オススメの一品
理猿
オススメの一品
「取り敢えずビールで」
「私はハイボール」
若い女の店員は食器を片付けながらこちらの注文を聞き、そそくさと厨房へと入っていった。
「……でも今日は災難でしたね先輩。まあおかげでお酒奢ってもらえるんで僕はいいんですけど」
「有り難く飲みなさい。こんなことはもうないわよ」
「ありがたやありがたや」
先輩へ向かって拝むように戯けて手を合わせた。
「はい、どうぞー」
店員がビールとハイボール、そして小鉢を二つ手際よく置いていく。
「ありがとうございます」
「じゃあ、乾杯ということで。先輩、乾杯の挨拶お願いします」
「そんなのはいいのよ」
二つのグラスが当たり、高い音を立てる。冷えたアルコールが喉を通り、胃袋へと流れ込む。労働は唾棄すべきものだが、酒を美味しくするこの上ないスパイスであることは認めざるを得ない。
「美味しいわね、これ」
先輩がお通しの小鉢を抓みながら小さく呟く。
ひとつ抓んで口に入れた。
「――ほうれん草の酢味噌和えですか。
一人暮らしだとこういうのなかなか食べる機会ないですよね」
「作ってあげようか?」
「先輩料理できたんですか?」
「もちろん。卵かけご飯とか得意よ」
「じゃあ、遠慮しときます」
ビールを呷る。なにか頼もうと立てられたメニュー表を手に取った。
「茹でて切って和えるだけでしょ? 簡単よ」
「そうですねえ。――あっ、唐揚げ美味しそう。先輩はなに食べます?」
「話聞いてる?」
「え? 好きな和え物の話でしたっけ?」
脛に鈍い痛みが走る。机の下で彼女のつま先がこちらの右脛を捉えていた。
「――いいわ好きな和え物の話で。で? 何が好きなのよ」
頬杖を付き、こちらへ詰問してくる。
「そうですねえ……。胡麻和えも良いですし、青菜を辛子で和えたやつも好きですよ。
あっ、でもあれが一番好きですね」
「なに?」
「鶏肉の梅肉和え。夏バテの時とかさっぱりして最高ですよね」
先輩は態とらしく溜息を吐き、首を横に振った。
「あり得ないわ」
「あれ? 梅干し嫌いですか?」
「梅干しも鶏肉も好き。冷たい肉が嫌いなの」
「えー、冷たい肉も美味しいですよ。ほら、冷しゃぶサラダとか。
――馬刺しとかユッケとかはどうなんですか?」
先輩は眉根を寄せ、下唇を突き出す。
「論外よ。火を見つけた人類に対する冒涜ね」
「それはそれは。ずいぶん壮大な話になってきましたね」
左手を挙げて店員を呼ぶ。
店員はすぐ気付いて小走りでこちらへ来た。
「唐揚げとビール、あとこの卵焼きで。先輩は飲み物頼んどきます?」
「ハイボール、濃いめで」
「はーい」
店員はさらさらと注文を伝票に書いていく。
「なにかオススメってありますか?」
「オススメですか? この蒸し鶏の梅肉和えとか人気ですよ」
「じゃあ、それもください」
注文した瞬間、先輩が凄まじい形相でこちらを睨みつけてくる。店員は気付く素振りもなく、違う卓へと去っていった。
「……話聞いてた?」
「オススメらしいですよ、ここの」
「いい? “鶏肉は決して和えるべからず"よ。自分の辞書に刻んでおきなさい」
「先輩のだけチンしてもらいます?」
「バカ言わないで」
そう言って先輩は残りのハイボールを一気に飲み干し、音を立てて机に置いた。
「温かい梅干しなんて食えたもんじゃないわ」
オススメの一品 理猿 @lethal_xxx
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