前世を思い出した瞬間、超絶好みの騎士様から求婚されましたが、とりあえず頷いてもいいかしら?

相内充希

第1話 クラリス①

 大きな花火が上がる。


(うーん。日本の花火の方が綺麗だったな)


 ふとそんなことを考えたクラリスは、(日本?)と、戸惑ったように指先を口元にあてた。

 瞬間、泉のようにあふれてくるのは、こことは髪色も顔立ちも違う世界の、懐かしい幼馴染との無駄話の風景だ。

 小学生の時からの仲良し四人組。

 クラリスこと莉子の隣に座るのは真央。正面には桜子と百花。


 趣味もタイプも全然違ったけれど、喧嘩をしたりバカ話をしたりしながら中学高校大学とずっと付き合いが続き、その日はもうすぐ結婚する真央を囲んでの飲み会だった。

 二十四歳。友達の中では一番乗りの花嫁だ。


 いつものくだらない話で笑っていたその日は、なぜかコイバナではなく、読書とゲームが好きな真央の質問で盛り上がっていた。


『ねえ、もし異世界転生したらさ、とりあえず何する?』


 その素っ頓狂な質問に呆れることもなく、他の面々が思い思いの答えをあげる。


『とりあえず? そうだなぁ。――あっ! テイマーになってモフモフ集めたい』

『さっすがトリマー。桜子らしいね。私はそうだなぁ。どうせ転生するなら乙女ゲームがいいな。で、自分がヒロインか悪役令嬢か確かめるの。どっちにしても美少女でいいよね』

『あはは。でもさあ、百花の場合どっちになっても、攻略イケメンのことガン無視して、可愛い女の子の恋愛相談とかしてそうじゃない。誰々さん、そんなんじゃ彼が振り向いてくれないわよ、まず服を買いに行こう! とか言って』

『うっ! 絶対それやるわ。でもさあ、可愛い子が似合わない服着てるのとか、似合わないメイクしてるのとか、絶対もったいないお化け出そうじゃん』

『さすが百花姐さん。異世界転生したのでファッションアドバイザーになりますって感じになるね。可愛い女の子にもったいないオバケが付くなんて許せません、みたいな。ねえねえ、莉子は?』


 真央に話を振られ、ニコニコして聞いていたクラリスに皆の目が向く。


 クラリス……いや莉子は、乙女ゲームにもライトノベルにも興味がないから、正直なところどれもピンとこない。記憶を持ったまま転生するなら、普通に未来の日本がいいし、空飛ぶ車とか運転してみたいなんて思うから。でもみんなの話に水を差す気はさらさらなかったから真面目に考える。


(私なら? うーん、とりあえず何をするんだろう?)



 莉子がそう考えた瞬間、意識がクラリスに戻った。

 一緒に祭りに来ていた乳姉妹ちきょうだいのマルゴに、「何か飲み物を買ってきますね」と、声をかけられたのだ。


「あ、うん。じゃあ私、あの噴水のベンチにいるね」

「はい。すぐ戻ります」


 ニコッと笑ったマルゴが、小走りに果汁を売っている屋台に向う。

 その背を見送るとクラリスは空いているベンチを確保に向かい、無事座ることが出来た。


 今夜は三年ぶりの春祭りだ。

 はやり病と天災の影響で出来ずにいた久々の祭りは、同時にこの町の領主である伯爵の娘の社交界デビューの日でもある。独身の令嬢令息はこぞって結婚相手を探しに領主館の舞踏会へと向かい、町の人々は屋台を冷やかし、満開になった春の花を愛でながら浮かれ騒いでいた。身分に関係なく、今日は独身男女の出会いの場でもあると言える。


 クラリスは一応令嬢ではあるのだが、家族との折り合いがよくない為、舞踏会へは参加できない。代わりにマルゴに誘われ、庶民の格好で町の祭り見物に来ていたのだ。


(庶民の格好なんて言っても、普段の服装もたいして変わらないんだけどね)


 突然前世を思い出してもパニックにならなかったのは、十七年クラリスとして生きていた記憶の方が強いからだろうか。

 二十四歳だった莉子の記憶は夢や空想めいていて、少しだけ遠い。


(まさか一番興味のなかった私が、こんな異世界で生まれ変わるなんてねぇ)


 死んだ記憶はないから、もしかしたらこれは夢なのかも? なんて思ってみるけれど、十七年分の夢はさすがに長すぎるし、莉子の記憶もリアル過ぎた。


 周りを見れば、数百年前のヨーロッパを思わせるような服装や建物。しかも、ほんの少し魔法だの、町の外には凶暴な魔獣だのがいるのが当たり前。

 正直、あまりにもお約束な世界で笑いも起きない。


(漢字が苦手だから、中華風じゃなかっただけよかったと思うべきかしら)


 ふと打ち上る花火を見ながら、猛烈な淋しさに押しつぶされそうになる。それを振り払うためになんとなく、「ステータスオープン」と呟いてみた。


 ……何も起こらなかった。


「うん、知ってた」


 もしかしたら転生チートとかいうやつで、今まで存在も知らなかったものが突然見えるかも? なんて、期待しなかったと言えばウソになる。

 でも考えてみれば、もう一つのお約束であるらしい、神様みたいな存在に会った覚えがない。

 これはもう普通に莉子は天寿を全うして、魂がふらっと地球外に出てしまったとかそんなところなのだろう。同じような文明を辿った世界に来てしまったとか、もしかしたら宇宙開発の進んだ遥か未来かもしれない。

 それならちょっとわかる気がする。ファンタジーじゃなくてSFだ。


(ま、どっちにしても、前世の記憶とかいらないわぁ)


 ごくごく平凡な人生しか歩んできてないし、違う世界の記憶なんて、役に立ちそうにもない。むしろ混乱と寂しさの原因にしかならないし、これなら友人たちの方がうまく立ち回れそうだ。なんで自分だったのだと恨めしくさえ思う。


(莉子だった頃の私は結婚したのかなぁ)


 脳みそは違うはずなのに記憶を探ってみれば、あのあと開かれた真央の結婚式の記憶がある。

 優しそうな旦那様は、真央の幼馴染のお兄さん。その隣で長年の恋を叶えた、幸せそうな友達の笑顔。その記憶はクラリスの胸を温かく満たした。


 莉子自身はわりとモテる方で、彼氏が途切れることはあまりなかった。

 結婚は三十くらいでしたいと思ってたし、多分したんじゃないかなぁと思うけれど、自分のことはさっぱり思い出せない。


(たしか、真央の結婚式のあたりはちょうどフリーだったんだよね)


 ふとそんなことを思い出す。

 披露宴や二次会で同じくフリーだった他の友人たちと、良い出会いでもないかななんて、冗談半分言っていたのだっけ。


(そうね。いい出会いないかなぁ)


 この世界でのクラリスは適齢期だ。

 家族との折り合いが悪くても、異母妹ばかりが可愛がられて大きな舞踏会が開かれていようと、正直なところ特に不満はない。だって、集まる人達にまったく興味がないから。


 チラッと領主の館に目を向け、そこで開かれている舞踏会を想像して肩をすくめる。


(私、生まれ変わっても好みが変わってないんだなぁ)


 大勢集まっているであろう令息たちは、ほぼ間違いなく、流行りのほっそりした男性ばかりだろう。フリルのついたドレスシャツを着て、長い髪をリボンで束ねてるのだ。もしかしたら、うっすらメイクもしてるかも。


(うん、全然お呼びじゃない)


 去年クラリスの社交界デビューがなかったのは、天災とはやり病で世間がごたついていたからというのが建前だ。継母と妹はニヤニヤ笑うのを隠せていなかったけど、クラリスとしては内心ラッキーくらいの気持ちだった。


(碌なドレスも作ってもらえないで、好みでもない男性の前に出て恥をかくとか、なんの罰ゲームだってのよね?)


 いずれ嫁がねばならないのは分かってる。莉子の世界のように、女一人で生きるのは厳しい世界だから。

 でもせっかくなら、好みの男に嫁ぐくらいの夢は見たい。

 せめて毎日ニヤつけるくらい好みの顔とか、お姫様抱っこ余裕のがっちりした体とか、うっとりできるくらいの要素はほしいじゃない?


(うん、ちょうどあんな感じの……)


 戻って来たマルゴからカップを受け取り、ふと正面を見たクラリスは、酒場の表に出しているテーブルで酒とゲームに興じている、非番の騎士らしきグループに目をやった。

 騎士だと分かるのは、非番でもそれとわかるよう、二の腕に巻いたスカーフのおかげだ。色が赤なので、町の警護ではなく町の外の魔獣担当なのだろう。


 どの男も細さとは無縁のがっちりとした体躯で、クラリスから見れば、正直言って皆カッコいい。


(そうなのよ。男はやっぱりああじゃなくちゃね)


 ほっそりしていても理知的なメガネ男子は割と好物だ。でも基本はやっぱり、がっちりした男が好き。すっぽり抱きしめてもらうと安心するような、そんな人がいい。


 そんなことを考えながら果汁をちびちび飲んでマルゴと花火を見ていると、彼らの会話が風に乗って聞こえてきた。

 どうやらゲームが終わり、負けた人が罰ゲームをするようだ。


 彼らの話す罰ゲームのルールは簡単だ。箱から色々な単語を書いた札を皆で一枚ずつ引いて、負けた人がそれを行う。数百年前からあるありきたりなもの。

 そこで負けたらしい男が引いた札の内容は、茶髪、茶色の目、クリーム色の花の髪飾り、求婚の四つだったらしい。


(わお、その色の組み合わせって私の事じゃない)


「よし、バルト! 茶色の髪と目をしてクリーム色の髪飾りを付けた娘に求婚してくるんだ!」


 完全に酔っ払いのたわごとといった大声が聞こえドキッとする。


(まあ、こんなに暗くちゃ目の色なんてわからないわよね)


 そう思いつつもドギマギしながら成り行きを見ていると、振り返ったバルトという男と目が合った。


(わ、やばい)


 クラリスではなく、記憶の奥底にいる莉子の意識が思わず声をあげた。


(うっわ、うわぁ、うわあ、信じられない。え、かっこいい。やばい。めちゃくちゃ好みなんですけど……!)


 バルトと呼ばれた男は、クラリスよりずっと年上に見えた。たぶんアラサーくらい。前世を思い出す前のクラリスなら、おじさんにしか見えない男性。多分、目が合った瞬間マルゴの手を引いて逃げていただろう。


 でも今のクラリスの中には莉子の記憶がある。

 二十四歳の莉子と十七歳のクラリスをあわせれば、アラフォーのおば……げふん……お姉様だ。莉子は年上も嫌いじゃなかったけど、男っぽくて頼りになる「年下の男」が好みだった。そして目の前の男はまさに、その枠にぴったりはまって見えた。


(いやん。かっこいいけど、よく見るとちょっと可愛いかも)


 クラリスは突然目の前で跪いてバルトと名乗った男を見つめながら、脳内は大変なことになっていた。表面上は長年培った教育の賜物で、穏やかに礼儀正しい笑顔を浮かべているけれど、本当は口元に手を当てて黄色い悲鳴を上げたい!


(かっこいい! ほんと、かっこいい!)


 もはやバカみたいにかっこいいしか言葉が出ない。

 ツンツンとした明るい茶髪も、凛々しい口元や眉も、クラリスを見あげて少し申し訳なさそうにしているグレーの目も、こちらに差し出した大きな手も、すべてが好みだった。


「美しい娘よ。よかったら名前を教えていただけないだろうか」


(声まで好き!)


 ここまで好みの権化のような男に会ったのは、前世今世合わせても初めてだった。


 マルゴが「クラリス様」と小声で呼んで引っ張っていこうとするけれど、お尻に根が生えたように動けない。いや、動きたくない。

 バルトの姿を事細かに目に焼き付けたかった。


 バルトは根気よくクラリスの返事を待っている。

 罰ゲームに付き合わせて悪いなといった顔には、クラリスを小娘と侮る色はない。かといって他の男にありがちな、ずっと年下の女の子に色目を使う素振りもない。


「断っていいよ、巻き込んでごめんね」


 クラリスとマルゴにしか聞こえない程度の声で謝られ、クラリスは完全に落ちた。


「クラリスです」


 そう返事したクラリスの顔とバルトを見比べたマルゴが、小さく「ああ」と呟く。生まれたときからの付き合いだ。彼がクラリスの好みだと気づいたらしい。人を見る目が確かな彼女が素早く彼とその仲間を観察し、静かに一歩下がる。

 これからの対応をクラリスに任せてくれたようだ。


 一方バルトはクラリスが名前を教えるとは思わなかったのだろう。驚いた顔をした後、クラリスが差し出した手の甲に口づける真似をした。そんな唇を付けない配慮も好ましい。


「クラリス。美しい名前だ。どうか俺と結婚してくれないだろうか」


 これは完全な罰ゲームだ。

 クラリスが頷くとは誰も思っていない。


 でもクラリスの中の莉子が、(この人捕まえなきゃ、絶対後悔するってば!)と騒いでいる。こんなに好みの男は、今後絶対に会えないと。


 でも素性も分からない。

 相手が本気というわけでもない。

 明日以降も会えるわけではない。


(もう会えないかもしれない)


 そう思うだけで胸が痛むのはなぜだろう。

 母の死後、父が継母と異母妹・・・を連れてきた十年前から、小間使い同然に使われてきた。その間、ただひたすらに培った観察力を発揮する。


 新たな目で見てみれば、無精髭のせいでバルトは一見粗野に見えるけど、知性と品性を感じさせることに気づく。もしかしなくても彼は、そこそこいい家の出だ。

 マルゴが下がったのも、たぶんそれが理由だろう。

 貴族ならとうに結婚している年だから、彼くらいの年なら兄弟の下の方といった感じか。


 一方クラリスは長子にもかかわらず、家に残る選択肢は皆無だ。婿を取るのは妹の方。そのくせ、結婚相手を選ぶ自由などない。

 でも少しくらい夢を見るのはいけないことだろうか?

 彼となら、夢を見てみたいと思ってしまう。


(ねえ、ここはとりあえず頷いてもいいかしら――?)


 揺れ動く心の動きを止めるよう、また一つ夜空に大きな花が咲いた。


 クラリスは唇に笑みを乗せる。そして莉子の言葉を借り、この世界にはないような答えを出した。


「まだあなたのことを何も知らないわ、バルトさん。とりあえずお友達からお願いします」


 求婚への返事とは思えない答えにヤジが一瞬止み、ついで爆笑に変わる。


 バルトの戸惑った顔も仲間の笑いによって笑顔に変わった。


「ああ。宜しく、クラリス」




 それは、明日の朝には終わるかもしれないと思った夢の始まりだった。

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