仲裁
父は、私の嫁ぎ先と王宮で落ち合い、そのまま屋敷に連れて帰って私と面会させる予定だった。ところが、早めに帰ってみれば屋敷にいるはずの娘がいない。慌てて探したものの、どこを探しても見つからず、考えを巡らせて昨日船上で知り合った令嬢タニイのところではと宰相家を訪ね、タニイが「テーベの街にいるのではないか」と教えてくれたのだという。
抜け出しているだけならまだいいものの、まさか民衆の催しに出ているとは想像していなかったようだった。
それもそうだろう。私だって予想もしていなかったのだから。
「お前と言う奴は!!!」
嫁ぎ先の面々は会うことなく帰っていき、私はまず屋敷で叱責を受けていた。
「ラモーゼ殿のご息女から『町ではないか』と聞き、来てみればこの有様だ!!私をどこまで困らせれば気が済むのだ!」
父は顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている。
「ごめんなさい、決して困らせるつもりはなかったの」
自分が悪いのは百も承知なのだ。ただ弁明だけはしたかった。自ら進み出て参加したわけではないのだと。それでも父は聞く耳を持たない。
「民に紛れるならまだしも、男に混じって剣術の試合とはどういうことだ!」
「お父様、話を聞いて」
「黙れ!」
響き渡る怒声に身を竦める。
「言い訳など聞かぬぞ!!父にどれほど恥をかかせれば気が済むのだ!お前は私の娘だ!軍事司令官であるこの私の!!そのことを忘れ、お前は……」
「本当に軽重であったと反省しています。ごめんなさい、今回のことには理由が」
「二度と都の地を踏めると思うな!」
問答無用のまま父は私を帰路につかせ、ムノの屋敷に着くなり私を部屋に閉じ込めた。
母とも真面に会えぬままラジヤとも引き離され、一人自室でさめざめとしている。
寝台の上に突っ伏して、寝具に顔を埋めて身を小さくする。
一人は寂しかった。申し訳ない気持ちもある。ラジヤも叱られただろう。主人である私のせいに違いない。嫁ぎ先に私を会わせようとした父の面子も丸つぶれだ。
好奇心の進むまま足を動かした過去の自分に対する後悔の方が最初は大きかったが、やがて、父が少しもこちらの事情を聴こうとしてくれなかった悲しさが増していった。
「ティイ」
寝台に突っ伏していると、兄たち二人が扉を開けて中へ入ってきた。
王宮に仕える二人はテーベに残るはずだったが、おそらく父から報告を受けて急遽帰ってきたのだろう。
「……兄様たち、帰ってきたのね。私のこと、聞いたの?」
寝台から身体を起こして兄たちに視線を向けた。
「ああ。少し心配になってね」
アネンは眉を下げて困ったように笑っていた。対してアイは不機嫌な顏だが、わざわざ帰ってきたということはアネンと同じように私のことを案じて来てくれたのだろう。
「迷惑かけてごめんなさい」
素直に謝った。今回のことで兄たちにも多少なり迷惑をかけたに違いなかった。
「何をしているかと思えば、熱心に読書をしているのかい」
アネンが首を傾げて私に尋ねた。
部屋に隠していた粘土板が寝台の上にあった。何もないと手を持て余してしまうから置いていただけだったが、私はふんと鼻を鳴らして頷いた。
「そうよ。こうなったら徹底的にお父様が嫌がることをやってやろうと思ったの」
意地を張ってしまう。自分のこんな性格が嫌になる。
「お前というやつは、どこまで神経が図太いんだ」
腕を組んでいていたアイが呆れ気味に肩を落とした。こればかりはアイの言う通りだ。
「……だって、私の話なんて聞いてくれない。訳くらい聞いてくれたって良いじゃない」
「そうだね。父上は短気な節がある」
兄二人が同意した。
「確かに無断で抜け出したことは悪かったわ。でも試合に出ていたのは不可抗力だったの。……ちょっとは楽しんでいたかもしれないけれど」
くつくつとアネンは肩を揺らす。
「ティイはもう少しおしとやかになるべきだねえ」
「兄上」
おっとり注意した兄を、次男が諌めた。
「そんな悠長なこと言っていていいのか?今回、父はティイの嫁ぎ先の相手を連れて来ていたというじゃないか。ティイの嫁入りはどうなる。今回は破談になるかもしれない。どこの男だかは知らないが、父上が考え抜いた、我が一族のためのこの上ない縁談だったはずだというのに」
「だが過ぎたことだ。それを今更言っても仕方ない」
兄の言葉にアイは口を噤んだ。腕を組んで寝台に座ったままの私を見やる。
「ティイも反省しているよ。同じことを繰り返すほど私たちの妹は愚かではない。私だって兄だ、ティイの気持ちは良く分かってるつもりだ」
アネンは座り込む私の目線の高さに腰を屈め、よしよしと私の頭を撫でる。目頭が熱くなり、引き結んだ唇が僅かに震えた。
父の叱責以来、優しい言葉をかけられたのはこれが初めてだった。
「私の妹は勉学も武術も出来る。父上が、ティイが男だったならばと頭を抱えるのも良く分かるよ。何故女性は勉学も武術もしてはいけないんだろうと思う」
父が、そんなことを。
私もどれだけ男に生まれていたらと思ったことか。だが、残念なことに私は女として生まれてきた。
「ティイは知識欲が人より強い。純粋にただただ知りたい気持ちだけで身体が動く。これは素晴らしいことだ。父も本来ならティイのこの好奇心や知識欲に従って育ててやりたいと思っているはずだが立場が邪魔してそれが出来ない。アイ、お前もそれは分かっているんだろう」
「それは……そうだが」
次兄は言いかけて、悩むようにしてから再び口を開いた。
「だが、ティイは女だ。女がそれなりに幸せになるためには男と添わなければならない。そしてそれにはそれなりの行動が必要になる。男はどうしても誇りが高く、自分より賢い女を好まない。貴族の男子となれば尚更その傾向は強い……ティイは自分からその幸せを遠ざけているようにしか見えない」
アイの言う通りだ。女は一人では生きてはいけない。そしていつまでも親のもとにいるわけにもいかない。
分かり切った辛い現実を言い並べられてますます肩を落とすと、アネンが私とアイを見比べてくつくつ笑った。
「私はね、ティイとアイの性別が逆だったらどうなっていただろうと時々想像するんだ」
アネンの一言にアイが飛び上がった。
「俺が女!?」
「だってそうだろう。お前は異性への媚び方を良く知ってる。いくらでも猫を被ってすまし顔が出来る。そうして上に伸し上がる。女だったならばこれでもかと上の御方をたぶらかすことも容易だろう。これも一種の才能だ」
そこまで聞くと、アイは満更でもなさそうな表情で頷いた。
「確かに、自分が女だったらそれを最大限に活かすだろうな。だからティイ、お前を見ていると腹が立つんだ」
なによ、と次兄を睨んで見せた。特別威張ることでもないだろう。
「お前は女としての武器をもっと使うべきだ」
むっとして首を横に振った。
「媚びるなんてまっぴらごめんだわ。女だからって舐められるのも嫌。だから私はアイ兄様を見ていると苛立つのよ」
「は?本当に可愛げの無い妹だな!」
私とアイの言い合いをアネンは微笑ましく眺めてから、二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ほらほらおよし。血を分けた兄妹で喧嘩することもあるまいさ」
鼻をフンと鳴らして黙り込んだアイを隣に、アネンは慰めるように私の頭を撫でた。
「では私たちは父上に妹を部屋から解放してもらえるよう交渉してくることにしよう」
「……ありがとう」
アネンが去り際に思い出したように私を振り返った。
「あと、ティイに会いたくてたまらないっていっていたお嬢さんを連れてきたよ。存分に二人で語り合うといい」
きょとんとしていると兄たちが去って行くと同時にラジヤがひょっこりと顔を出し、私を見つけるなり、くしゃっと笑って走り寄ってきた。
「お嬢様!」
「ラジヤ!」
駆け寄って彼女の身体に手を伸ばした。
「アネン様に手引きして入れていただきました!もう会えないかと思いましたよ!」
あの兄たちには私のことなど何でもお見通しなのかもしれない。私が今一番謝りたかったのはラジヤだった。彼女のくしゃりとした顔を見たら、なんだか泣きそうになる。
「ラジヤ、私ね、ずっと謝らなくちゃと思っていたの。今回のこと、本当にごめんなさい。私のせいでお父様があんなに怒ってしまって……何も言われなかった?大丈夫だった?」
ラジヤはにっと口角をあげて胸を張る。
「心配ご無用!私は全く怒られておりませんもの。こういう事態では私は常にお嬢様に引っ張られたってことになってますからね。私には無害です」
「本当?お父様、今までにないくらい怒っていたから、もしかしてって心配していたの。ラジヤは私を止めたんだって話をしようにも、こちらの話なんて聞いてくれなかったから……」
「お怒りになりすぎて私のことなど見えてなかったと思いますよ。大丈夫。何年あなた方親子に付き合ってると思ってるんです」
ラジヤの明るい笑顔にほっとした。ラジヤが両腕を広げてくれるものだから、そこへ躊躇わずに飛び込んでしまう。
「ああ、ラジヤ。本当に良かった……!」
彼女は眉尻を下げた。
「私はお嬢様を心配いたしましたよ。旦那様のあんなお顔、見たことありませんでしたし、お嬢様が問答無用で部屋に放り込まれて閉じ込められるのを見るのはここに仕えて初めてのことでしたから。このままこの部屋から出してもらえないんじゃないか、お嬢様の侍女をやめさせられるんじゃないかと本気で心配いたしました」
そう言われて繰り返し頷きながら彼女の手を握った。
「実はね、私もそれを覚悟していたの。あんなに怒ったお父様を見たのは生まれこの方初めてだったから。でも兄様たちがどうにか口添えをしてくれるみたい……それで良くなればいいのだけど」
なら大丈夫だと彼女は口元を綻ばせた。
「兄君たちがお口添えをしてくださったら、きっと旦那様のお怒りもいくらかは治まりましょう。もうすぐ出られるようになりますよ」
「だと良いのだけれど……」
もう二度と外へは出して貰えないのではないかと肩を落とした私の手を、ラジヤがきゅっと握った。
「もともと旦那様はお嬢様が可愛くて仕方がないんです。今回のこと、よっぽどご心配されたのでしょうね。試合に出て大事なお顔を傷つけられでもしたら一大事ですもの」
私も肩を竦めて「そうね」と返した。父からしたら、娘が屋敷からいなくなって相当驚いただろう。ムノとは違って活気あふれるテーベの町は素晴らしいところもあるが、危険なところもある。武術の試合で、周りは私を男と認識していたから容赦なく顔を打ってくることもあったかもしれない。途中で女だと露見して、父に見つかっていなかったら民衆に囲まれてどうなっていたか。
次に父に会えた時には、もう一度きちんと謝らなければ。
「……お母様もきっと心配してらっしゃるわ。帰って来てからまだ会えていないの」
心配しているだろう。母の心配そうな顔がこれでもかと思い浮かんだ。
「奥様にお会いになれるのは旦那様のお気持ちが鎮まってからでしょうね……大丈夫です、もうすぐお会いになれますよ。何たって仲裁がお上手なアネン様が間に入ってくれるんですから。アイ様は何とも言えませんけれど」
兄たちの仲裁がどうか上手くいくようにと願ったら、突然お腹から音がした。思わず両手で腹を抑えると、ラジヤが待ってましたと言わんばかりに服の下に隠し持っていたパンを二つ、私の目の前に素早く出した。
「お腹が空く頃だろうと思って、おやつを持ってまいりました。一緒に食べましょ!」
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