5 ヒール屋
アビーが初めて連れてきた客は、二人連れの女冒険者だった。
とんがり耳でやたら顔立ちの整った女と、妙に筋肉質でがっちりした体格の女だ。
最初の客に女を選んだのはアビーの采配だろう。冒険者というのは、例外なく抜け目なくて気性が荒い。アビーが、同じ女なら、と浅はかに考えたのはすぐに理解できた。
とんがり耳が、尖った声で言った。
「五千シープ。それ以上は払わないわ。上手く行かなきゃ……分かってるわよね?」
「あ、ああ、分かってるって……」
そう答えたアビーは腰が引けている。――ビビっている。
それもそうだろう。
とんがり耳は肩に弓。腰のベルトにナイフを何本も差しているし、デカい女は身の丈近い大剣を背負っている。荒事になれば一溜まりもない。
アビーが泣きそうな顔で言った。
「ディ、頼んだよ」
ガキ共に見せるのとは違う表情に、俺は吹き出しそうになった。
笑いを噛み殺していると、猫娘の方が酷く殺気立つ気配があったが、この時は何も言わなかった。
俺は小さく頷き、先ずは軽く吹っ掛けた。
「先ずは五千でいい。でも上手く行ったら、次は一万払ってほしい」
金の価値は分からないが、足元を見られている事だけは分かる。
「いいわ。使える癒し手なら、それぐらいは払ってやるわよ」
大勢いるガキ共を見回し、とんがり耳がぞんざいに言って、デカい女が前に出た。
「これだ。出来るか?」
デカい女が右腕の袖を捲ると、何かの獣に噛み付かれたように並ぶ半円形の穴が開いている。
ひっくり返して見るとやはり同じ傷があり……
「ふむ……何かに噛まれたか?」
「ダイアウルフさ」
「
「え?」
アビーは一瞬、キョトンとして、疑問符を張り付けた表情で俺を見た。
「汚い犬に噛まれたんだ。先ず、傷を洗わんと駄目だろう」
「あ、え……」
おろおろするアビーの様子に、デカい女が溜め息を吐き出した。
「あたしが持ってる。使ってくれ」
「すまないな」
デカい女から革製の水筒を手渡され、それで傷口を洗う。
「絞るぞ。少し痛む」
「ああ、やりな」
女が歯を食い縛り、俺は女の腕を掴んで雑巾を絞るみたいに両手で絞り上げた。
「……つっ!」
女が僅かに呻き、腕の傷が出血すると共に、穴状の傷口から短い牙が顔を出し、地面に転がった。
「えらいぞ、よく耐えたな」
「……っ、ガキ、馬鹿にすんなよ……」
今の俺はガキだった。忘れていた。
俺は肩を竦めた。
「雑なやり方ですまない。次は痛くないようにする」
デカい女は、なんだか複雑な表情で俺を見下ろしている。目尻を上げたり下げたりして、怒ったような、面映ゆそうな。そんな表情だ。
続いて『蛇』を出す。
とんがり耳が俺の腕にとぐろを巻く蛇を見て、目を丸くした。
「ウソ、両腕に蛇?」
傷口をなぞるように触れると、淡いエメラルドグリーンの光が暗い路地裏を照らす。
「……」
デカい女は、妙に安らいだ表情で消えていく傷口を見つめていた。
「……終わった。金はアビーに払ってくれ……」
「モグリなら、とっちめてやろうと思ってたけど、やるじゃないか」
つまらなそうに言いながら、デカい女が腰の袋から銅貨を五枚取り出してアビーに押し付けた。
「あ、ありがとう、ございます……」
アビーが慌てて頭を下げたのを見て、大勢のガキ共もそれに倣う。
その光景に、デカい女は歯を剥き出して凶悪な笑みを浮かべた。
「いいな、お前。ガキの分際で一丁前の口は気に入らないが、妙に慣れてる。何処で身に付けた」
「盗賊に二年間引き回された。それだけだ」
無意識に答えたのはディートハルト・ベッカーだ。俺じゃない。ガキのディートハルトの記憶ではそうなっている。
やっぱり、ろくな理由じゃなかった。
おどけたように肩を竦めて見せると、デカい女は完治した傷を確かめながら、ぐいっと近付いて俺の顔を覗き込んだ。
「あたしはアレクサンドラ。アレックスって呼ばれてる」
「あぁ、アレックス」
アレックスは瞬きすらせず、ニマニマ笑って俺の顔を見つめている。
この集団のリーダーであるアビーの方は一切見ず、凶悪な笑みを俺だけに向けている。
「何かあったら言いな。面倒を見てやるよ」
「……そいつは怖いな……」
そう言って、俺が虫でも追い払うみたいに手を振って見せると、アレックスは凶悪な笑みを浮かべたまま背中を向けた。
「また来る」
去り際、とんがり耳が振り返ってウインクした。
どうやら、俺は上手くやった。
「毎度あり」
強い目眩を感じ、両足を投げ出すと、慌てたようにアビーとゾイの二人が駆け寄って来る。
「ディ、よくやった……!」
「……」
額からどっと汗が噴き出して、強い動悸がする。俺の少ない神力では今のが限界のようだ。だが……
「アビー。少し休んでだが……あの程度なら、今日中にあと二人は行ける。足りるか?」
『俺』と『ディートハルト・ベッカー』の一体化は完全じゃない。
だから――
絞り出せ! ディートハルトの神力にはまだ余裕がある。
「じゅ、充分だよ。あぁ、ディ……本当によくやったよ……!」
「……次は、一万を限度になるべく引き上げろ……」
「分かった。分かったよう!」
アビーは思惑通り上手く行った事に小躍りしながら、またダンジョンの方に駆けて行った。
◇◇
その後、予定通り二人の客を取った。
なるべく軽傷で、なるべく穏やかそうなやつだ。ここら辺の選別はアビーの方が上だ。
俺たちは揉め事を拾う事なく、二万五千シープ……銀貨二枚と銅貨五枚の報酬を得た。
アビーはこの顛末に自信を持ったようで、疲れ果てた俺を横目に満面の笑みを浮かべている。
「ディ、よくやったね。あんたの取り分だよ」
そう言って、アビーはちょっと悲しそうに銀貨を一枚差し出して来たが、それは断った。
「いらん。使い方は任せるから、金はアビーが持っててくれ」
「え? で、でも……」
過ぎた財は身を滅ぼす。
冒険者にとって銀貨一枚は小金だろうが、アビーや浮浪児(ガキ)共には大金だ。そもそも俺には『無欲』の戒律がある。
「それより、今日はゆっくり休みたい。安くていいから個室を取ってくれ」
銀貨一枚より安いのだろう。アビーは快く頷いた。
「そうだね。そうだね。うん、あんたはよくやった。それぐらいは任せな」
「……ちゃんとメシも付けてくれよ。後は……疲れた……もう何もしたくない。身の回りの世話をするやつも付けてくれ……」
「いいさいいさ。それぐらい。ドンと言いな!」
アビーは上機嫌だ。
冒険者にとっての小金は、彼女にとっては一財産なのだろう。
「明日はどうだい、ディ。行けるかい?」
「任せてくれ。明日は午前中に五人診る。午後は余裕を見てからだが、三人は診たいと思う。そのつもりで居てくれ」
俺の返答に満足したのだろう。アビーの浮かべた笑みはますます深くなった。腰のポシェットに大事そうに金を突っ込み、ぐるりとガキ共を見回すと、鬼娘が小さく頷いて前に出た。
「んっ……の、乗って……」
木箱の上に座り込み、息を吐く俺の前に、鬼娘がしゃがんで背中に乗るように促して来る。
「……」
ゾイと猫娘が眉間に皺を寄せ、とてつもなく嫌そうな顔をしているが、俺はもう疲れきっていて、こいつらの顔色を伺うような余裕はない。
俺だって鬼娘に担がれるのは嫌だが、この際は甘える事にしてその背中に覆い被さった。
しかし……冒険者、か……
そんなに儲かるのだろうか。だとすれば、アビーやガキ共も冒険者になればいいのに。
そうだ。
一山幾らの命なら、いっそ灰になるまで燃やし尽くしてしまえばいい。
なんとなく思った。
俺はいずれ……
ダンジョンに入る事になるんだろう。
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