第1話④「ゴブリンだ」

「――なんなのよもう! ああああっちへ行きなさいよ!」


「ギャギャギャッ!」


「ギャーギャッギャッ!」


 若い女の子の悲鳴と、人間のものではない鳴き声が複数、折り重なるように辺りに響いた。


「いったい何? どうしたの?」


 藪をガサガサかき分け覗いてみると、緑色の肌をした小鬼たちが女の子を取り囲んでいた。


 小鬼の数は二十匹ほどだろうか。

 腰にミノを巻き、剣や棍棒で武装している。

 舌なめずりをし、いかにも好色そうな笑みを浮かべながら女の子を狙っている姿は間違いない――

 

「……ゴブリンだっ」 


 数多あまたのファンタジーや異世界ものに出てくる定番の魔物。

 基本的にはザコで、一対一なら人間の大人にも勝てないぐらいの強さだけど、基本複数で行動する上に、けっこうずる賢い。

 しかも人間の女の子を好んで襲うイヤらしい一面もあったりする。

 それはこっちの世界でも変わらないようで……。


「あの女の子を狙ってるのか……」


 襲われているのは僕と同い年ぐらいの女の子だ。

 燃えるような赤毛をツインテールにした美少女で、黒いとんがり帽子にローブに杖という装備からすると、魔法使いなのだろう。

 となると、攻撃魔法も使えたりする?


「んーでも、魔法使いだけど、全然魔法を使う様子がないな……まさかのMP切れ? いや……なんか言ってる?」


 大きな木を背にしながら口をもごもごさせている女の子。 

 何を言っているのか耳を澄ませてみると……。


「『始原の炎よく来たりぇ――』」


 ……あ、噛んだ。


 そのせいだろう、途中まで出来かかっていた炎の魔法が中断され、魔法文字(ルーン文字みたいなやつ)が風に吹き散らされて消えた。


「『し、始原のほにゅおよ――』」


 その後も女の子は噛み続け、魔法は中断され続けた。 

 そのたび色鮮やかな文字が粉々に砕けて消えた。


 どうやら『緊張すると噛む癖』があるらしい。


 噛み癖のある魔法使いとか最悪だ。

 本気でどうしてその職業選んじゃったのかと小一時間問い詰めたくなるレベル。

 冒険者としてパーティを組むなら、絶対一緒にはなりたくないタイプ。

 それだけに――


「……なんだろう、すんごい親近感が湧く」


 助けよう、そう思った。

 噛み癖がなくても助けるつもりだったけど、もっと深い部分の心のスイッチが入った気がした。


 だって、このコは僕と似てるんだ。 

 緊張しても汗はかかないけれど、代わりに舌を噛む。

 そのせいで上手く働けない、魔法使いなのに魔法が使えない。


 もしかしたら、ここにいるのもそのせいなんじゃないだろうか。

 僕が王都を追われたように、このコも居場所を失ってここへ流れ着いたんじゃないか。 

 もちろんすべて、見当外れの妄想かもしれないけれど……。


「ゴブリンども! こっちだぞ!」


 ふと気が付くと、僕は動き出していた。

 女の子とは逆の方向へ、藪をかき分け、わざとガサガサ音を立てながら。

 それだけじゃ気づかれない可能性もあるから、盛んに大声を出して。


「こっちに人間がいるぞ! 美味しいぞー!」


「「「ギャギャギャッ!?」」」

 

 僕の肉が美味しいかどうかはともかく、ゴブリンたちの目は一斉にこちらに向いた。

 棍棒を持つ手が、投石用の小石を持つ手がこちらに向いた。


「え、え……?」


 驚いた女の子の目が、サファイア色の双眸が僕を捉える。

 心優しい冒険者でもやって来たのかと思い振り返ったのだろう――だが、そこにいたのは冴えない少年がたったひとり。

 その事実が、さらに驚きを深めたようだった。


「あんた……なんでっ?」


「僕が奴らの注意を引き付ける! だからその間に呪文を完成させるんだ!」


 最初は驚き固まっていた女の子だったけど、たったひとりでも君を救ってみせるという僕の意図に気づくと――


「わかったわ……で、でででもっ、ああああたしはあがり症だから、もしまた失敗したりしちゃったら……っ?」


 僕がどれだけチャンスを作ったとしても、それを無駄にしてしまうかもしれない。

 下手をすると二人とも、ここでゴブリンたちの餌食になってしまうかもしれない。


 女の子は当然だけど、そのリスクを知っている。

 知っているからこそ、怯えているんだ。

 誰かを巻き添えにしたり迷惑をかけたりしたくないから、他人を遠ざけようとしているんだ。 

 ちょうど田中キモ男が――僕がそうだったように。

 

「気持ちは嬉しいけど逃げてっ! このままダメになったとしても、それはあくまであたしの責任で……っ!」


「――大丈夫だから!」  

 

 女の子の恐れを遮るように、僕は叫んだ。


「僕がなんとかするから! 君は信じて魔法を打てばいいだけだから! 一度や二度じゃなく、何度失敗したっていいんだから!」


 もちろん、何の理由もなくかけた言葉じゃない。 


 女の子の唇には、無数の噛み跡がついている。

 今まさに赤い血が流れてるのもあるし、内出血みたいな青いのもある。

 それはおそらく練習痕れんしゅうこんだ。


 アイドルみたいに可愛い顔の中でひときわ目立つそれらが、彼女がこれまで過ごした人生を物語っている。

 誰にも頼れず、自分ひとりで重ねるしかなかった修行の日々を。

 現代日本でぬくぬくと生きてきた僕とは違う、過酷なそれを示している。

 

 だからこそ信じられる。

 だからこそ信じたい。

 僕は君を――見捨てない!


「絶対、なんとかしてみせるから!」


「…………!」


 僕の言葉で覚悟が決まったのだろう、女の子の顔に決意がみなぎった。


「わ、わかった……いいわよ! そこまで言うなら乗ってあげる!」


 女の子はとんがり帽子を被り直した。

 強く光る瞳で僕を見た。


「あたしの名はアイリス・イー・ヴェルボー! あんたの名前は!?」


「僕はヒロ! 田中ヒロ!」


「じゃあヒロ……行くわよ! 人生懸けた大勝負! 呪文の準備が整うまで時間を稼いでちょうだい!」  


 女の子――アイリスの言葉を合図に、僕は走り出した。

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