4 神官と五つの戒律
『神官』のクラスを得た俺は、新入りの立場でありながら、この集団のNo.2に指名された。
この人事に関しては俺が伸びてる間に話し合われていたのだろう。年長組に入る猫娘や鬼娘なんかも反対する事はなかった。
◇◇
それからの俺たちは、先を行くアビーに続いて、石畳の道を街の外れに向かって歩いた。
「何処に行くんだ?」
その俺の問いに答えたのは猫娘だ。
「ダンジョンの入口だよ。冒険者が腐るほどいる。怪我人が腐るほどいる。商売相手も腐るほどいるっていう訳さ」
「ダンジョンに、冒険者だと……?」
『ダンジョン』に『冒険者』と来た。まるでゲームだ。冗談にしては出来すぎている。面白くない。
ステータスが可視化できれば尚良かったが、そこまでゲームらしくできてはいない。じっと凝視したり念じてみたりしたが出来なかった。
……そんな事より。
「暑い……」
夜は死ぬほど寒かったが、日中の今は溶け出しそうになるほど暑い。
暫く歩き、やがて見上げるほど高い壁が見えてきた。
砂の国『ザールランド』を囲う城壁だ。そこより向こうは広大な砂漠が広がる。その砂漠を越えた場所にはまた別の国家があるようだが、そこまでは分からない。ディートハルト・ベッカーの記憶。
「凄まじいな……」
城壁の高さは二十mはあるだろうか。ここまで立派な壁は、日本じゃ見たこともない。
感心して見入っていると、鬼娘が胡散臭そうに言った。
「……壁を見るのは初めてか?」
「ああ」
「……故郷は何処だ。今時、純血の人間なんて珍しい。お前は何処から来たんだ」
俺は無意識に言った。
「ニーダーサクソン」
「なんだって?」
ここザールランドが大陸の最も西にある国とするなら、ニーダーサクソンは大陸の最も東の端にある国だ。
鬼娘は複雑な表情で首を傾げた。
「知らない。聞いた事もないな」
学もないガキならそうだろう。
言うまでもないが、ニーダーサクソンからやって来たのはディートハルトだ。俺じゃない。見た目、十歳ほどのガキであるディートハルトが、なんだって大陸の端から端に移動したのかなんて、俺には分からない。ろくな理由じゃない事ぐらいは分かるが、それだけだ。
クソ高い城壁に近付き、その近くに切り立った岩を四角く組み合わせた洞窟の入口が見える。
『震える死者』と呼ばれるダンジョンの入口だ。
見張りのような者は居ないが、その周囲に冒険者と思しき連中がちらほら見える。いずれも軽装で、何処かしら気にかかる連中だ。言葉にするのは難しいが、警戒すべき何かがあった。
アビーが言った。
「あたしは客を引っ張って来る。アシタとエヴァ。お前らはディに引っ付いてな。ちゃんと守るんだよ!」
「わ、分かってるよ」
返事をしたアシタは鬼娘。黙って不貞腐れた顔をしてるエヴァは猫娘。この二人は年長組として、多少はアビーに当てにされているようだ。
アビーが一時姿を消し、鬼娘と猫娘に連れられて、俺は大きな石造りの建物が並ぶ狭い路地裏に引っ張り込まれた。
年少のガキ共が何処からか木箱を持ってきて、それに腰掛けるように言われたのでそうする。
一連の流れを見ながら、猫娘の方は気に入らないのか、仏頂面で睨むように俺を見つめている。
「……あんた、蛇は出せるんだろうね……?」
確認するような言い回しには不安の色が見え隠れしている。
「……蛇だって? ああ、アスクラピアの蛇か……」
俺は少し考える。ディートハルトの記憶では……
――『アスクラピアの蛇』。
癒しと復讐の女神『アスクラピア』。聖書では『青ざめた唇の女』と呼ばれ、その本性は『蛇』とされる。
癒しの術を使う神官は、その身に例外なく『蛇』を飼っていると云われ、術を行使する際は身体の一部に蛇の紋様が浮かび上がる。猫娘が言っているのは、その『蛇』の事だ。
「ふむ……」
俺は両腕の袖を捲り、二本の腕を見ながら念じた。
――蛇よ。姿を見せてくれ。
すると、両腕にとぐろを巻くようなどす黒い蛇の紋様が姿を現した。
「これか。問題な、い……」
そこまで言った所で軽い目眩を感じ、俺はその場に崩れ落ちそうになった。
「ディっ!」
倒れ込みそうになった俺を支えたのはドワーフのガキだ。俺を抱き締めるように支えながら、激しく叫んだ。
「エヴァ! 用もないのに蛇を呼ぶなんて、何でそんな事をさせるんだ!!」
「ち、違う! あたしはそんな事しろなんて一言も言ってない! そいつが勝手にやったんだ!!」
術の行使の際、アスクラピアの蛇は力の代償として術者の意識を喰らうとされる。
「……猫の娘の言う通りだ。俺が不注意だった……」
小さなドワーフの少女の腰に手を回しながら、やんわりと口論を止めると、ドワーフの少女は歯をぎりぎりと噛み鳴らした。
「エヴァ、この事はビーに言わせてもらうから……!」
「だから、あたしは……!」
「……」
それきりドワーフの少女は黙り込んでしまった。見た目は幼いが酷く頑固に見える。俺の背中を擦りながら、猫娘や鬼娘の方を牽制するように睨んでいる。
ドワーフの少女に凭れ掛かり、俺は暫く身体を休めた。
その間、ドワーフの少女は、ずっと俺の背中を擦っていてくれた。
どういう思惑があるのかは分からないが、このドワーフの少女だけは妙に親切だ。だから、この時に決めた。
「……なあ、名前をまだ聞いてない……」
「ゾーイ。ゾイでも、ゾーイでも好きに呼んでいいよ……」
ドワーフの少女は、名前をゾーイと言うようだ。初対面から、ずっとよくしてもらっている。そして集団に属する以上、仲間は要る。
俺は、先ずこのゾイを仲間にする事に決めた。贔屓する事に決めた。
心の拠り所を作るのはいい事だ。追い詰められた状況では特に。誰を嫌い、誰を好くか。誰を贔屓して、誰を苛めるか。誰かを味方にして、誰かを敵にする。それは精神の安定に効果がある。
差し当たって――
俺は、鬼娘と猫娘の二人に損な役回りを押し付ける事にした。
ゴミはゴミ箱に。そういう事だ。
◇◇
――私は公正である事を約束しよう。ただし、不偏不党である事は約束しない――
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
突然――脳裏に『公正』の二文字が浮かんだ。
神官の『戒律』の一つである『公正』だ。
力を使う以上、『戒律』は神聖なものだ。破ったからと言って命を奪われる事はないが、戒律破りが続き、完全に『破戒』したと見なされれば力を失う羽目になるだろう。
(あと、何があった……? 奉仕と……慈悲……慈愛……無欲……)
『公正』『奉仕』『慈悲』『慈愛』『無欲』。
この五つは神官の『五徳』。或いは『五戒』と呼ばれる。これがあるからこそ、『神官』はどのような場面に於いても、その言動が信頼される。
そうだ。
『俺』でも『ディートハルト』でもない。『神官』という立場こそ、アビーは特別視している。
今、正に不遇の立場にある我が身を憐れみたまえ。
壁を背凭れにして木箱に腰掛け、目を閉じて祈る。日々の『祈り』が神官を癒し手たらしめる。
母はしみったれていて、嫉妬深い。こうして祈りを捧げなければ神力を得られない。
ゾイと鬼猫の三人が大声で何か言い争っているが、音が遠くなる。
『祈り』は集中力を高める為にも必要な行為だ。
ややあって――
遠慮がちに肩を揺すられ、目を開けると、酷くすまなそうに目尻を下げたゾイと目が合った。
「……来たか」
頷くゾイが身を引くと、二人の冒険者と連れ立つアビーの姿を見すえた。
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