第9話 2

 季節は変わり、夏から秋に入った。 


 ヒメと共同製作中の影絵は順調に完成へ近付き、最後の仕上げを残すのみとなった。


「お疲れ様……明日の日曜日は……お休みにしよっか」


 ヒメからそう言われ、何もすることがない日曜日がやって来た。今年も残暑が厳しくて、九月になっても涼しくならないし、風情を呼ぶはずの秋虫たちの合唱も元気がない感じだ。


 まだ寝ている淳二を一瞥し、時計を確認してみると、まだ五時半だった。起きてくる寮生はいるけど、この時間はまだ一般的じゃない。俺はそっとロフトベッドから出、共用洗面所から自分の歯ブラシを連れて落窪の屋上に出た。


 普段なら寮生たちの洗濯物が山ほど干されている場所だが、今はその広い屋上を独り占め出来る。幸いにも雲が大きいため太陽の恵みはまだ完全には届いていないし、風もあるから今だけは気持ちいい。


 胸元くらいにまでの柵に近付き、波邇夜山を眺める。


 外見的には何の変哲も無い山だが、手入れされていない自然そのものの木々が生い茂る姿は、立ち入りを拒む機嫌の悪い山というイメージを感じる。そういえば、地元の人はほとんどあの山に入らないし、関わりたがらないと聞いたことがある。普通は山の幸とか木の伐採とかすると思うけど、それすらしてないのは馨の調査結果が本当だということの証明になるんだろう。


 目と鼻の先に、探していたガラスの駅はあった。そうなった時、ヒメは何て言うだろう。私をガラスの駅に連れてって、と言うんだろうけど、そうなった時に桐谷はどうするつもりなんだろう。ガラスの駅なんて実在しないことを突き付けてやるはずだったのに、それが実在すると突き付ける結果になってしまったんだから。だからこそ、この間のメールは淳二も怒るほどだったし、桐谷からも許してもらえたとは思うけど、次に会った時、俺は吐きそうになるほど気まずい空気の罰を受けた。


 持って来たスマートフォンをポケットから取り出し、両手で足りる程度の登録者しかいない連絡帳を開いて桐谷の名前をタッチし――止めた。俺はガラスの駅を福音と呼ぶ派だ。そんな奴からの言葉はもう届かないだろう。


 届いていることに気付かなかった他のメールをチェックする。大手通販サイトからのオススメ商品、五億円が当たったことを告げる面白みのない迷惑メール、寮住まいじゃない友人からのお誘いメール……は返信しないと駄目なやつだ。だけど、


『最近の和也……付き合い悪いけど彼女でも出来た?』


 そんなことを友人の一人から言われた。まぁ……それも無理ないだろう。夏休みはヒメの病室に通っていたし、それがなかった日には自分の部屋で黙々と影絵の修業をしていた。気付けば鐘早も落窪も置いてけぼり――いや、置いてけぼりにされているのは俺の方かもしれない。いずれ遊びにも誘われなくなるだろうけど仕方ない。ヒメとガラスの駅の方が大事なんだから。


 六時を過ぎてから落窪も騒がしくなり、洗濯物を持った寮生たちの姿も出て来たため寮内に戻った。だけど、ここでやることはないから散歩でもしようかと思って、朝食の後は外に出た。


 そうして気付いた時には波邇夜駅にいて、日曜日を楽しんでいる笑顔の人波の中を泳いで電車に飛び乗った。今の俺にはゲームセンターもカラオケも買い物もモノクロに見える。休みだと言われたのに向かってしまった階瞬病院だけが色を宿しているようにすら見えてしまったのだから、なかなかに重症だとは思う。


 相変わらず年寄りが莫迦を言っている受付を抜け、ヒメがいる806号室へ向かう。日曜日だと俺と同じお見舞いの人が多く、いつもより少しだけ明るい感じになる。そんな廊下を進んで引き戸にノックしようとした時――。


「もう……この莫迦!!」


 その声と一緒に引き戸が殴られたように開かれ、俺の胸に桐谷が突っ込んで来た。こっちを見ていなかったからこそ繰り出された体当たりは強かったが、どうにか耐えてみせた。


「あれ、カー君……?」


「ちっ……! 退いてよ!」


 ドォン、と俺の肩を叩いた桐谷は横を抜けて早足のままどこかへ行ってしまった。残されたのは開かれたままの引き戸とヒメと俺だけだ。


「カー君、今日……休みにしようって言わなかったっけ……?」


「ここに来ないと灰色な感じでさ……」


「そっか。それじゃあ……今日はおしゃべりする?」


「いや、それよりも桐谷は……」


「ねぇ、カー君……ガラスの駅って見つかったんだ?」


「えっ?」


「……隠してるんでしょ? わかるよ……茜の態度で」


「桐谷は……何て?」


「ガラスの駅が実在していたら……本当に行くつもりかって」


「今更……それじゃあわかるよな……」


「でも……それ以前にメールの頻度が減ったことで気付いたよ。喜怒哀楽がハッキリしてるから……腹芸は苦手だよね」


「そこが魅力なのかね……って、それよりも桐谷のことは?」


「莫迦って言われちゃったし……どうしようかな」


「追いかける?」


「逆に……これが私と茜の別れでもいいんじゃないかな」


「えぇ……? 幼なじみとあんな別れ方は嫌でしょ……」


「でもほら……別れは約束されてるんだから……」


「それでもあの別れ方はないと思うよ。待ってて……」


 そう言って俺は引き戸を閉め、まだ病院内にいるはずの桐谷を捜す旅に出た。


 入り浸っていたから病院の中身は熟知している。さすがに病院側専用の道は知らないが、人通りが少ない場所は知っている。怒るか泣いてるなら場所は六階の非常階段側にあるちょっとしたベランダみたいな所がある。喫煙所なのかもしれないけど、そこに人はまずいない。


 日曜日でもほとんど人が行き交わない階段を駆け下り、六階を告げる表記の横にあるガラス扉に近付き――微かに聞こえた嗚咽のような声が聞こえた。確かめる必要はないから、俺はガラス扉を背中で押した。


「桐谷……さん?」


 そう呼びかけると、ガサガサ音がした直後に、


「……付いて来んなよ……!」


「でもほら、放っておけない……じゃん?」


「放っておけよ……莫迦……」


 姿を見せてはくれないけど、やり取りは出来るようになった。


「ヒメと喧嘩したみたいだけど……ガラスの駅?」


「そうに決まってんでしょ……あんたは嬉しいみたいだけど?」


「言い方がキツいなぁ……」


 勘違いされたままじゃ辛いから、ハッキリ言っておかないといけない。


「桐谷さんさ……俺は別に人が死ぬのが嬉しいってわけじゃないよ? 自分が死ぬのは嬉しいけど、生きたいと願ってる人とか生きるべき人は死んでほしくないし、仲良くしていた人が死んだら泣くよ」


 淳二が死んだら悲しいし、そこまで深く知らない桐谷が死んだって悲しいと思う。知っている人、知らない人という違いはあると思うが、人が死ぬことに何も思わない奴とは関わりたくない。


「じゃあ……何で姫子の背中を押すわけ」


「それがヒメの望みだから。頼まれたこと、望んでいることなら……やってあげたいって思うっしょ? その人が好きなら……力になりたいって……」


「……それが犯罪でも?」


「それは暴論だよ……。そこに至らない限りで……かな」


「……自殺に手を貸すのも犯罪だよ」


「そうなんだろうけど……ヒメの件はそれでも俺は関わるし、背中を押したい」


 ガラスの駅で死ぬ。それがヒメにとっての幸せなんだから。


「……桐谷さんは背中を押したくないんだろうけど……押す、押さないに関わらずヒメは死ぬんだよ……」


「…………」


「俺だってヒメが死ぬのは悲しいよ……避けられるなら避けたいけど、それが出来ないなら……最期の願いを叶えてあげたい」


「…………」


 返事はない。俺への認識を改めてくれたかどうかはわからないけど、


「それじゃあ……行くね」


 返事を待たずに俺はヒメの病室に戻った。


「お帰り」


「……ただいま」


 ベッドで上半身を起こしたままのヒメ。桐谷のことを気にしているような素振りはない。それに関して色々と口に出してしまいそうになったけど、あの一件があったから何も言わなかった。ヒメと桐谷は幼なじみだ。俺がどうこう言う筋合いはないし、二人で解決出来るはずだ。


「ガラスの駅のことは……最後の確定が残ってるから、まだ……秘密な」


 ヒメの口癖で返しておいた。


「秘密……か。じゃあ……種明かしされる時を楽しみにしてる、ね」


 そう言ったヒメは、種明かしの鍵を握る影絵を見つめながらクスクスと笑った。


「それじゃあ……今日はおしゃべりしていく?」


「いや、桐谷のことがあるし……」


「大丈夫。私と茜のことだから、カー君が気にすることじゃないよ」


 カマン、カマン、とヒメからの誘いを受けて、俺はまた病室に入り浸った。


 さっきまで浮かんでいた翳りを振り払うように、俺との話にややオーバーな返しを続けるヒメ。


 そんな会話を続けてその日は終わったけど、この時の俺はまだ考えていなかった。覚悟はしていても予期は出来ないし、そんな無情を神様が起こすなんて思ってもいなかった。

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