰り返した結果、自分は一度目にした人間の姿に、自由に変化することができるのだということを知った。

 そのことを知った彼女は、この能力に恐れることはなく、この能力があれば、美しい人間に変身することで、周囲の人間に愛されるのではないかということを期待した。

 その想像は、正しかった。

 自分が目にしたことがある佳人に変身し、煽情的な格好で声をかけるだけで、彼女は多くの男性から愛の言葉を囁かれるようになったのである。

 幸福そのものの時間を過ごすことができるようになったが、先ほど往来で気分が悪くなった自分を助けようとする人間が存在していなかったことから、当然の事実に気が付いた。

 自分という人間は、変身しなければ、何の価値も存在していないのだ。

 本物である自分が愛されることはなく、偽者である自分が愛されるのならば、本物の自分が存在している理由とは、一体何なのだろうか。

 体調不良が思考までも悪化させ、彼女は涙を流しながらその場に倒れそうになったのだが、其処で、私が姿を現したということだった。


***


 どのような言葉を口にしたところで、その場限りの同情だと思われるだろう。

 それでも私は、彼女に伝えたい言葉があった。

 私は彼女の膝に己の手を置きながら、

「他の人間たちは変身したきみだけに反応するだろうが、私は変身していない状態のきみでも、一人の人間として接することができる。たとえきみが変身することができなかったとしても、学生時代にきみと出会っていれば、私はきみを避けることなく、もしかすると、友人と化していたかもしれない。本物のきみのことを避ける人間ばかりならば、きみと向き合うことができる最初の人間が、私ということになるだろう。私のような人間でよければ、友人として、共に行動しても構わないか」

 頭脳明晰な人間が存在すれば、運動能力が優れた人間もまた存在している。

 見目が美しい人間が存在すれば、醜悪な人間もまた存在している。

 人間は大量生産された機械などではなく、一人一人が、別々の個体として存在しているのだ。

 ゆえに、どのような人間であろうとも、世界にとって唯一の存在なのである。

 だからこそ、私は偏見を持つことなく、生きるようにしていたのだ。

 私の言葉を耳にした彼女は目を見開いていたが、やがてその双眸から涙を流し始めた。

 そして、小さく頷いた瞬間を、私が見逃すことはなかった。

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偽者の苦悩 三鹿ショート @mijikashort

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