無罪放免

鐘乃亡者

無罪放免

 とある裁判所。そこの一室で今、日本中を騒がせた大事件の裁判が行われていた。

 部屋は簡素な造りであったが傍聴人はぎゅうぎゅうに押し込まれ、被告人であるAの前には険しい顔を浮かべる裁判官達が並ぶ。


 長い審議が続いた後、裁判長はAに告げた。


 「さて判決ですが、主文は後回しにします」


 ――――あぁ、クソ、マジか。

 Aは確信した。このあとの判決が死刑であることを。己の死因が絞首による刑死となる事を。

 

 青ざめた弁護士をAは睨みつける。

 こいつがもう少し優秀だったら、無期懲役で済んだかもしれない。最後の最後で貧乏くじを引いてしまったようだ。十数年は慎ましく過ごし、模範囚となって仮釈放されるのが計画だったのに。


 腹が立つのは目の前にいる裁判官共だ。序盤、心神喪失アピールしたにも関わらず、わざわざ精神鑑定を受けさせて全部跳ね除けやがった。その後もひたすら「反省はないのですか?」とか「遺族に申し訳ないと思わないのですか?」とか聞きやがる。耳障りったらありゃしない。

 

 しかも散々反省や償いの言葉を述べたのに、結局選んだのは極刑だ。誰も彼も涙すら流さずに俺を見つめてやがる。


「判決の理由として被告人は…………」


 裁判長は神妙な面持ちで理由を語り始めた。

 まずAが起こした事件の概要――連続猟奇殺人事件――である。


 数年前、大学生であったAは交際関係にあった女性Bを絞め殺し、遺体をバラバラにして森林に遺棄した。それだけに留まらず、被害者と親しかった女性Cに関係を迫り、拒絶されると殺害。同じように遺体をバラバラにした。

 やがてAの凶行は歯止めが効かなくなった。町の女性に突然関係を迫り、拒絶されたら殺害という流れを数回繰り返す。しかし最後の被害者が寸前で逃げ出したことにより、逮捕に繋がった。


 概要を聞きながらAは心中で訂正した。

 全員向こうから誘ってきたんだけどな。全て同意の上だったのに、急に拒絶してきたのはあいつらだ。俺は悪くねえ。


「うっ……うっ……」

 

 裁判長がAの経歴を話し始めた頃、傍聴席から啜り泣きが聞こえ始める。Aが振り返って見てみると、ふくよかな中年女性がハンカチを目に押し当てていた。

 周囲の傍聴人達は哀れみの視線を彼女に向けている。


 確かあれはBの母親だったかな。交際中に一度だけ会ったのを覚えている。

 

 それにしてもよくあんなブスから可愛いBが産まれたよな。遺伝的には絶対考えられない事態だ。もしかして旦那はイケメンだったりするのだろうか。まあ奴らの娘は殺してしまった訳だが。ドンマイ。


「被告人! 真面目に聞きなさい!」


 裁判長が木槌を叩いた。

 Aは気怠そうに前を向く。もう死刑を悟った彼はまともに聞く気が失せていた。どうせ最初から最後まで聞いたって、判決は変わらないのである。


 いよいよ話題は量刑の理由に移る。

 如何に犯行が残虐か、Aが自己中心的で身勝手か、更生の可能性について長々と裁判長の口から語られる。

 「情状酌量の余地は全く無し」「日本史上、類稀且つ残虐な犯行」「未成年というのは絶対に考慮するべきではない」などの厳しい言葉が何度も響いた。


 そしてとうとう、主文が言い渡される。


「――――よって被告人を無罪放免とする」


 一瞬、Aは耳を疑った。

 有罪どころか無罪?


「え、俺が無罪ですか?」


「判決の通りだ。この後すぐに釈放される」


 ぽかんと口を開けるAに立ち上がった裁判長が無表情で応える。そして裁判長に続いて裁判官や検察が続々と退廷する。


 騒めく傍聴人達も一人また一人と去っていく。最後に残されたのはA、弁護士、二人の警察官だった。


 しばらく棒立ちしていたAだったが、警察官に手錠を外されたことによって、段々と実感が湧いてくる。

 何が起きたかよくわからないが俺は生還したんだ。しかも一生塀の中ではなく、二度と帰れないと思っていた娑婆へ。失われかけていた気力が戻っていくのを感じる。


 興奮した様子を隠そうとしないまま、Aは弁護士に歩み寄る。だが無罪判決であるのに弁護士は頭を抱え、微かに震えていた。額には何筋もの汗が浮かんでいる。

 

「おいお前スゲェじゃんか!」


「…………」


「どんなマジック使ったんだ? もしかして賄賂か?」


「…………」


「とにかく、今度なんか奢るぜ! お前は命の恩人だ!」


「…………わかってませんね、貴方は」


 そう言うと、弁護士はそそくさと退廷した。

 

 Aは首を傾げる。

 俺の無罪が嬉しくないのか? まあもうどうでもいいか。全て終わったことだ。こんな辛気臭い場所はとっとと出て、すぐにでも牛丼が食べたい。ファミレスのステーキでもいいな。


 やがて二人の警察官に促されてAは部屋を出た。

 まっすぐ出口に向かっても、何も言われない。本当に冗談ではなく出られるのか。改めて嬉しさが込み上げる。


「しっかしお前らもご苦労なこった。わざわざ捕まえた野郎をすぐに解放だとはよ」


 Aは口角を上げながら、自分の右側にいる警察官に話しかける。彼もまた裁判長と同じように無表情だ。


「ええ、私も驚きました」


「だろ? これだけ殺して無罪なんて。また何人か殺っても問題はないってことだよな」


「そうかもしれませんね」


 淡々と返す警察官。


「ところでAさん、何か聞こえませんか?」


「え? 何も聞こえないが……」


「もっと耳を澄ませて。ほら」


 言う通りにAは耳を澄ませた。

 すると何かざわざわとした音が聞こえてくる。出口に近づくにつれ、それは徐々に大きくなっていく。


「こりゃなんだ? まるで誰かが話してるような……」

 

「よくわかりましたね。皆さんお待ちかねですよ。例えば被害者遺族の方々、正義感溢れる一般人、ただただストレスを発散させたいチンピラ、偶然通りがかった流されやすい野次馬達」


「――――は?」


「そういえば貴方の被害者には裏社会の関係者もいましたね。彼らは今朝から総出で待っていましたよ」


 警察官は躊躇する様子を見せず、出口の扉を開けた。


 裁判所の外には夥しい数の人がいた。老若男女問わず、拳を振り上げて叫んでいる。『犯罪者に裁きを』『野獣に生きる権利無し』『早く出て来い』などのプラカードを掲げている者もいる。


 そのうち半数くらいが木製バット、金槌、包丁といった風な人を殺せる道具を掲げていた。全員荒々しく息をして、ギラついた眼光を放っている。


 そこでAは気づいた。

 がたがたと肩が震え始める。


「じょ、冗談だよな……?」


「困ったことに皆さん興奮してましてね。無罪判決でなければ裁判所を焼き払うらしいんですよ。そんな甘い司法は要らないってね」


 Aは裁判所の中へ逃げようとした。

 しかし両脇の警察官に取り押さえられてしまう。


「お、おい!? 離せよ!?」


「いえいえどうぞ先程のように胸を張ってください。一瞬で済む絞首刑に比べて、彼らがどれだけ苦痛を長引かせるかはわかりませんが」


「やっ、やめろおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 警察官は屈強な男達にAを引き渡した。

 引き摺られながらAは泣き叫ぶ。


「いやだあああああああ頼むうううううううううう!!! 俺はまだ死にたくないいいいいいいいいいいいい!!!」


「被害者はそんなことも言えませんでしたがね」

 

「だったらいっそ死刑にしてくれええええええええええええええええええええ!!!」


「ダメですよ。貴方は無罪放免になったんですから」


 警察官はにっこりと微笑み、裁判所の扉を閉めた。

 そして歓喜の悲鳴を上げる群衆の中に、Aは消えていった。

 

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