第8話
衆議院補欠選挙での二週間のスケジュールで神奈川、青森、滋賀、愛媛、島根の各県で応援演説をする、山崎国土交通大臣の残り日程も残すは島根県のみとなった。警視庁警備部警護課の北川も含めたSP達も疲れがピークに達していた。毎日がホテルでの宿泊、外食やコンビニ弁当での食事、気が抜けない警護もあと数日で解放される。ゴールが見えてきただけに、ここで油断が出ない為にも、気を引き締めて警護に取り掛かる必要がある。警護課の最終日程の土曜日には西係長も駆け付けてくれる予定だ。土曜日は選挙活動最終日で、候補者も大臣も熱の入りが違った。泣いても笑っても今日を含めてあと三日を守り抜くと決意を固めた。
北川は、水曜日から島根県に入って、警護の打ち合わせと下調べをしている久米と、木曜日に合流し、SPと地元警察との打ち合わせをしていた。
「今回の候補者と山崎大臣の演説箇所は以下の通りで予定されています」
大臣秘書と久米の説明では、金曜日に主要駅前、商店街等の人通りの多い箇所で車の上からの演説が主で、土曜日の最終日は地元後援会が用意してくれた空き地と、駅前の路上での演説の予定だ。土曜日は選挙戦最終日だけに大臣はとにかく動き、握手をし、有権者の目を見て話をするだろう。大臣の動きと、周囲の人々の動きに注意して護らなければならない。今回も久米が事前に調べてくれているので、商店街の人の流れと駅前の人の流れだけが未知数だった。幸いにも金曜、土曜の天気は快晴だった。やはり雨の日で、傘が視界が妨げるよりも、段違いに晴天は警護がし易い。合羽を着た聴衆は中に何を隠しているかも判別できないので、日光が照りつけて、暑さで体力を奪われても、晴天はありがたい。
「我が党の期待の新人、田中君をよろしくお願いします」
山崎大臣の声が拡声器で増大された金曜午後の駅前は、お祭りのような熱気になった。現役の山崎国土交通大臣の応援、明日までの選挙戦と言う事もあって、テレビ各局も中継にきていた。北川はいつも思うのだが何故、日本人は候補者のマニフェストよりも、現役の大臣と言う看板に、人が集まるのだろうと思う。人が多くなるのは仕方のないことだが、多ければ多いほど危険が増える。北川は何事もなく無事に済んで欲しいと願った。北川と久米と他のSP達はピリピリしていた。大臣が候補者と一緒に、並んで駅前を歩くと言い出した。北川たちも必死ならば、大臣も、候補者も必死なのだ。北川たちは腹を括った。どんな人間でも、不審物でも見落とさないように周囲に気を配り、握手を求める有権者の顔、仕草、荷物も全て各々が見られる限り見た。その時、大臣に握手を求めた若者が上着の内ポケットに手を入れた瞬間、大臣の背後にいる久米の動きが止まり------
ハンカチで手の汗を拭ってから握手をしただけだった。北川も久米も、自分の肩に掛けられたホルスターに装備している、三二口径小型オートマチック拳銃のグリップを握っていた。
「ハンカチを出そうとした若者には焦ったな」
北川がホテルに戻り久米と弁当を食べながら話しかけた。
「あの時は俺も焦ったぜ、拳銃を出す直前だったよ。拳銃を出したら事態の収拾がつかなかったよな。テレビ局も来てただけに拳銃を出した姿なんか映って見ろよ」
「ほんとだ。拳銃出したら俺たち全国の有名人になってたな。テレビでは先走り過ぎたSPとか言われてさ」
北川は本当に、ハンカチで良かったと心から思った。テレビに映るよりも、大臣がナイフを出されて刺されでもしていたら、と思うと思い出しただけでヒヤッとした。
「明日は田中候補の後援会主催で空き地での講演だろ。どんな場所なんだ?」
久米はプリントを北川に見せた。演説台は簡易な鉄パイプと鉄板の、ワンボックスタイプの車の屋根ほどの広さ。屋根などもなく、見晴らしの良い場所だった。久米は前々日の木曜日に、くまなく現場をチェックしている。田中候補と山崎大臣は二時間ほど徒歩で近隣を巡り、そのまま現場入りする予定だ。最終日の時間ギリギリまで、田中候補と大臣は動き回ってアピールするであろう事が予想できる。不測の動きにも対応するように全SPは気が抜けない。
北川は自室に戻り加奈に電話をかけた。明日は加奈も仕事の視察と打ち合わせをかねて島根県I市に居ると聞かされていた。
「もしもし、お疲れ。I市に着いてるのか?」
「I市に居るよ。思ってたより都会だね。もっと何もないところかと思ってたんだ」
「それって島根県民に失礼じゃないか」
二人は笑った。明日の田中候補と山崎大臣の演説は、午後四時ごろからの予定だと加奈に説明した。場所は加奈の視察に行く会社の近くだった。
「やったね。北川君の仕事ぶりを近くで見られるね。私も午後三時には会社を出られると思うから、同僚には先に帰ってもらう。私は親戚の家にでも寄っていく事にしとくね。SPの仕事を見る事ってないから楽しみだな」
「おいおい、普通はSPの仕事なんか見ないだろ。見るのは大臣とか候補者だろ」
また二人は笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます