2 呪われた街角にて、運命

 後で知る事だが、俗に言う『獣人』たち……猫や狐、兎……蜥蜴はどうか知らん。とにかく、獣人ってのは多産の傾向がある。こいつらは掃いて捨てる程いるし、実際捨てられる。


 アビーが面倒を見ているのは、基本的にはそういう立場の『捨てられた』ガキ共だ。


「一人ずつだぞ」


 アビーが言って先に縄梯子を昇る。引っ張る度に軋んだ音がして、その縄梯子が大分草臥れているのが分かる。早い内に取り替えなければ、いずれ不慮の事故を招くだろう。

 胸がムカついてしょうがない。

 込み上げる吐き気で、今にも吐いてしまいそうだった。

 結局、縄梯子を昇ったのは俺が最後だった。上がり際、ドワーフの少女が俺の手を引っ張り上げてくれた。やはり見た目以上に腕力がある。


「ディは軽いねえ」


 うふふ、と笑う。

 煤のような物が付着して、薄汚れた顔だった。

 そして印象的なのは、ガキ共の誰もが痒そうに身体の何処かしらを掻いている事だ。

 下水道に住んでいる事からして、皮膚病の一つも持っているのだろう。下手すれば何かの感染症になっていてもおかしくない。


「…………」


 冷たい風が、幾らかの不快感を押し流して行く。


 風になぶられながら見渡した町並みは、中世ヨーロッパのような石造りの建築物だ。それらはきちんと区画整理されていて、規則正しく建ち並んでいる。


「行くぞ。ディ、気持ちは分かるけど、あんまり見るんじゃない」


 アビーの言葉に従って、俺は視線を離した。


「あんた、素直だね。いいよ、そういうやつは長生き出来る。嫌いじゃない」


 そこからは先導するアビーに続いて石畳の道を歩いた。

 入り組んだ町並み。区画整理されているが、下水道以上に迷路染みている。一人じゃもう帰れない。ドワーフの少女と手を繋ぎ、アビーの姿を見失わないようにして歩いた。


「もう、ディは……。お姉さんがいるから、大丈夫よお!」


「……頼むよ」


 今のところ、一番親切に見えるこの『ドワーフ』だけが俺の頼りだった。


 やがて石造りの町並みを抜け、木の掘っ立て小屋が並ぶバラックにたどり着き、そこでようやくアビーが息を吐いた。


「……皆、居るな。続け」


 大変なら仕事を割り振るんだよ。

 見た感じ、『鬼娘』と『猫娘』は年長で、他のガキと比べてしっかりしている。この二人を殿しんがりに置けば、引率の苦労も幾分楽になるだろうに。


 これは、ヤバい集団グループだ。


 まだまだ確認不足だが、リーダーのアビーに責任が集中しているように見える。見た目はそれなりにしているが、そもそもアビー自身も薄汚れたルンペンのガキと生まれに大差があるように思えない。……なんとか生き残り、小さな集団のリーダーに伸し上がった。そんな所だろう。


 色々と考えを張り巡らしていると、猫娘が近付いてきて、俺の襟足の部分に顔を寄せ、くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。


「あんた、お香の匂いがするよね。教会から逃げて来たとか?」


 お前らが臭いから、そう感じるだけだろう。そう思ったが口に出してはこう言った。


「別に……」


「何さ、お上品に。あんただって捨てられた癖に」


 猫娘は、今度は気分悪そうに鼻を鳴らして、それから鬼娘の隣に戻った。

 だったら絡むんじゃない。

 面倒は御免だ。特に言い返す事はせず、アビーの後に続く。

 途中、いい匂いのする屋台の並ぶ通りに差し掛かったが、アビーがそこで足を止める事はなかった。


◇◇


 辿り着いたのは、開けた広場のような場所だ。

 砂場の地面が広がっていて、そこに所々、短い芝のような草が生えている。

 広場は結構な人だかりだった。

 百人は居るだろうか。それらは規則正しく列を為し、幾つかの行列を作って並んでいる。

 行列の先を見ると、その先には水色の服を着た女たちが何人か居て、湯気が立つ大きな鍋をかき回していた。

 不思議に思っていると、アビーが面倒臭そうに言った。


「アスクラピアの修道女(シスタ)だ。つまんねえ奴らだけど、少ないメシの種だ。絶対に揉めるなよ」


 修道女シスタ……とすると、炊き出しのような事をしているのだろうか。

 アビーを含めた俺たちも列に並び、やがて始まる配給を待った。

 配られているのは、見たこともない雑穀が入った粥のような物がお椀に一杯。

 これがまた不味い。昔、俺が初めて作った適当な男の手料理がご馳走に思えるほど不味い。ガキ共もそう思うのか、全員顰めっ面になって食っている。

 糞みたいなメシだが栄養価は高いらしい。

 その栄養価だけは高いらしいメシをガキ共全員で固まって済ませ、アビーは言った。


「よし。んじゃ、アダ婆の所に行くぞ」


 そのアダ婆というやつは知らん。ディートハルトの中にある(かもしれない)記憶にもない名前だ。


「アダ婆って誰だ。婆って言うからには婆なんだろう。どんなやつだ?」


 その質問に答えたのはドワーフの少女だ。


「アダばあはアダ婆。ゴミみたいな見た目のお婆ちゃんだよ」


 見た目の可憐さとは正反対の口汚さに辟易した俺は肩を竦めた。


「そ、そうか……」


 短く応え、再び差し出されたドワーフの少女の手を取ってアビーの背中に続く。


 また屋台の並んでいる通りを抜け、今度は暗がりの方へ。普段なら入るのを躊躇うような、薄暗く寂しい路地裏の奥へ奥へと進む。


 道の端には酔っぱらいか死体か判別の付かない男たちが寝っ転がっている。寝てるのか死んでるのかは知らん。その男たちに混じり、ダボダボの薄汚れたローブを着た婆さんが道端に踞るようにして座り込んでいて、アビーはその婆さんに声を掛けた。


「アダ婆、起きろ。アビゲイル……アビーだ」


「…………」


 アダ婆は眠っているのか返事はなく、痺れを切らした鬼娘がアダ婆の脛を蹴飛ばした。


「起きろ、ババア! 客だぞ!」


「あだっ……!」


 脛を蹴られたアダ婆は目を覚まし、そばかすと大きな痘痕あばたの浮かんだ顔を持ち上げた。


「糞、何かと思えばアシタかい。相変わらずのお行儀悪さだね。死ねばいいのに」


「なんだと、糞ババア!」


 糞糞とうるさい。このやり取りにうんざりしていると、アビーが鬼娘を押し退けて前に出た。


「アダ婆。見てもらいたいやつがいるんだ。金は払う。観てくれ」


「……ふん」


 アダ婆は鬼娘を一瞥して、それからアビーを睨み付けるようにして言った。


「千シープ。一シープも負からないよ。とっとと払いな」


「ああ、分かった」


 そう言って、アビーは袖から銅貨を一枚取り出して、アダ婆に手渡した。


「ふぅん……ケチのあんたが値切りもしないで珍しい。今度の新入りは期待の新人って所かね……」


 アビーは気まずそうに舌打ちして、顎をしゃくって合図した。

 俺をご指名のようだ。

 どん、と鬼娘に背中を押されて前に出る。


「……………………」


 アダ婆は、ギョロギョロと値踏みするみたいに俺の爪先から頭のてっぺんまでを『観て』いる。


 見透かされるような嫌な目だ。思わず目を逸らすと――


「――小僧、目を合わせろ。逃げるな」


「……」


 しょうがなく視線を合わせる。


 ……しかし、汚ない婆さんだ。ガキ共に負けず劣らず汚くて臭い。顔に浮かぶ痘痕からして、妙な病気を持っているのは一目瞭然。俺は一刻も早くこの場から逃げたくなった。

 アダ婆が俺と視線を合わせたまま、アビーに言った。


「……一万シープは貰っとこうかね……」


 その言葉に、アビーは俺を一瞥して、真剣な表情で頷くと、袖の中から、今度は銀貨を一枚取り出してアダ婆に握らせた。


「……………………」


 沈黙の時間が続く。

 アダ婆は時折ニヤニヤしながら俺を観ている。人相観の類いだろうが、じろじろ値踏みされていい気はしない。


「……婆さん。病気か? もう治ってるみたいに見えるが気になる。一度診てもらったらどうだ……?」


 何て事はない。このにらめっこが気まずかったから言っただけだ。

 だが、俺の言葉はアダ婆を思ってもないほど喜ばせた。


「……じゃあ、お前さんに診てもらおうかね……」


「俺……? 他にちゃんとした奴に診てもらえよ」


「その、ちゃんとしたやつってのは、お前さんさね」


 アダ婆がそう言った瞬間、アビーを含めたガキ共全員が喉を鳴らす音が聞こえた。


「まぁ、診とくれよ……」


 気味の悪い目付きは変わらず。アダ婆は面白そうに俺を見つめている。俺は……


「……重い病気をやったな。死んでいてもおかしくない病気だ。察するに、もう治っている。驚くべき事だ。その痘痕とうこんは全身にあるだろう。痒い……又は膿や出血の類いはあるか?」


「もうない」


「なら治療はいらん。右目は見えてないだろう。それは手遅れだ。どうにもならん。それ以外には、清潔にして、ちゃんとメシを食え。死相が出ている。それで暫くは大丈夫だ」


「暫くかい……ワシは、あと何年ぐらい生きられる………?」


「よくもって一年だろう」


「……」


 その寿命宣告を前に、得体の知れない沈黙が深くなる。


 なんだ、これは……


 頭に浮かんだ言葉を喋っただけだ。俺は何だって、こんな無責任な事が言えたんだ……


 アダ婆は、にっこり笑った。


「……神官。才能はかなりのもんだ。いいとこの坊っちゃん。その歳にしては徳を積んでるね。神さまを信じてるだろう。不器用だが暖かい。冷たい言い回しは責任感の裏返し。本当のあんたは慈悲深い。……アビー」


 アビーは用心深く辺りを見回しながら、真剣な面持ちで頷いた。


「……なんだ?」


「悪いことは言わないよ。この子はアスクラピアの手に委ねるんだね」


「……なんでだ?」


「なんでって、この子はあんたなんかの手に負えないよ。強い運命に引かれてる。きっと――」


 その刹那。

 アビーは腰のサッシュベルトからナイフを引き抜くと、目の前のアダ婆の胸を突いた。


「なっ――」


 女王蜂、アビゲイルが突き放すように言った。


「うるせえよ、ババア。あたしが最初に唾付けたんだ。ディはあたしのもんさ」


「あ、が……」


 ナイフで胸を突かれたアダ婆の喉から、ゴロゴロと不気味な音が聞こえた。


「何て事を……」


 もうどうしようもない。俺は医者でもなんでもないが、直感的にそうだと分かった。


 ごぼごぼと口から血が溢れ出し、それでもアダ婆は俺から目を逸らさない。呻くように言った。


「……これも、運命さ……」


「……」


 言葉もなく、俺は首を振った。


 その時。

 頭の中で祝詞が聞こえた。



 その者、全にして一つ。全にして多に分かたる。


 その者、多にして全。全にして永遠にただ一つなり。


 アスクラピアの二本の手。


 一つは癒し、一つは奪う。



「……つっ!」


 間近に響く雷鳴のような酷い頭痛がして、俺はその場に踞った。


 薄れ行く意識の中で見たものは、アダ婆に何度もナイフを突き立てるアビーの背中。


 ゴロゴロと喉を鳴らし、それでも不気味な笑みを浮かべたままのアダ婆。


 それから……意外にも心配そうに俺を抱き支える鬼娘の顔だった。

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