宰相家にて
宴の翌日、ラジヤと共に向かった宰相の屋敷で私はタニイと再会した。
彼女の姿が現れるなり、私は嬉しくてそのまま走り出した。走り寄った私をタニイが両腕を広げて迎えてくれたものだから、そこに構わず飛び込んだ。
「この前は迷惑をかけてごめんなさい」
何より一番伝えたかったのは、ひと月前の謝罪だった。
血相を変えて私を探していた父を目の前にして、タニイは驚いたに違いない。
「いいよ。私がテーベは面白いなんてけしかけるようなこと言っちゃったのも原因だし。元気そうで何より」
彼女のからっとした笑顔にほっと胸を撫で下ろす。
「それから、書物もありがとう。興味深く拝見したわ」
アネンから受け取った書物を何度繰り返し読んだことだろう。
「楽しんでもらえたようで良かった」
「本当に面白かった。神々の物語であんなに詳しく書かれたのを見たのは初めてよ。やっぱりイシスの魔術は凄いわよね。ばらばらにされた夫をつなぎ合わせて復活させるのよ?散々粉々にされたって書いてあったから、どれだけ時間がかかったのかしら!それとも一瞬だったのかしら」
そこまで言うと、彼女は大きく肩を揺らして笑い声を響かせた。
「ずっとタニイに会いたかったの。宴の席で会えると思っていたから、いなくてびっくりしたのよ」
「あんなところに行ったら気が滅入っちゃうよ。父親が宰相だから毎回のように招待されるけれど、いつも行かないんだ」
良く来たと言って彼女はもう一度私を抱きしめる。
王家からの招待を拒否できるとは、やはりタニイはただ者ではない。
「私の部屋においで。私もティイと話せるのを楽しみにしてたんだ」
私の背に手を添えたタニイに促され、屋敷内を進み始めた。
屋敷の侍女たちがこちらの姿を認めるなり頭を下げていく。
進めば進むほどにムノにある自分の家よりも広い屋敷だと分かる。このテーベの都でこれだけの屋敷を構えられるとはさすが宰相家だ。
彼女の部屋はその屋敷の奥にあった。
「どうぞ。侍女も一緒に良いよ」
ラジヤと共に案内されて踏み入れたタニイの部屋を見て驚いた。
部屋の壁はぐるりと棚に囲われ、そこには数え切れないほどの書物が並べられている。本棚の他は最小限の寝台と机と椅子だけという令嬢らしからぬ部屋の様子があまりに輝かしく目に映った。まさに私が憧れた部屋だ。
「こんなに書物がたくさん……!タニイは書物を読んでもお父上から叱られたりしないの?」
本棚の近くまで歩み寄って尋ねた。様々な分野のものがあるようだった。
「最初はあまりいい顔はされなかったけれど、もう諦められてるのか何も言われないよ。欲しいというだけ書物をくれる」
「羨ましい!私も宰相家に生まれたかった!」
それを聞いてタニイは天を仰ぐようにして肩を揺らした。
「イウヤ殿は許してくれないのか」
寝台に腰を掛けた彼女に、私は肩を竦めて頷いた。
「私の父は、女が文字を読むものじゃない、書物を読んで知識を蓄えるのも不要なことだというの」
父だけではない。次兄も同じ考えだ。
アネンは禁止することはないが、良い顔はしない。
「世間一般じゃそうだろうね。学びたいと思える女性自体が少ない。いや、女が学ぼうと思える機会がないのかもしれない」
まだそういう機会がある自分は恵まれているのだろう。
ただ、やりたくてもそれを許されないのは何とも窮屈だ。
「ティイ、おいで。これ美味しいんだよ」
宰相家の侍女が机に並べた飲み物と軽食を示して、「食べたら良い」とタニイが勧めてくれる。
「……読んでみてもいい?」
目の前に広がる光景に、そう尋ねずにはいられなかった。
「勿論。そんなに書物を読むのが好きなら私のものをいくつかあげようか」
「本当!?」
穏やかな声で奏でられた提案に私の内側が大きく沸き立ち、彼女を振り返った。
「そんなに喜んで貰えるならこの書物も本望だろう。全部父のお古なんだ。もう全部一通り読んでいるし、私はあまり読み返すことはしない。帰りに侍女に持たせよう」
頬が紅潮するのが分かった。嬉しくてどうにかなりそうだ。宰相の娘から貰ったと言えば両親も何も言えまい。
本当に宰相は娘が読み書きすることを禁じたりしないのだ。そうならばなんて羨ましいことだろう。
「それよりティイ、王の宴はどうだった?初めてだったんだろう。楽しめた?」
いくつか書物を選んだ私はタニイから椅子に座るよう促され、腰を下ろしながら昨夜のことを思い返した。
「ええ、とても!あのね、不思議な人に会ったの。そのことをタニイに話したくて」
昨夜の一部始終を彼女に話した。
宴の場が自分の身にそぐわないと思い、広間を出て、そこで会った軽装の青年。
沢山の知識を持ち、王宮内を案内してくれたこと。名前は教えてくれなかったこと。どこの誰であったのか今も分からないこと。また会おうと言われたこと。
「へえ、それは不思議なやつだねえ」
頬杖をついたタニイは怪訝そうな顔をしていた。
「タニイはその人のこと知らない?貴族のご子息だとは思うのだけれど」
タニイは宰相の娘だ。テーベの貴族たちのことは私なんかよりずっと詳しい。
「髪は焦げ茶で固そうで、目は真っ黒だったわ。背は私より頭一つ大きくてタニイと同じくらい。それでね、何だろう……気品がある感じかしら。手もよく剣を握ってると思うの。あの感じはかなりの腕前じゃないかしら」
懸命に昨日の記憶を思い出しながら話す私を見て、困ったように笑った。
「ティイ、悪いけれど、容姿だけ言われてもさすがに分からないよ。焦げ茶で黒い目もわりかし多いし、貴族の男子なら剣術くらいは嗜んでるだろう」
言われてはっとする。
「そうね、ごめんなさい……どうしても気になって」
恥ずかしくなって俯いた。
私は本当に、あの人のことを何一つ知らないのだ。
「でも話を聞く限りいいやつそうだね。私も会ってみたいよ」
タニイは少し身を乗り出して口角を上げる。
肯定的に捉えてもらえて嬉しくなった。
「でしょう?最初は変な人だと思ったのだけれど、あの人、すごく色んなことを知っているの」
次に会えたら他に聞きたいことが山のようにある。
「アネンに聞いてみたらどう?そちらの方が同じ貴族の男子として多くの者たちと交流があるはずだ」
提案されて私はとんでもないと首を横に振った。
「兄様は駄目よ。あまりいい顔をしないわ」
「父君は?」
「お父様なんてもっと駄目!話したらもう会わせてくれないかもしれない。父には女の子と会ったことにしているの」
嫁入り前なのに男性と二人きりでいたなんて知られたらまた大目玉を食らってしまう。
「女で通したって?それは名案だ!」
ひとしきり笑ってから彼女は私の頭をぽんとたたいた。
「分かった。私もできる限り調べさせてみよう。まったく分からないということはないと思う」
彼女の言葉に嬉しくなって、思わず相手の手を取った。
「嬉しい!ありがとう」
「宰相の娘に任せな」
彼女のにやりとあがった口角は勇ましかった。
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