【13】

蘇我邸の扉の前に立った2人は、互いに目配せして素早く役割分担を決めた。

光が取っ手を掴んで扉を開き、渚が中の様子を探る役目だ。


渚が扉脇に立って合図すると、光は扉を思い切り手前に引いた。

邸内からは何の反応もなかったが、渚が手に持った小型のスプレーを扉の内側に向けて吹き付ける。

途端に中で待ち伏せしていたらしい男が、目を抑えて何やら喚きながら飛び出してきた。


その騒ぎの隙を突いて、2人は邸内に飛び込む。

中では、更に2人の男が待ち伏せていたが、想定外の事態に唖然としている隙をヒカナギが逃すはずもない。

1人は光に木刀で額を打たれ、もう1人は渚の正拳で顎を打ち抜かれて、あえなく床に転がってしまった。


「今度のそれは何?」

「ああ、これはカプサイシンスプレーっつって、目潰しに使うやつだ。これも護身用ね」


光が今日何回目かの問いを呆れ気味に投げると、渚からは相変わらずぶっ飛んだ返事が返ってきた。

もう笑うしかない。


土足のまま屋内に上がった2人は、廊下の左右にそれぞれ2枚ずつ扉があるのを確認すると、前後からの挟み撃ちを警戒して、まず光が先に進み、渚が少し間をおいて後から進むことにした。


光は足音を立てながら、ゆっくり廊下を進む。

渚は逆に足音を立てないよう、壁に沿って慎重に後に続いた。


光が廊下の突き当り手前まで至っても、扉から誰も出て来ないのを確認すると、渚も光の待つ場所まで移動する。

すると光が口に指を当てて、渚に目配せした。


廊下の突き当りはL字型に左に折れていて、その先から人の気配が漂っているようだ。

それを確かめた渚は、光の耳元に口を寄せて囁いた。

「今からあたしが合図するまで、しっかり目えつむって、耳を塞いどいて」

「何で?」

「いいから」


光は訳の分からないまま、渚の勢いに押されて目を閉じ、耳を塞ぐ。

すぐに隣で渚が動く気配がした後、邸内がドンと揺れるのが伝わって来た。


何事かと思った時、渚に肩を叩かれて、光は目を開けた。

すると廊下を曲がった先で、揃いの白っぽい衣装を着た数人の男女が床に転がって、呻き声を上げているではないか。

渚は廊下を歩いてそちらに近くづくと、床から何かを拾い上げる。


「何それ?」

「これはスタングレネードつって、ドカンと音が鳴って、ピカッと光るやつだ。こいつらは今、耳も目も駄目になってるから、しばらく動けんだろう」


「は?それって、やば過ぎるだろう。いくらなんでも。この人たち大丈夫なん?」

「ああ、しばらくしたら元に戻るから心配するな。ほんじゃ、先に進むぞ」


――今まで気づかなかったけど、こいつ思った以上に無茶苦茶する奴だな。

光は呆れると同時に、妙に感心してしまった。


2人が廊下に転がる男女を避けながら先に進むと、突然正面の扉が開いて、中から30代くらいの女が出てきた。

さっきの男女と同じ服装をしているので、教団の信者のようだ。


「あなたたち、神聖な場所で何てことをするんですか。警察を呼びますよ」

青白い顔をしたその女は、か細い声を精一杯張り上げた。


すると渚が、しれっとした顔で返す。

「ああ。もうすぐ警察が踏み込んで来るから、それには及ばん。どっちかっつうと、警察が来て困るのって、そっちじゃねえの?」


渚の言葉を聞いて、女は急に狼狽えだす。

その時女の背後から、見覚えのある顔が覘いた。

「光ちゃん?」


『萬福軒』の奥さんだった。

後ろには、おっちゃんもいるようだ。

『萬福軒』の夫婦は、女を庇うように前に出てきた。


「光ちゃん、どうしてここに?」

「奥さんたちこそ、どうして?」

「ああ、これは娘の智子なの。ここの教団の信者で」

奥さんはそう言いながら、後ろに立った女をちらりと見た。


「娘さん?ああ、そういうことですか。それでお二人とも、ここに無理矢理連れて来られたんですね?」

光に言われて、奥さんは少し困ったように顔をする。


「無理やりという訳じゃないんだけど。それより、光ちゃんたちこそ、どうして?」

「あたしらはスト、いや、沢渡の奴が誘拐されて、ここに連れて来られたから」

「あら、どうして沢渡さんが、ここにいると分かったの?」

「それはまあ、色々と…」


その時2人の会話に、渚が割って入った。

「ちょっと待った。そんなこと、グダグダ話しててもしょうがないでしょ。沢渡って、その奥にいるんすか?」


渚が『萬福軒』夫婦の背後を覗き込むようにすると、智子が両親を押しのけるようにして、前に出てきた。

そして廊下の右側の扉の前に立ち塞がる。


「ここは通しませんよ」

「あら、そっちにいるのね」


渚に指摘されて、智子は、しまったという顔をした。

根が純朴なのだろう。

しかしその顔には、絶対に先に行かせまいとする、断固とした決意が浮かんでいる。


――これは困ったな。

光が困惑していると、渚が智子に近づいて行く。

そして光が止める間もなく、いつの間にか手に持ったスタンガンを、智子に押し当てた。


「ピヤッ」

その途端智子は、妙な声を上げて、その場にへたり込んでしまった。


「と、智ちゃん」

「あああ」

「渚、お前なんてことすんだ」


その場にいた3人は阿鼻叫喚に陥ったが、渚は涼しい顔だ。

「大丈夫。出力最小にしといたから、大したことないって」

そして渚は、智子が立ち塞がっていた部屋の扉を開け、さっさと中に入ってしまった。


「おっちゃん。奥さん。ごめん」

それを見た光も、事態についていけずオロオロしている『萬福軒』の夫婦に向かって一言詫びると、渚の後に続いて室内に入って行った。

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