7 孤児
ドワーフの少女、ゾイが湯船を見守っている間、俺は寝室に戻って身体を休める事に集中していた。
疲れやすく、回復は早い。ディートハルトにはまだ余裕があるが、俺はそのディートハルトに付いて行けてない。この矛盾が俺に休憩を必要としている。
ベッドに寝そべって十五分ぐらいしてからだろうか。
ゾイが戻ってきて、風呂が沸いた事を言った。
「……」
戻ってきたゾイは素っ裸で、幼女のカエル腹にげんなりした俺は眉間を強く揉んだ。
何故、裸なのか。何故、頬を染めているのかは聞かないでおく。
気になるのは、ゾイの身体に所々掻き毟ったような傷が散見している事だ。
「ゾイ、来るんだ」
「うん……」
よく診る。
腕、足、腹、太腿。陰部にも掻き毟った形跡がある。
まあ、汚いルンペンのガキだ。
皮膚病の一つや二つ持っているだろう。これはおそらくゾイだけじゃなくて、他のガキ共にも同じ事が言える。
面倒な事この上ないが、これは移る病気だ。
俺は取り敢えず浴室に向かい、備え付けの備品の中から手拭いを取り、湯桶に沸いたばかりのお湯を張ってゾイの元に戻った。
それで取り敢えず、ゾイの全身を清拭する。
「少し滲みるぞ」
「……」
ゾイは黙って頷いた。
そして幼い身体を拭き上げる間、ゾイは一切言葉を漏らさなかった。
自ら掻き毟っただろう傷は思いの外深く、
子供だが、痛みに耐性がある。
「……」
俺は……雑な大人だが、これでも現代日本人の常識ぐらいは備えているつもりだ。皮膚病や痛みに耐性のある子供には憐れみしか感じない。
「着ていた服は風呂場の湯で洗え。清潔にするんだ。そのまま着るな」
ゾイは短い沈黙を挟み、静かに頷いた。
「…………はい」
ゾイの小さな身体を清拭するのに、湯桶の湯を三回汲み直さなければならなかった。
面倒臭かったのでゾイにやらせたかったが、何故か目に涙を浮かべて落ち込んでいるゾイを見ると、それは少しばかり酷なような気がしたので俺がやった。
暖炉では、ぱちぱちと音を立てて薪が燃えている。
隙間風が吹き込むようなボロ部屋だが、それなりに暖かい。不潔で寒い下水道よりは一億倍ぐらいマシだろう。
満足行くまでゾイの身体を拭き上げた後、俺は人差し指と中指を唾液で湿らせ、ゾイの額に聖印を書き込んだ。
「祝福を与える」
すると、ぱっとエメラルドグリーンの光が散ってゾイの身体を包み込んだ。
「わっ……!」
ゾイは少し驚いて、それから自身の身体を見渡した。
別に傷が塞がった訳じゃない。
痒みを止めただけだ。神力が不足している今はこれが限界。
「……とにかく清潔にするんだ。痒みがぶり返すようなら言え。それぐらいなら、なんとでもなる」
今の現状ではこれが精一杯だ。
生活を支える為に俺は先ず金を稼がねばならない。少ない神力の使い途は既に決まっている。痒みを止め、原因を除く事で皮膚病自体の治癒はゾイに任せる。
「……」
ゾイは目に涙を浮かべたままだ。何を考えているのかは分からない。興味もない。
俺は浴室に向かい、裸のゾイもその後に付いてきた。
俺も衣服を脱ぐ。
肋の浮いたガキの身体。今の所、病気や怪我のような不備はない。大事にしなければ、いずれガキ共をとやかく言えなくなるだろう。
先ずはゾイと並んで掛け湯をして、二人で一緒に湯船に入った。
「滲みるが我慢しろ」
「うん……」
短く頷いたゾイは、何故か俺の足の上に座っている。
回りを見渡すが、石鹸や洗剤の類いは見当たらない。
やむを得ず湯船で汗を流すだけに留め、外に出て頭を洗うとゾイもそれに倣った。
最後にもう一度湯船で身体を暖め、残り湯で俺とゾイの服を洗った。
◇◇
固く絞り、水気を切った服は暖炉の前に椅子を置いて干した。
くそったれの安宿にはローブのような着替えらしいものはなく、やむを得ず裸のゾイにタオルを巻き付けてベッドに同衾した。
この辺は馬鹿みたいに冷える。
薄っぺらい毛布に俺一人寝ていたら凍死する可能性がある。
砂漠型の気候だろうか。
厳しい気候だ。ゾイや亜人のガキはともかく、『人間』の俺にはかなり堪える。先ずはこれをなんとかしなければ俺も長くないだろう。
そこまで考えた時、静かに扉を叩くノック音が響いた。
アビーだろう。
俺は無視する気満々だったが、ゾイはそうも行かないようで、だるそうに身体を起こした後、名残惜しそうに俺を一瞥して、タオルを身体に巻き付けたままの格好で扉の方に歩いて行った。
薄っぺらい毛布を腰に巻き付け、俺も身体を起こしてアビーを待った。
アビーはタオル一枚のゾイに、何の興味もないようだった。
「ディは、まだ起きてるかい?」
「……うん。起きてるけど、凄く疲れてる……」
短い廊下を抜け、寝室にやって来たアビーは、身体に毛布を巻き付けただけの俺の格好に顔をしかめたものの、特に言及する事はなかった。
「遅い」
短く責めると、アビーはあからさまに苦虫を噛み潰したように眉間に皺を寄せた。
「ご、ごめんよ。アシタたちとちょっとあってね。ほら、食いもんだ。……ゾイ、あんたも食いな」
そう言ってアビーが差し出したのは、バケットのような固そうなパンに肉や野菜を挟んだサンドイッチだ。量だけは多くしろと言ってあったので、それが六つある。
ゾイがコップに水を汲んで持ってきたので、それでサンドイッチを腹に詰め込んでいる間、アビーは暖炉の前に干した衣服を見て溜め息を吐き出した。
「……で、話って?」
「鬼と猫の娘の事だ」
「アシタとエヴァか。あの子らがどうかしたのかい?」
「どうもこうもあるか。あいつらには、もっと仕事をさせろ。見た感じ、アビー。あんたは仕事が多すぎる」
と言った所で普段は何をやっているか分からないが、ガキ共の生活がアビー一人の肩に掛かっている事は間違いないだろう。
「……」
俺の指摘は正しかったのか、アビーは目尻を下げ、何とも言えない複雑な表情になった。
「見た所、あんたは半端に甘い所がある。先ずチビ共の面倒はあの二人に押し付けろ。出来なきゃ無能と責め立ててやれ」
「…………」
ガキ共の中では最年長かも知れないが、アビーもまだまだガキの年齢だ。気負う所もあるだろう。だが、リーダーにだけ責任がのし掛かる集団は、あまり長くは続かない。
「……そりゃ、あたしに対する命令かい、ディ」
「違う。あんたが潰れる所は見たくない。それだけだ」
固い表情で俺を見ていたアビーだったが、そこで表情を少し緩めた。
俺は適当に考えを話しながらサンドイッチを三つ腹に詰め込み、残りの半分はゾイに押し付けた。
「……」
その様子にアビーはまた顔をしかめ、驚いた表情のゾイは俺と不機嫌そうなアビーを見比べた後、思い出したようにサンドイッチを口の中に詰め込んだ。
「とにかく……」
俺は改めて言った。
「アビー、俺はあんたの部下だ。あんたの望み通り、しっかり金は稼いでやるが、それ以外はあんたの仕事で、あんたの権利、あんたの義務だ。分かってるか?」
「……っ、あぁ。言われるまでもない。その通りさ」
「だとしたら、だ。つまらん事はあの二人に押し付けろ。無理なら出来るヤツにやらせりゃいいんだ」
「……そうだね。分かったよ……」
おそらくだが……
目端が利き、勘が働いて頭の回るガキと、それに付いていく運のいいガキが生き残れるような場所だ。
俺は一人が性に合ってるし、こんな見るに堪えないガキ共の面倒を見るのは御免だ。
「俺は金さえ稼げば、あんたは文句ないだろう。とにかく、あの二人には仕事をさせろ。なんならNo.2も降りる。どっちかにやらせりゃ、少しはやる気を出すだろう」
適当に言ったつもりだが、この言葉にアビーは激しく反応した。
「駄目だ! ディ、あんたがNo.2をやるんだ! あんたの上には、あたししか居ない!」
なんだってそこに固執するのかは分からない。俺は俺だ。ガキにもアビーにも興味はない。
俺は答えなかった。
「……」
沈黙で答える俺を持て余したように、アビーは何度も唇を舐めた。それは言葉を選んでいるようにも見えたし、深く考え込んでいるようにも見える。
「ディ……あんたは才能があるし、頭もいい。あたしには……いや、あたしたちには、あんたの力が必要なんだ……」
それは事実上の降伏宣言に聞こえる。
この過酷な環境で生き残り、小さいとはいえ集団のリーダーにまでなったアビーだが、重荷に耐え兼ねているように聞こえる。
俺は……
俺は、小さいガキのなりをしているが、中身はいい歳の男だ。食い詰めたガキに掛ける『慈悲』ぐらいは持ち合わせがある……つもりだ。
「……分かった。あんたの意思に従おう……」
迷いながらも頷いて見せると、アビーは少しホッとしたようだった。短く溜め息を吐き、俺の横でゾイもまた安堵の息を吐く。
俺は言った。
「言っとくが、俺は偉そうだぞ。この口振りは変えるつもりがないからな」
この言葉には、アビーとゾイの二人が揃って吹き出した。
「そりゃもう、知ってるさ」
この集団を支える為に、俺がやらなきゃいけない事はクソ程ある。
……
俺は天を仰ぎ、不遇を託つ我が身を嘆いた。
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