第9話

北川は夢を見た。自分が生まれるより以前に亡くなっていた祖父と、自転車に乗って遊んでいた。北川は小学校一年生ぐらいで、祖父の姿ははっきり見えない。夢で伸一は自転車に乗るのが上手だなと褒められていた。北川は祖父の顔をほとんど知らない。写真で見たことがあるだけだ。もちろん、話したこともなければ、声も知らない。だが、夢の中では祖父だと確信があった。

 ピピピ、ピピピ

 機械的なスマホのアラームで目覚めた。何故、祖父の夢を見たんだろう?そう思いながらも身支度を始めた。歯を磨き、顔を洗い、自分でコーヒーを淹れた。

(何だったんだ、あの夢は。会ったこともない祖父が出てくるなんて。不思議な夢だな。今の仕事が済んだら墓参りにでも行こうかな)

 北川には祖父が会いに来てくれ、と言っている気がした。午前七時にはSPの装備も身に着けホテルのロビーで久米と話をしていた。

「長かった選挙戦も今日までだな。何事も起こらないようにお互い、全力で頑張ろう」

 久米は疲労感の出た顔で頷いた。直接の大臣警護と前日入りでの下調べで、久米の疲れもピークなんだと北川は察した。今回の選挙戦の山崎大臣の行脚は、久米が地元警察との打ち合わせも綿密に行ってくれたお陰でスムーズに出来た。西係長にも報告しないとな、と北川は考えた。

「西係長はお見えになってるのか?」

北川が久米の疲れた顔を見ながら聞くと、今は田中候補と大臣と話をしている、との事だった。数分後に西係長が来て、昨日の若者の、内ポケットに手を入れてハンカチで手の汗を拭った件を愉快そうに話した。北川は西の緊張感がある中でも愉快そうに話をしてくれるところを評価している。確かに現場の者は危険を感じ、装備している銃のグリップまで手が伸びたが、何事もなく、後になって笑い話に出来るのは、いつも緊張感を持って仕事をしている北川には癒しにさえ感じた。

「北川さん、久米さん、今日も安全に大臣の警護をよろしく頼みます」

 二人は敬礼で返した。


「田中候補をどうぞよろしくお願いいたします、田中候補をよろしくお願いいたします。山崎勇作が太鼓判を押します。今回はこの田中候補を男にしてやってください」

 午前中から歩き回り、挨拶、握手をし、頭を下げ有権者の目を見て話をする山崎大臣の前後を北川、久米は顔色一つ変えずに守り続けた。仕事の時はSPはいつでも緊張感を持った顔で表情も変えず、疲れも出さずにお守りしろ、と幾度となく教わって来た事を実践している。六月末の湿度と梅雨の晴れ間で、動かなくても汗が出てくる。それでも涼しい顔で警護をするのだ。何時間も歩き、田中候補と山崎大臣の声もかすれてきた午後三時。講演会場には続々と人が集まり始めた、と無線連絡を受けた。会場では聴衆の手荷物検査も実施するように、久米から指示を受けた地元警官が、全員の手荷物チェックを済ませた後に、会場に入れていくそうだ。

 午後四時前に田中候補と山崎大臣一行は、会場に到着した。地元の後援会も後ろをついて、同時に会場に入り、空き地には四百人近い人が集まった。大臣は一旦、休憩を取って会場裏のテントで座っている。北川は加奈の姿を探した。加奈は打ち合わせと視察後に来ているので、スーツ姿だと予想した北川の読みは当たった。聴衆の前列から五番目当たりの真ん中、演説を聞くには絶好のポイントに加奈は居た。もっとも、加奈は演説を聞く為ではなく、北川の仕事を見に来ていたのだ。加奈と目が合った。向こうも気がついている。授業参観で、母親に見られて恥ずかしい子供のように北川は照れた。それでも、頷きかけると加奈も頷いた。

 田中候補の後援会長が呼び寄せた、地元では有名らしい、テレビアナウンサーのような容姿をした女性司会者が田中候補を紹介した。盛大な拍手と歓声が上がる。田中候補の略歴を紹介した。次は山崎大臣が壇上に上がる番だ。北川たちSPは周囲に目を光らせ、大臣の右前方に北川、左後方に久米の順で登壇したその時

『---ボンッ---』

 車のタイヤが破裂したような音がした気がして

『シューーー』

 辺りは真っ白い煙幕に包まれた。タイヤの破裂音だと北川は思ったが、大きな間違いだった。大臣を守る為の、薄い手提げかばんを即座に広げ、振り返った。大臣の左後方の久米も同じ動きでかばんを広げ、盾にしたのは煙幕の中で確認出来た。

 北川は自分の目を疑った。久米が自分で広げた盾の下で、大臣に銃口を向け何かを叫んでいる。

「大臣---」

 そう叫びながら久米と対峙していた大臣の間に北川が入った瞬間

『パンッパンッパンッ』

 北川は自らの命を投げうっても良いと、警護対象者を護り、自分を盾にして山崎大臣を護った。

「く...め...」

 北川は倒れこみ、朦朧とした意識の中、くめーーーーーーと叫びながら久米の足首を掴んだ。

『ゴフッ』

 久米に幾度となく蹴られながらも、北川は久米の足首を離さない。

 辺りは煙幕と、恐怖の悲鳴、怒声が入り交じり、戸惑う人、頭を抱えてしゃがむ人、呆然とする人、逃げる人が入り交じったカオスになった。

「大臣、大臣、こちらへ」

 西係長、後輩SPの伊藤が瞬時に大臣を誘導してくれた。

 北川は左肩、腹部を撃たれ銃弾は貫通、もう一発は外れていた。北川は腹部と口から流血していた。

(何故、久米が大臣を撃とうとしたのだ?)

 痛みで苦悶の表情を浮かべながらも、北川の頭の中で疑問が渦巻いた。

本来、SPは発砲されても応戦はしない。要人の警護が最優先事項だ、との規則を北川は破った。久米を逃がしてはならない、絶対にこの手を離すものか、と強い意志で足首を離さなかった。

 煙幕が少しずつ晴れて、辺りの状況が分かりかけた頃、加奈は倒れながらも誰かの足を掴んでいる北川を発見した。

「キャーーきたがわくーーん」

 北川の姿を見た加奈は駆け寄ろうとしたが、警察官に止められた。

「なんで、なんで......あの人、私の知り合いなの、通して......」

 加奈はショックでその場に座り込んだ。演説台の北川、久米は地元警官とSPに囲まれていた。久米は諦めたのか、逃げるそぶりも見せず、ただ立ちつくしていた。北川はまだ久米の足首を掴んで離さない。警官が無線で被害者は流血、救急を要請と無線で伝えた。同時に、被疑者確保、被疑者確保と伝えた。

 北川は朦朧とした意識の中で、祖父の姿が朧げに浮かんでいた。伸一に会いたいと言っている気もする、こっちへ来るなと怒っている気もした。

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