6 安宿にて

 しかし……暑い。

 マジックドランカーの上に、この暑さはかなり堪える。ガキの身体では尚更だ。俺を背負っていた鬼娘も全身にしっとりと汗をかいていた。


 今朝、引き払った安宿に戻った時、ギラギラと目に痛い太陽はオレンジ色になっていた。


 個室は素泊まりで銅貨二枚。二千シープ。依然、通貨の価値は分からないが、うんと安いんだろう。アビーは俺の要望通り個室を用意してくれた。尚、他のガキ共には大部屋を取ったようだ。

 アビーが猫なで声で言った。


「ディ、夕餉は店屋物でいいかい?」


「任せる。何でも構わないから、量は多めにしてくれ」


「あいよ」


 明日も金の宛があるお陰か、アビーは気前よく頷く。


 そんな俺たちのやり取りに猫娘と鬼娘は顰めっ面を向けている。

 不満が噴き出すのは時間の問題だろう。

 俺はアビーの先導で、鬼娘に背負われたまま個室に入った。


 隙間風の吹き込むようなボロ部屋だが、一応風呂もあれば暖炉もある。

 鬼娘は眉を八の字にして、やけに神妙な表情で俺をベッドに下ろしてくれた。そして、何故かガキ共は全員が部屋まで付いて来た。


 ガキ共は初めて見る個室が珍しいようで、目を丸くして見入っている。何せガキだ。放っておけば暴れ出すのは時間の問題だろう。

 そうなったら堪らない。

 俺は手っ取り早くガキ共を追い払う事にした。


「ここでいい。アビー。あんたはガキ共に付いていてやってくれ」


「えっ? な、なんでさ」


 アビーは俺を見て、実に意外そうな顔をして驚いているが、別に意外でもなんでもない。


「あたしなら、いいんだよ? この中なら、一番のシャンだろ? よくしてあげるよ?」


 シャンってなんだ。よくしてってなんだ。何を考えている。マセガキが。


「アビーはリーダーだ。あんたが大勢の方に付いてなくてどうする」


 これは結構重要な事だ。特に、鬼娘と猫娘は、アビーの俺の扱いに意見があるように感じる。


 No.2とはいえ、未だ新入りの俺に不服を抱くのは当然の事のように思う。


 アビーは後ろに手を組み、背の低い俺に笑いかけて見せた。


「こいつらなら、アシタとエヴァに任せとけばいい。あたしの裁量なんだ。グスッとも言わしゃしないよ」


 だから、そういうのが不味いんだ。


 俺は溜め息混じりに首を振った。


「アビー、俺は休みたい。分かるか? 静かに休みたいんだよ」


 そこで俺は、ドワーフの少女に視線を送った。


「ゾイだ。ゾイを付けてくれ」


 その途端、にっと笑ったゾイだが、アビーに睨まれて慌てて素知らぬ顔でそっぽを向いた。


「……」


 眉を寄せたアビーは、険しい表情で俺とゾイを見比べている。

 頻りに唇を舐め回し、何か考えているようだったが、そこで思いもしない横槍があった。


「あ、あたいも手伝う……」


 そう言ったのは鬼娘だ。

 何が狙いだ。

 俺と同じように猫娘も驚いたのか、目を剥いて鬼娘の方を見つめている。


「あ、あんたはヘロヘロだし、ち、力仕事もあるだろう。ゾイだけじゃ……」


 言葉の後半は自信なさそうに口の中に消えていった。

 勿論、俺は首を振った。


「お前はいらん。ゾイ一人で充分だ」


「……」


 突っ慳貪な俺の言葉にムッとして、鬼娘の目付きが鋭くなった。

 ゾイは口元の笑みを隠せずにいる。

 猫娘はいよいよ憎悪を隠しきれなくなったのか俺を睨み付けているし、アビーはアビーで気に入らないらしく、口元に手を当てて考え込んでいる。


「……それと、アビー。あんたには大事な話がある。後で来てくれ。一人でだ」


「……」


 俺の言葉に納得した訳じゃないが、取り敢えず引き下がる事にしたのか、アビーは小さく頷いて踵を返した。


 お前らは個室に泊まりたいだけだろう。


 ガキを連れ立って行くアビーの背中を見ながら、俺はうんざりして、溜め息を吐き出した。


◇◇


 個室で、ドワーフの少女ゾイと二人きりになり、辺りは静かになった。


「わぁ……」


 ゾイは個室が珍しいのか、あちこち見て回っている。特に気に入ったのが暖炉で、何処からか火掻き棒を引っ張り出して中を掻き回していた。


「夜、暖炉つけていい?」


「ああ、何でもゾイの好きにしてくれ」


 そう言って、くたくたの俺はベッドに身体を投げ出した。


「……ゾイ、俺は疲れてる。凄く疲れてる。少し眠るが風呂には入る。メシも食う。アビーが来たら話をするが、それ以外は全部ゾイに任せる。いいか?」


「いいよお」


 ゾイは何処からか引っ張り出して来た薪を暖炉に投げ込んでご機嫌だ。

 小さいが可憐な風貌。

 ちょこちょこ動くドワーフの少女。

 種族的には土族ノームに次いで信仰心が強く、アスクラピアとの親和性が高い。初対面の内から親切だった事と無関係じゃないだろう。


 固く黴臭いベッドだが、寝転がると全身に吸い付くような気がして――


 意識に、眠りの帳が落ちる。


◇◇


 今日、一日。たった三人を治しただけで俺の神力は底を付いた。

 マジックドランカー。

 俗に言う魔法酔いの症状だが、『魔力』でなく『神力』を消費する癒者や神官も同じ症状に陥る。

 魔力や神力を使い果たし、昏倒するこの症状を『マジックドランカー』と総称する。


 俺が簡単に目を回してしまったのは、まだディートハルトとの一致が上手く行ってないからだ。

 だが、それも時間を経て馴染んで行くだろう。

 完全に一致したとき。

 俺とディートハルトとは同一人物になる。異世界人にして、アスクラピアの神官、ディートハルト・ベッカーになる。


◇◇


 疲れはてたように思っていたが、実際に俺が眠っていた時間は短かった。


 薄く目を開けると、窓から射し込む光が藍色になり、ちょこちょこ動くゾイが壁にランタンを掛けている姿が見えた。


「……アビーは、まだか?」


「あっ、起きたあ? アビーならアシタたちと揉めてるよお? 少し時間が掛かると思うぅ」


「そうか」


 特別、驚くに値しない。

 アビーは古参のガキを蔑ろにしている。揉めない方がどうかしている。


 ちょこちょことやって来たゾイの顔は、頬に暖炉の煤が付いて汚れている。


「先に、風呂に入るか……」


 漠然と呟くと、何故か妙な間があった。


 ピタリと動きを止めたゾイが、すんと鼻を鳴らして固まった。

 暫くの沈黙のあと……


「……いいよ」


 なんだ、その間は。

 セクシャルなものを感じたぞ。


 ゾイと二人で風呂場に向かう。

 石造りの風呂場には、すのこが敷き詰められてあって、そこに無造作に木の樽が置かれている。それが浴槽のようだ。


 蛇口のようなものがない事に困惑していると、ゾイが近くの棚から青い石を一つ取り出して樽の中に投げ込んだ。

 石ころが樽の中を跳ね回り、結構な音がした。

 なんとなく樽の中を覗き込むと、石から凄い勢いで水が染み出している。


「おお……」


 流石、ファンタジー。

 感心していると、そこにゾイがもう一つ、今度は赤い石を投げ込んだ。すると、その赤い石は水の中で熱気を放ち揺らめき始めた。


 このように、水を多量に含んだ石を『青石』。熱を閉じ込めた石を『赤石』と呼ぶ。これらはポピュラーな品であり、ゾイが使用している事から見ても珍しい物ではない。何処にでもある物のようだ。


 滲み出すディートハルトの記憶を確認している間、何故か緊張しているゾイは、じっと湯船を見つめていた。

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