知らぬまま


 翌日、ムノへ帰る前にタニイに会うため、宰相の屋敷へ赴いた。

 二日酔いで起きてこられないと宰相家の侍女に伝えられたものの、本人は会うと言い張っているとのことで、私は共に来たラジヤと護衛たちと別れてタニイの部屋へ向かった。


「タニイ?」


 部屋へ入ると、寝台に突っ伏している彼女の姿があった。

 衣をこれでもかと着崩し、髪も振り乱れ、さすがにこれでは客の前に赴けないと言われるのも頷ける有様だ。


「タニイ、大丈夫?」

「……飲み過ぎた。頭が痛い」


 彼女は長い髪を掻き上げながら頭を抑え、無造作に流れる髪の間から私を見た。目元にもはっきりとしたクマができてしまっている。


「あそこに行くと酒がおいしいものだからどうしても飲み過ぎる。侍女たちにも父にも叱られて全く嫌になるよ。ほいそれと行くもんじゃないね。……ほら、そこに座ったら良い」


 私が寝台の隣の椅子に座ると、彼女はずんぐりと起き上がり、髪をすべて後ろに流した。すらりとした背に黒く艶のある髪を流す姿には、同性でありながら思わず見惚れてしまう。


「昨日、その男は来なかったんだろう?」


 タニイは立てた膝に肘をつき、私にそう尋ねながら侍女に水を持ってくるよう命じた。


「いいえ、実はね……」


 結局は会ったのだという話をすると、彼女は度肝を抜かれた顔をした。


「会ったならどうして私を呼んでくれなかったんだい」


 酔いが覚めたと言わんばかりの表情だ。


「ごめんなさい。呼ぼうとしたのだけれど、あの人に人数が多いのは嫌だと断られてしまって……タニイを連れていったらきっと彼は会ってくれなかったと思うの」

「そんなの言い訳に決まってる。一体どこのどいつだろうね。何が何でも会いたくなってくるよ」


 タニイは相手に少し怒っているようだったが、やがて「仕方ない」と寛ぎながら私に視線を投げてきた。


「今回会って、何か分かったことはあった?」


 侍女から受け取った杯から浴びるように水を飲み、相手は私に尋ねる。


「……多分あの人、タニイと知り合いだわ。タニイの名前を出したら、一瞬あからさまに嫌そうな顔をしたの。もしかしたらタニイのお父様にとっての政敵のご子息とかなんじゃないかしら」


 これが私の導き出した新しい予測だった。だがタニイは顔を顰めて首を横に振る。


「私もこんな身分を賜っているから政敵なんてそこらにいるんだ。それだけじゃまだ絞りきれない。それに私の政敵なら、ティイにとっての政敵かも知れないよ」


 確かにそうなのだ。宰相家が神官側と軍事側の中間にいるとはいっても、私とタニイの父親同士は仲が良く、互いに支え合っている仲でもある。宴で現れるあの青年がタニイの政敵なのだとしたら、私の政敵にも十分になり得る。そうなれば神官側の血筋だろうか。


「そんなに気になるならもう一度うちで探そうか」


 あの青年の正体について思考を巡らす私を見て、タニイが提案してきた。


「父上に頼めば、イウヤ殿にも内密で探してくれるだろう」

「タニイ」


 彼女に呼びかけた。

 膝においた両手を握り込み、真っ直ぐ正面にいる人に視線を向ける。


「どうした、ティイ。そんなに真剣な顔をして」

「私ね、彼のことは知らないままでいようと思うの」


 タニイは不思議そうな顔をした。

 知りたい一心で今まで彼女と話していたのだから無理はない。


「もしかしたら彼、身分が随分違うのかもしれない。知ったら遊べなくなってしまうかもしれない。あの人とは良い友達になれると思うの。できる限りこのままの関係でいたい」


 今まで、友という存在は侍女のラジヤしかいなかった。

 こうしてタニイという心強い友を得、そしてまた不思議な青年が会ってくれると言う。素晴らしい出会いだと思う。この出会いを大事にしたい。


「知らないままの関係っていうのも面白いでしょう?」

「ティイがそれでいいなら構わないけれど」


 腑に落ちない顔をしている。


「せっかく私のことを気にかけて宴に来てくれたのに、ごめんなさい」

「いいよ、別に。ヘルネイトが酒をやけくそになって飲んで、自分が哀れだと泣き始めた惨めな姿を見られたからね」

「そんなことが?」


 凜とした美しさのある彼女が、そんな状態だったなんて想像出来なかった。


「あの気位の高いヘルネイトのことだ、指摘しても知らぬ存ぜぬで通すだろうけれど」


 彼女は面白そうに言った。


「でもね、ティイ」


 笑うのをやめ、タニイは眉毛を下げた。


「知らない相手と会い続けるっていうのは、危険なことだよ。それも父君に『女』だと嘘をついているなら尚更だ」

「そうよね……」


 父に嘘をついてまで会いたいと思っている自分がいる。

 あの人の知識をもっと聞きたい、知りたい、という欲求が止まらないのだ。

 それに、あの人について行けば、私の行けないところにまで連れて行ってくれるような気さえする。


「会うなとは言わない。ただね、これからも会うなら、そこであったことを私にだけで良いから全部話してほしい。隠し事は無しだよ?」

「……ええ、それは勿論。もともとそのつもりよ」


 彼女には全部聞いてほしい。あったことを誰にも話さないでいるなど、私はきっとできない。


「本当はね、未婚の男女が二人で会うってのもあまり頷けない。それに相手が未婚だとも限らない。ティイと年が近いんだろう?なら結婚して妻帯者であってもおかしくない。そういう可能性もあるってことを忘れちゃ駄目だよ」


 そうか、と気付く。

 彼が当たり前のように未婚だと思っていたが、彼のことを何も知らないのだからそうとは言い切れない。彼にはすでに妻がいるかもしれない。そうと決まったわけではないのに、私はどうしてだか全身から力が抜けた。


「もし私が聞く中で何か危ういことがあったなら私はあんたを止める。いいね?」

「……ええ」

「それから惚れないようにね」


 一瞬タニイが言っていることを聞き逃したことに気づいて、慌てて目の前の相手を見た。


「なんて?」

「だから、惚れちゃ駄目だよ」


 何を言われているかを知ってぎょっとした。


「そんな、好きになるなんてないわ。私、まだ男の人を好きになったことがないんだもの」


 慌てて否定をしたが、相手は「どうかな」と口端をあげる。


「人なんて、何の拍子に惚れるか分からない生き物だからね」


 人とは、そういう生き物なのか。初めて知った。


「とにかく何があってもその男に触るな。触らせるな。触らなければ相手は何もできないから」

「手も駄目なの?」

「だーめ」


 食い気味に言われ、一度手を掴んだ事実を飲み込んだ。


「万が一間違いが起こって、子供なんて出来たら大変だ」

「……触れると子供が出来るの?」


 そう尋ねて、タニイは面食らった顔をした。私が子供の作り方を知らないことに驚いたようだ。

 結婚すらまだなのに、子供のことなんてそもそも考えたこともなかったのだ。興味が無かった、という方が正しいのかも知れない。

 男女で何かをすれば出来るのだろう、ということだけで、屋敷で囲われるように育った自分には、そういうことを話す友人すらいなかった。


「違うけれど、気を付けるに越したことは無い」

「どうしたら子供が……」


 私の質問を、タニイの人差し指が遮った。暖かみのある眼差しで私を見て「ウブだねえ」と呟く。


「子供がどうやって出来るかは結婚前に教えられるから、まだ知らないままでいいんだよ。知らないってことはまだそう言う時期じゃないってことだ」


 とにかく、と彼女は座り直す。


「これからもその友達とやらと楽しんだら良い。せっかく今、色んな世界が見えてるんだから。結婚する前にこういう自由も大事だろう」


 タニイはそう言うとまたごろりと寝台に寝転がって、更に侍女に注がせた水を浴びるように飲み干した。


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