第7話

六月半ばになり、紫外線が容赦なく降り注ぐ炎天下の日曜日、北川は久米と共に、山崎大臣の横で目を光らせていた。一昨日から始まった衆議院補欠選挙の、応援演説の警護だ。神奈川、青森、滋賀、愛媛、島根を2週間で行脚する。山崎大臣は一昨日の初日の夜に

「仏教の修行や布教をおこなうため、に僧侶たちは徒歩で各地をめぐった。この修行僧を行脚僧(あんぎゃそう)と呼んだんだよ。私も党の方針を全国に広めたくて、こうやって全国を修行僧のように行脚するのは、私の使命なんだよ」

 直接、北川と久米に話した。もっとも、久米は何度も聞かされた話だが北川は、大臣が修行僧と同列に考えていることに驚きと好感を持った。久米は今夜、次の応援演説の為、先に青森に行く。神奈川県はでは久米が、演説する駅前、ショッピングモールなどを、くまなく調べてくれたおかげで、不審物はなかった。一度、不審者とも言えない酔っ払いが大声で叫んでいたぐらいだった。次の青森は、駅前は他と変わらないが、農村での演説もあるそうだ。リンゴを入れるコンテナに候補者と一緒に乗り、演説をし、有権者と握手して話を聞く流れだ。北川はやはり、有権者と顔を合わせ、握手する時が怖いな、と思う。山崎大臣は握手するのも、有権者の話を聞くのも政治家の仕事だと言うので従うほかない。選挙のたびに警護課でも議題に上がる案件なのだが、いつまでも結論が出ない。

「北川君、今夜はゆっくり休んでくれ。ありがとう」

 大臣と第一秘書に言われ、ホテルへ戻った北川はクタクタだった。警護課から何人ものSPが警護に来ているが、こちらの動きなど考えずに大臣は動く。突然向きを変えるのも当たり前だ。SPは不審者が居ないかを見定めるのと並行して、大臣の動きも把握していないといけない。明日は移動日で、午前十時の新幹線で青森に行く。逆算すると明日の朝は六時半までには用意していないとダメだ。二十二時にホテルに戻って報告書を上げ、明日の準備をしてシャワーを浴びて寝る事になるだろう。この生活が二週間も続くのは正直疲れる。人員を増やすか、日本がもっと平和な国になったらなと思いながら明日の準備を急いだ。

 青森行の新幹線は快適だった。警護は無事に乗り込みさえすれば、他の乗客に気を遣うところはあるが、列車内の安全が確認されれば時速三百キロで走行する新幹線では、追いつく乗り物も飛行機、ヘリコプター以外はない。外から狙うにしても時速三百キロを狙って何かをするのもほぼ不可能だ。ミサイルで狙撃等も日本では可能性は限りなくゼロに近い。線路内に不審者や異物があれば要人が乗っている、乗っていないに関わらず緊急事態になる。新幹線が走りだし、十分も経てば車内の緊張感は消える。それから北川は車窓を眺め、日本の田園を流れるような速さで見送った。

 新青森駅に降り立つと久米と他の警護も待機していた。降りる時はいつでも緊張感が走る。SP、地元警官、駅員の後ろは黒山の人だかりだ。本州最北の地へようこそと書かれた横断幕も見える。移動と、明日、明後日の配置の打ち合わせを大臣秘書、地元警察とホテルで済ませた。

「久米、お疲れ。明日、明後日の公演場所はどうだ?明日の農村は厳しそうか?」

「駅前は人だかりになりそうだな。農村は歩いて回る予定だから一人一人のチェックで大丈夫だろう。それより農協での演説が心配だな」

 久米の話では農協では演説台の代わりに作物を入れるコンテナと、木のパレットを積んで演説すると言っていた。農協の周辺チェックは良いが、農協だけに倉庫が農作物で山積みなのだった。全てをひっくり返して爆発物等がないかチェックするのに数時間、演説台の設置も終始見守るのに一時間と仕事量は多くなる。多くの人が集まることも予想された。

「今回は前日入りしてくれてる久米の仕事が役に立ってるよ。ありがとう。神奈川も警護配置が判りやすかった。大臣も喜んでたよ」

「そうか、大臣も選挙の警護の大変さをもう少し理解してくれると良いんだがな」

 明日も早いので北川はホテルの自室に戻り、明日の用意とシャワーを済ませた。明日は候補者と大臣が歩いて農村を回るのだ。警護するのは体力勝負なので今夜はコンビニ弁当を食べて就寝した。

「山崎大臣、日本に新しい道路はもう要らないだろ」

 農村を候補者と一緒に回っている時に、怒声が響いた。山崎が国土交通大臣になってから、日本各地で新しい道路計画が立てられた。これに賛同する者、否定する者ももちろんある。青森は本州最北端だ。ここまで道路を伸ばして観光客が来るのか、物流は動くのか等の議論は何十回とされてきた。税金の無駄遣いだ、ゼネコンとの癒着だとこれも幾度となく言われてきた。北川は中立的な考えで双方に言い分、利点、欠点があるのは承知している。大臣の警護の時は何度も聞く言葉でもある。

「ゼネコンに金貰ってるんだろ」

 また怒声が飛んだところで、地元の制服警官が静止した。何事もなかったかのように候補者と大臣は歩を進め、握手を繰り返す。昼前までに、あと二か所の農村を回り、軽い昼食を挟んで農協での演説だ。久米は農協で不審物、不審者が居ないか警護に当たっていた。

「北川、お疲れ。農村周りは大声を出した奴以外は何事もなかったそうだな。こっちは農協側も準備していてくれたんで楽は出来たよ」

「大臣の歩くペースが速くて、ほんとダフだな。俺なんて歩くのと警護でクタクタだよ。クタクタって言ったのはナイショでな」

 農協前の広場には、簡易なステージが組まれていた。周りには効率的に地元警官が人員配置され、北川は感心した。まだ選挙期間ではないので、今回の集まりは決起集会と位置付けられる。候補の支援者、党の支援者、話を聞きに来ただけの者等、多種多様だ。それでもこの田舎町で五百人近くを集めているのだ。大臣も力が入るはずだと思った。

無事に演説を済ませ、次の演説場所への移動が始まった。ここからは北川は、久米と共に行動した。二か所を回り、夜にはホテルに戻り、明日の打ち合わせ。今日のような野次を飛ばす連中は毎回、一人は居るので議題にも上がらない。明日は青森の主要な駅での演説だ。車の上からの演説なので、大臣の両隣にSPが配置され、前後左右に目を光らす。北川は大臣の隣での警護に当たる。久米は今回も先に駅前に行き、警備体制を整え、演説が始まるころには、周囲に気を配る。北川は今回の久米とのコンビは良いな、と改めて思った。他のSPも警護には当たってるが、久米が先に動いて準備をしてくれるのは、他のSP達からも好評だった。山崎大臣も久米を指名するのも頷けた。

 明日も青森県内を動き、明後日からは滋賀、愛媛、島根の三県も無事に回れることを北川は祈った。

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