第12話 零時の鐘は天降る

『もう一度……私の前に、姫子の前に来てみろ! その時は……!!』


 そう言ったお父さんの言葉に偽りはなかった。殴り飛ばされてから、俺は一度もヒメの病室に行けていない。何しろ、お父さんが常駐するようになり、ヒメのスマホも取り上げられている状況にまで悪化してしまった。


『あんたが来るのを見張ってるみたいで、あたしでも行くのが厳しいよ』


 これはお見舞いに偵察を兼ねてくれた桐谷からの報告だ。


 垂仁の文化祭が終わり、俺がガラスの駅の確証を得た数日後にヒメは目を開けてくれた。だけど、左足が完全に水晶クラスターに覆われてしまい、体力も大幅に低下させられてしまった。それでも多少は動ける日があるようだが、もう影絵制作なんて出来ないだろう。


 お父さんがいる手前でヒソヒソ話も出来ないため、桐谷はメモ用紙を用いて俺とヒメを繋いでくれている。



 目を開けてくれて……本当に良かった。


 それでも会えないのはつらい、ね。


 ガラスの駅に行って来た。ガラの悪い駅員さんに会って……ヒメなら絶対に乗せてもらえると思うんだ。


 そこに行けば死ねる?


 永劫の無……何も感じることはないって。


 イイね♪ もう二度と目覚めることも生まれることもないなら願ったり叶ったりだもん。正直……カー君や茜がいても。それは変わらないんだ……。私にとって生きることも、この命も無駄なもの。この舞台から下りられるなら喜んでそうするよ。それこそ意識不明のまま死んでも良かったと思ってる。でも……こうして交換日記みたいなことをしていると、カー君にも茜にも何も言えないまま終わっていたら未練になっちゃってたね。


 そこに行ける……隙間はある?


 隙間は……ないかな。新一さんを何とかしないといけないし……変なことしたらカー君逮捕だからね?


 今更だけど、お父さんは仕事してないの……?


 ネットが繋がれば会社に行く必要はないの。前まではそれでも会社に行って仕事してたんだ……。


 どうにかする。待ってて。



 そんなやり取りを桐谷は繋いでくれた。


 ヒメの方はベッドの中とかお父さんが寝た後とかに書いてくれていたみたいだ。それにしても……お父さんはヒメをどうしたいんだろう。死ぬまでに少しでも娘と一緒にいたい、その気持ちで一緒にいるのならわかるけど、スマホを取り上げるなんてやり過ぎだし、桐谷の抱いた印象が正解なら見張っているとも受け取れる。


 そのことを俺は桐谷の家で口にした。


「父親なら……子供の意思を尊重するべきなんじゃないかな」


 命の決断はヒメが決めたことだ。人生の節目――いわゆる大事な場面こそ強制したり口出し(人生の先輩としてアドバイスはするべきだとは思う)したりすることはよくないと思う。しかもヒメは十七歳で小学生じゃない。


「姫子が最初の子供だったらそうしたかもしれないけど……前の奥さんと子供のことが重なるんでしょ。もう亡くしたくないって気持ちは……わかるでしょ? それが……いくら足掻いても避けられないことでも……」


 桐谷は振り返らずにパソコンのモニターとお見合いしている。その画面内に人工知能のローの姿はない。どうしたんだろう。


「ローは? いないの?」


「……死んだよ。この間に起きた停電で、ローのメモリーを保管していた機器がショートしたから……あたしが知ってるローはもういない」


「じゃあ……俺のことも知らないんだ」


「だから起動させてない。近しい人が死ぬのは辛いから……しばらくはいらない」


「……そっか」


「ガラスの駅は……本当に姫子を連れて行くわけ……?」


「恋ケ窪さんの言ったことを信じるなら、ね」


「……その途切り方、あんたが言うとムカつく」


「ああ……ごめん」


 今更なんだけど……。


「問題はヒメをどうやってガラスの駅に連れて行くかだな……」


 一番の障害はお父さんということになる。まぁ……それは当然と言えば当然だろう。自分の娘が、死ぬために見ず知らずの男と一緒にガラスの駅へ向かう……その背中を押すような親はだいぶヤバいとは思う。でも、ヒメの命はもう保たないし、彼女自身が水晶症候群で死ぬことを望んでいない。娘を愛しているなら、どうしてその意思を尊重してあげないんだろう。どう足掻いても死ぬのはヒメなのに……。


「……乗り込むべきかな」


「はい、逮捕。遠藤も言ってたでしょ……あんたがやろうとしていることは高瀬舟と同じだって」


「またそれ……間接的とはいえ、ヒメが死ぬための準備をしてやってることが、だろ? でもさ、淳二も桐谷さんも高瀬舟を例えに出すけど……あれはどうすれば良かった? そこへ至ったのは自分自身の決断なんだから、苦しめばいいって……自分が犯罪者になるから見捨てるのか? 喜助が俺で弟がヒメなら……俺は剃刀を抜くさ! 桐谷だってそうするだろ!?」


「それをさ……新一さんと警察に言うの? 苦しんでいるから、殺してくれと言われたから殺しましたって?」


「言うさ……! 桐谷だって、お父さんだって、今際のヒメに……殺してくれと頼まれたら……罪に問われるかもなんて無視して剃刀を抜くんだよ」


「……じゃあ、罪に問われるのは姫子も同じだ。殺してくれと頼んだ時点で……相手を犯罪者にしたんだから」


「普通ならそうかもしれない。だけど……俺は違うよ。俺も一緒にガラスの駅で死ぬつもりだから」


「…………」


「犯罪者……榊原和也が灰原姫子と一緒に行方不明になりました……以上、終わりだ」


「そうなった時、新一さんはあんたへの憎しみと姫子たちへの罪悪感で死んだまま生きることになる。そもそも……自殺の時点で誰かを泣かせる罪人だよ。それに……」


 桐谷は、グイ、と掴んだモニターの一つを持ってイスを回転させると、モニターを俺に向けて乱暴に放った。そのあまりにも突然なことに、俺は座布団に座ったまま情けない悲鳴をあげてモニターという赤ちゃんを抱きとめた。


「……北波邇夜駅の衛星写真?」


「上から見てもあたしにはただの廃墟にしか見えない。あんたが見た光景が真実だとしても、この人たちには見えなかったみたいだけど」


 モニターに表示されていた光景が変わり、出て来たのは北波邇夜駅の写真を掲載しているブログだ。ブログ主のモーリーさんとやらは波邇夜の歴史を交えつつ写真で現状を伝えている。廃墟マニアみたいだが、社会人らしい落ち着きと知性が光る感じだ。他にもいくつかのブログやら雑誌やらで紹介されたみたいだが、どこにもガラスの駅に関わることは書かれていない。雑誌はともかくブログなら、俺と同じような体験をしたら書けるはずだ。


「誰でもガラスの駅に行けるわけじゃないってことの証明でしょ。あんただけが取り残された時……逮捕されるか新一さんに殺される覚悟はあんの?」


「その覚悟がなかったら……関わってないさ。俺が生きてる意味はヒメだけで充分だし……一緒に逝けないなら自分で終わらせるつもりだから」


 それにしても、どうして俺はガラスの駅に行けたんだろう。霊感なんてないし、遠藤猛氏にも霊感はなさそうだ。ブログとか雑誌の連中に関しては不明だけど、内容を見ると霊感アピールも日常的に不可思議なことも起きていないようだ。


「あたしは協力なんてしないからね。ガラスの駅の調査に関しての協力体制はもう終わり。あたしと……あんたの関係性なんてそれだけなんだから」


 そう言ってモニターを回収した桐谷は、またパソコンとお見合いを始めてしまった。


「じゃあ……今日で解散かな」


 俺は動かない桐谷の背中を見ながら立ち上がり、


「……桐谷さん、色々と思い違いとか……死に対する考え方の違いとかあったとは思う。言葉があってるかどうかわからないけど……それでも、俺はみんなと動き回るのが楽しかったよ。協力してくれてありがとう。それじゃあ……」


 死にたがる幼なじみのために、犯罪者になる覚悟がある。そんなことを言うこと事態が狂っている証拠なのかもしれない。桐谷みたいに諦めるのが普通なんだろう。


「あんたは……水晶症候群で死ぬ姫子が羨ましかったみたいだけど……本当に……生きていたくないの?」


「生きる意志がある人だけが生きればいいんだよ……。この命も人生も望んじゃいないのに、生まれてきて申し訳ない。逃避だ、逃げだ、情けないだ……隙に言ってくれていいさ。桐谷さんは生きたいんだろう? 俺は生きていたくないけど、痛いのも苦しいのも嫌だから……ただ生きていただけ。水晶症候群とかガラスの駅は願ったり叶ったり……まぁ、桐谷さんにはわからなくていいよ。死にたがりの気持ちなんて……さ」


 幸せな家庭と命を蔑まなければいけなかった家庭の違いだろうか。だとしたら、桐谷は俺みたいにならないだろう。それでいい。


 振り返らない桐谷の背中を肩越しに一瞥した俺は、彼女のお母さんが留守であったことに安堵しつつ、桐谷家を後にした。


 その帰り道、俺はコンビニに寄った。


「すいません、プリペイドSIMカードを」


 そう言って買ったのはSIMカード四つ。コンビニを出、ショルダーバッグの中からスマートフォンを取り出した。これは馨に届けてもらった使わないものだ。そのスマートフォンに残りのSIMカードを足してビニールに詰めれば完成だ。


 それを持って俺は小走りで波邇夜駅に向かった。

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