第2話 バルト

 いい年をした男が、求婚した相手から友達になろうと提案された。


「へっ? バルト団長、フラれたんすか?」

「可愛いお嬢さんとお友達になったんだよなぁ、だんちょー」


 春祭りの翌日。騎士団内では、昨夜の求婚劇が面白おかしく噂になっていた。

 それもそうだろう。罰ゲームとはいえ求婚の答えが友達になろうだなんて、一風変わった断り文句としか思えない。とはいえ、普通であれば、「好みじゃない」とか「失せろ」くらい言われてもおかしくないことを考えれば、相手が優しい女の子でよかったですねーくらいの、完全ないじりである。


 しかし、いくらからかわれてもバルトが気にならなかったのは、クラリスの言葉が誠意に満ちたものだからだ。




 個人的な事情から、ちょうど嫁探しに本腰を入れようかと思っていた時だった。

 バルトが所帯を持てばいい加減、継母も異母弟もバルトを跡継ぎにすることを諦めると思ったから。


(本来跡継ぎだった姉上は、幼少期から絶対継がないの一点張りだったからなぁ。俺が逃げても呆れるだけで、みんなすぐに諦めると思ってたんだよ)


 五歳上の姉は、彼女が七歳の時に出会った男に一目ぼれし、絶対彼の嫁になると主張し続け、本当に結婚した。弟が二人もいるのだから、跡継ぎには困らないだろうと晴れやかに笑ったのを今もはっきりと覚えている。


 しかし本当は姉もバルト同様、自分には父の後を継ぐ資格はないと考えていたことに、バルトは気づいていた。


(もっとも、実母に似て、惚れたら猪突猛進に突き進む質だったと言われたら、まったく否定できないんだがな)


 バルトの母親は、バルトを生んですぐに駆け落ちをしたという。

 運命の人に巡り合ってしまったの! という書き置きを残して消えた母を、姉は恨んでもいたが、その血を否定できないと漏らしていたこともあるからだ。


(顔も覚えてない母を擁護するわけじゃないが、父も大概クセが強い人だからなぁ)


 とはいえ、男児を生んでお役御免とばかりに駆け落ちするような女の息子より、継母から生まれた弟のほうがはるかに優秀で、爵位を継ぐのにふさわしい。そう思うのは当然のことだろう。


 バルトとしては華やかな場にいるよりも、今のような生活のほうが合っていると思っている。実際、魔獣が人に害を為さないよう策を立て、時に戦うことはやりがいがある仕事だ。

 三年前には比較的小さな団とは言え、二十五歳という若さでほむら騎士団の団長にもなった。


 父親からは、「ま、いいんじゃないか?」という感じだし、幼かった弟のサシャも十六になった。そろそろ縁談の話も出てきているらしい。

 これで、バルトにとっては可愛くて仕方がない自慢の弟が、素直に家を継ぐものだと信じたのだ。彼が父の仕事の手伝いもしていると聞けば、普通そう思う。

 なのにその弟も継母も、まだ放蕩息子のことをあきらめていないと知って、内心焦った。


 つまらないことにこだわっているのはバルトだけだと言われても、バルト自身は絶対弟のほうが後継者にふさわしいと思っているし、その考えを変える気はさらさらない。


 だから一日でも早く庶民の可愛い女を見つけて、とっとと所帯を持ってしまおうと決心したのだ。



 結婚なんて考えてもいなかったが、決意してみると悪くない考えだと思った。

 女は好きだし、なんなら子供も好きだ。悪友である蒼穹騎士団団長のところみたいに、家中にわちゃわちゃガキがいるのもいい。十分養える甲斐性はあると自負している。


 嫁にするなら二十八歳のバルトと釣り合う、二十代半ばくらいから三十くらいの女がいいだろう。騎士の仕事に理解があって口うるさくなく、一緒にいて楽しければ文句なし。


 罰ゲームで求婚のカードが出たときは、これはさっさと嫁を見つけろという啓示なのだろうと笑ってしまったくらいだ。


 ただ、あくまでゲーム。

 女性に無礼を働く気はさらさらないが、祭りの雰囲気に合わせたただの悪ふざけだったから、相手も十分選ぶつもりでいた。身持ちの堅い娘に無理に迫るつもりは微塵もなく、冗談でうまくあしらってくれる大人の女を探すつもりでいたのだ。


 しかし罰ゲームの札の条件に合う娘を探そうとバルトが振り返った瞬間、一人の女性が目に飛び込んできて、世界から音が消えた気がした。暗がりにもかかわらずクラリスの髪の色はもちろん、彼女の目の色までがはっきり見えた。髪飾りまでが一致したのに気づくまで一秒もかからなかっただろう。


(ああ、このひとだ)


 視線が絡んだ瞬間、全身に体験したことのない衝撃が駆け抜けた。

 ガラにもなく運命を感じた。初めて自分の中の何かが深い穴に落ちるような感覚を覚えたのだ。


(まさか十七才だとは思わなかったけどな)


 そう。バルトにとって誤算だったのは、クラリスが二十代半ばだと思い込んでいたことだ。なのに間近で見れば、彼女が弟と年がそう変わらないように見えて焦った。

 これが罰ゲームであることは間違いなく聞こえていたと思うし、彼女から見れば、厳ついひげの男が突然向かって来たのだ。普通の少女なら確実に怯える。彼女が微動だにせず、食い入るようにこちらを見ているのは、ショックで動けないからだとバルトは考えた。


(くっそ。髭ぐらい剃っておけばよかった)


 魔獣討伐から帰ったその足で祭りに繰り出したため、身ぎれいにはしていたが髭は放置していた。あえて今時流行りの優男から自分を遠ざけようと思っていたのだが、この場合は完全に失敗だ。


(すまん、お嬢さん。本当に悪かった)


 礼儀正しく微笑みを浮かべてくれた少女に小さく謝罪をしたのだが、仲間たちの手前、型通り名前を問うたバルトに、彼女が素直に名前を教えてくれたことに驚いた。しかも手を差し出す仕草は自然で、明らかに令嬢教育を受けているものと分かる。


 しかし、普通の令嬢なら舞踏会に参加しているだろう。そもそも、こんなに荒れた手をした令嬢はいない。だから貴族の家で下働きをしている少女だと推察した。


 もし彼女が令嬢だったなら、十代後半でも結婚適齢期だ。しかし身分的に、バルトの探している嫁の条件には合わない。

 かといって一般庶民だとすると、適齢期まであと六、七年はある。――つまり、彼女は若すぎる。


 そんな年若き女性相手にゲームを続けるか悩んだバルトが、ほぼ無意識に彼女の手の甲へ口づける真似をしてから顔を上げると、クラリスの見せた表情に胸が大きく波打った。


 バルトや仲間が魔獣と戦う騎士だとわかっているだろうに、不浄のものを見るような眼も、鍛え上げた体を侮るような気配もない。

 こちらに向けられた目に浮かぶのはあきらかに敬意で、バルトの心がむずがゆくなった。


(若く見えるだけで、実は二十代だよな? きっとそうだ。そうに違いない)


 そう希望を持って、半分……いや、かなり本気で求婚の言葉を述べ、そんな自分に驚きあきれた。しかし普通なら頬を染めたり恥じらうであろうはずのクラリスが少し悲しそうな顔をしたので、これは振られるものと覚悟した。


 初対面だからおかしくないし、普段なら仲間と笑い合うお約束のような展開でしかない。なのに本音では少しだけ希望を持たせてほしいと、無様にも考えてしまう。


 そんな願いが届いたのだろう。

 彼女はバルトに「友達」になることを提案したのだ。

 バルトのことを知らないからと。


(つまり彼女は、俺のことが知りたいと言っているんだよな?)


 知ってほしいと思った。

 同じくらい彼女のことも知りたかった。


 そして彼女はその言葉の通り、バルトの言葉に常に耳を傾けてくれたのだ。

 彼女を守れる立場になりたいと本気で思うまで、そう時間はかからなかった。


   ◆


 自称・領主であるエーテ伯爵家の下働きだというクラリスは忙しい。本人がいくら隠そうとしたところで、彼女が騎士団の人間よりもはるかに過酷な生活をしていることに、バルトはすぐに気が付いた。


 丸一日休める日は皆無という、有り得ないほど自由がないクラリスの顔を見るため、バルトは毎日仕事終わりにエーテ家の裏門へせっせと通った。


 一目だけでも会いたい、声が聴きたいと思っているのはバルトだけかもしれないが、いつもバルトの顔を見て花がほころぶように笑うクラリスは、毎日綺麗になっていくのだ。その変化を見逃すなんてできるわけがない。


 門のそばにある大きな木の下で、その日あったことを小さな声で話し合うだけのひと時。

 口づけは手の甲だけだったが、夏の盛りくらいから、頬へお休みのキスを許されるようになった。友達の距離を、ほんの少し縮められたのだ。

 彼女からキスを返してもらった日は、ガラにもなく浮かれていたのだろう。仲間に白状させられた時は、あごが外れそうなほど呆れられたのは言うまでもない。


「ほっぺにキスって……。かあぁ、甘酸っぱいな、おいっ! バルト、おまえいくつよ?」

「二十八だが?」


(いっそ十八に戻れたらいいとは思うけどなっ!)


「ありえない。ほかの女が今のおまえを見たら、絶対俺と同じことを言う。絶対言う! おまえ、バルトの皮をかぶった別人だろ」

「うるせえよ。彼女を怯えさせたくないんだよ!」


(手の甲のキスより、頬のキスのほうが受け入れてくれるのに気づいたのだって大発見なんだぞ! 絶対教えてやらないけどな)


「怯えって……。あー、まあ、お友達、だもんな?」


 同情に満ちた仲間たちの目に、「ほっとけ」とそっぽを向く。


 粗野な騎士の話にも興味を持って耳を傾けてくれるクラリスは、今仲間の間でちょっとしたアイドル扱いだ。そのアイドルへの求婚が実るかどうか、影でこそこそ賭けがされていることに、バルトはあえて気づかないふりをした。


 実際、クラリスに好意を持たれているのは確実なのだ。

 言葉にされたことはない。

 しかし彼女のまなざしも温かな手も声も、明らかにバルトに惚れていると訴えていた。それに気づかないほど、バルトも子供ではない。


 もちろんこちらの好意も隠してはいない。

 でも友人以上の距離に縮められないのは、彼女の中にまだ、怯えや厚い壁のようなものが見え隠れするからだ。


 その理由は、ひょんなことから判明した。



「クラリスが伯爵令嬢?」


 バルトの問いに、部下のガスパーが神妙な顔でこくりと頷いた。


 ガスパーはバルトが率いる騎士団員の一人だ。二十三歳の青年で、実は数年前に偶然出会ったクラリスの乳姉妹であるマルゴに、ずっと片想いをしていたらしい。


 なかなか相手にしてもらえなかったそうだが、バルトがクラリスと親しくなったことをきっかけに、はじめ門の前であっても二人きりになることをよしとしなかったマルゴの希望で、ガスパーも付き添いとして毎日エーテ伯爵邸の裏門へ通っていた。

 そんな彼が所用でエーテ伯のもとに行った際、シンプルなドレスを着たクラリスと、メイド服のマルゴを偶然目にしたという。


「俺もはっきり聞いたわけではないんです。でも……」


 ガスパーが偶然目にしたのは、マルゴがドレスを着たクラリスに「お嬢様」と呼びかける光景。ふざけているようには微塵も見えず、日常のように見えた。

 驚きを隠して近くにいた老庭師を問い詰めてみれば、クラリスはエーテ伯の子であり、マルゴは彼女の乳姉妹だと教えてくれたそうだ。


「エーテ伯のところは、一人娘だったよな」


 伯爵の娘の話は時々聞くが、クラリスという名でなかったのは確かだし、たぶん年も違う。


「いえ。もう一人、先日社交界デビューした妹がいます。クラリス嬢は長女……第一子だそうです。病弱で、幼少期から人前に顔を出さない令嬢と言われているそうですが」

「そう、か」


 クラリスが伯爵の娘で、しかも第一子。

 その事実にバルトの目の前が暗くなる。


 どんな理由があって、クラリスが庶民の真似事をしていたのかはわからない。しかしこのままごとのような恋は、お嬢様の気まぐれなお遊びだったと考えるべきだろう。

 まだバルトが若ければ、ここは恨んだり怒ったりするところかもしれない。


 クラリスにとってただの対魔獣騎士であるバルトは、本気になるような男ではない。同様に、今のバルトにとっても彼女は、求めていい立場の女ではない。

 その事実だけが目の前に大きく立ちはだかり、バルトは大きく息を吐いた。


(ここで手を引くべきだ……)


 ガスパーも、自分が目にしたものを打ち明けることに悩んだだろう。

 しかし、本気でバルトが求婚する前に知らせなくてはと、勇気を出してくれたのだ。

 ガスパーに教えてくれたことに感謝すると、彼は痛ましそうな顔で、「いえ」と首を振った。


「団長、すみません」

「おまえが謝ることじゃないだろ? 嫁探しが振出しに戻ったのは残念だが、俺もそれなりに楽しい思いをしたしな」


 なんでもないことのように、ニッと笑って見せる。


(女と別れることなんて、珍しいことじゃないじゃないか)


 それでも、自分でも照れてしまうくらい初々しい恋をした。

 温かで幸せな未来を夢見てしまうほど、子供みたいに純粋に。


(ガラにもなく、優しい夢を見ただけだ)


 ちょうどやっかいな仕事が入り、しばらく街から離れることになったのをいい機会ととらえ、バルトはクラリスの前から消えることに決めた。

 彼女の顔を見たら決意が揺らぐ気がして、いつものように出かけてくると挨拶をして別れた。我ながら女々しいとは思う。


  ◆


 夏の終わりに、街の北東にある暗き蒼の森で魔獣が大発生した。

 周期的に珍しいことだが、ないわけではない。


「団長、これはかなり、てこずりそうですねぇ」

「そうだな」


 魔獣が街に入ることを防ぐのは人々の安全のためであって、クラリスのためではない。とはいえ、もし一匹でも見逃して彼女に何かあったら、バルトは自身を許せないだろう。


 だからこれはただの義務。ただの仕事。それ以上でもそれ以下でもない。

 そう心を無にして任務にあたっていたが、魔獣に襲われそうになった部下を助け、バルトは左腕から背中にかけて大けがを負った。

 大きな爪で肉をえぐられ、痛みより焼けつくような熱さのあと、沈みゆくような寒さを感じた。


 死を覚悟したとき脳裏に浮かんだのは、見たことがないはずのクラリスの泣き顔だった。


(くっそ。泣くな。俺はおまえを笑わせたいんだよ)


 誰よりも大切で、誰よりも幸せにしたい唯一の女性。

 言葉にしてはいけない想いがもう取り返しがつかないところまで来ていたことを、その時初めて自覚した。

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