第9話 水晶未来

 ガラスの駅は波邇夜山にある北波邇夜駅の可能性が高い。


 その調査結果はヒメを除いた全員が共有することになった。俺の軽薄メールの一件で、桐谷との関係が危うく消滅しかけたが、心からの土下座と誠意ある謝罪で許してもらえた、と思う。


 軽薄な口と言動は災いの根源である。それを十七歳になってもう一度心に刻んだ俺は、自分が関わっていることについて改めて意識を変えた。俺とヒメが抱えている死生観はきっと世間という集合的意識の中じゃ受け入れられない。そして、俺やヒメのことを想ってくれている人たちに対して冷た過ぎる選択であるということも。


 そう意識したからか、荷物をまとめて波邇夜山へ突貫という衝動は抑えられた。


「王子様は出来た……?」


 カミソリで慎重に切り取った王子様。


「間違えて切った……ところはセロハン……使えば大丈夫だよ」


 素人の手に委ねられてしまった王子様は至る所に修復の翳りがある。ライトテーブルに照らしてみたが、修正の所為で全体が少しだけ歪だ。


「満月も足そうかな……それとも水晶のクラスターを増やすべきかな……」


 下絵に無かったものが追加されることも当たり前になってきた。シンデレラのポーズを変更とか、モチーフの変更、完成した部分を一から全てやり直すとかもあって、センスの違いで何度かヒメと喧嘩することもあった。


「えっ? ここを全部変更するの?!」


「妥協……しません。私たちが作りましたって胸を張れる作品じゃないと作る意味はないもの……」


 その姿勢に圧倒されることも感心することも反発することもあったが、夏休みの力を大いに借りて、影絵は順調に完成へ近付いていた。


 全体図の検証や方針会議でお見舞い時間をオーバーすることもあった。


「今度は下絵を写したトレペ……ライトテーブルに固定して……」


 ライトテーブルの上にトレーシングペーパーを固定する木枠を設置し、王子様、シンデレラ、水晶化した部分、零時を示す大時計や背景などバラバラに製作していたパーツを下絵に合わせて貼付けていく。二メートルの紙を全て照らしてくれるライトテーブルなんて手に入らないから、上から役者たちを貼付けつつ、木枠もずらして下絵そのものもずらしていく。絵巻を作っている気分。


「いいね……カー君はプラモデルを作ってるからかな? 呑み込みが早くて助かるよ……」


 個室だからこそ許される魔窟の中で、ヒメは白い壁に固定されたシンデレラの影絵を満足げに見上げると、そのままベッドに倒れ込んでしまった。卒倒したように見えてしまい、飛び上がった俺は彼女に駆け寄った。


「あはは……駄目だね……体力がどんどんなくなってること……実感出来ちゃうね」


 ヒメの水晶症候群は緩やかになることなく、確実に進行している。まだ両足が無事なことが奇跡に等しい状況で、腕のクラスターは肩にまで侵蝕し、うなじにも微かな水晶化の兆しが出ている。


「完成前に……死んだら……それは未練だなぁ……」


「大丈夫……もうすぐ完成だし、水晶化だって二日三日で全身ってわけじゃないんだから」


 死にたくない患者と死なせたくない側にとっては時限爆弾。死なせてほしい患者と死んでほしい側にとっては福音になる。俺にとってヒメの現状は時限爆弾だ。ここで死んでしまったら、今日までしてきたことが全て砕けてしまう。波邇夜山に行ってみよう、そう言ってヒメを病室から連れ出さないようにすることもまたストレスでもあった。桐谷との一件がなければどうなっていたことか……。


 そんな毎日の中で、知り合った氷上家から連絡があった。


 その後、元気かい? などというやり取りの中で、誠から聞かされた一件に驚かされた。その一件とは、誠と馨が垂仁の文化祭に参加してくれるというものだ。


『榊原さんがモニターを見ている間、淳二さんに教えていただいたんです。どうしてガラスの駅を求めているのか、というお話を』


 言われてみればあの時、淳二のことはほとんど目に入っていなかった。そんなことを話していたとは……。


『水晶症候群の人たちが垂仁市に入院しているのは知っていましたが、その人たちが主役の文化祭があるなんて知りませんでした。そのことをおじいちゃんと話していて……展示するのなら少しでも誰かのためになる場所の方が良いって言ってくれたんです』


 そこで誠と馨は、俺や他の某さんからもらったプラモデル以外にも、水晶症候群をモチーフにした双子の合作を展示することにしたと教えてくれた。そのことを淳二経由で恵君に伝えると、彼は弱々しいながらも喜んでくれた。ただ……、


『カー……恵の症状なんだが……正直に言えば文化祭まで保つかどうかはわからない』


 その一報が淳二から届いた。この時、淳二は実家に帰省しており、垂仁市にまで行っていたようだ。


「いや……大丈夫のはず」


『その根拠は……?』


「恵君が生きたいと願ってるなら……神様はその前に殺すようなことはしないはず……」


『神様……か』


「じゃあどうして水晶症候群にしたんだ……そうなるけど……きっと見えない何かの意味があるんだと思う」


 無責任か願望か、或はオカルトに漬かった世迷い言かはわからないけど、ヒメを見ていると不思議とそんな感じがした。まるで水晶症候群そのものに意識があって、本人の精神状況とかに反応しているじゃないかと思ったこともあるからだ。


『そうか……なら、楽しみにしていた文化祭まで恵の意思が保つことを祈るしかないな……』


 そんなやり取りもあり、俺は何としてでも影絵を完成させるため、全ての意識を影絵制作に集中させた。同じ階の人に顔と名前を覚えられるほど通い、ヒメと交流がある数少ない優しい看護師さんたちからも完成を楽しみにされた。でも……影絵の完成はヒメの人生が終わることと同義だ。桐谷は明らかに口数が減り、この影絵を見に来ることはほとんどなかったし、淳二も出来映えを想像して称賛はしてくれたけど、その時の表情は判読出来なかった。それもそうだろう……淳二と桐谷にとってこの影絵は時限爆弾だ。桐谷に至っては破り捨てたい衝動もあるだろう。


「完成したら……一緒に写真……撮ろうね」


「ああ、約束だ」


「そしたら……私をガラスの駅に連れて行ってね……」


 日に日に衰弱していくヒメを見るのは辛かった。夏休みが終わりに近付き、夏の終わりが鳴き始めた頃には、ヒメはもう一日をベッドで過ごすことが多くなった。加えて左足に水晶化の兆しが出た。小指から始まり、ふくらはぎの外側にまで水晶クラスターが出来てしまった。いずれ満足に歩けなくなることが約束されたわけだ。


「車椅子かぁ……」


「足の水晶が砕けたら歩けなんだ」


「その場合は……カー君がずっと抱っこしてくれても……いいんだ、よ?」


「名案みたいな無茶言うな。俺の立ち位置がいつの間にか友達から召使いに降格だ」


「ふふ、確かにそれは嫌だね」


 とはいえ、そうしてあげたいと思うのなら話は別だ。「ん〜」と甘えたような声と一緒に両腕を広げた(不思議なもので、水晶化した部分も少しは動かせるらしい。神経とかは無いはずなのに……)ヒメに近付き、その身体をお姫様抱っこした。


「ん〜ん……良い感じ……」


 嬉しそうなヒメを連れて、借りてきたホワイトボードと白い壁に貼付けた影絵に近付いた。ヒメは出来映えの詳細と切り抜きミスとかを探して視線を動かす。その視線は真剣そのものというか匠な感じがする。


「うん……良い感じだよ。最後の仕上げまで……もう少し」


「それは良かった。手を傷だらけにした甲斐があるってもんだ」


「ふふ……もうすぐ完成だから……がんばって、ね」


 ヒメはそう言って俺の手に唇を付けた。予期しなかった行為に手が思わず衝撃を口にしたが、ヒメを落とさずに済んだ。そのまま動じないフリをして彼女をベッドに戻す。すると、


「そういえば、さ……カー君……覚えてる……?」


「何を?」


「あの頃……私……転んで怪我した時も……カー君は抱っこしてくれたよ、ね」


「うん、そんなこともあったね。あの頃からヒメは軽いなぁ」


「ダイエットする必要がなくて……ラッキーだね」


「今は逆に肉を付けないと不健康だよ」


「まな板は……嫌?」


「まな板って……」


 それに関してはノーコメントを貫いた。好みは千差万別でしょうに。


「まぁ……それはともかく、あの時のカー君……格好良かった、よ? 明確に……カー君を意識したのは……あの時かなぁ……」


「プロポーズはどうした、プロポーズは……」


「あれは……プロポーズみたいだね、って言っただけだよー……♪」


「おいおい……」


 いたずらっ子のようにクスクスと笑うヒメ。あの時は、泣いてばかりいて笑顔なんてなかったから、俺のプロポーズに笑ってくれた時はずいぶんと面食らったものだ。


「完成までがんばって生きるから……カー君、完成した時にはまた……プロポーズして、ね?」


 一度目は『守ってあげる』。二度目は『ガラスの駅があるなら……俺も一緒に行きたい』という心中の約束。三度目は……確かお父さんが来たんだ。


「うん……約束、だな」


 そう約束すると、ヒメは水晶の、ガラスの手で俺の頬に触れた。体温を、感触を確かめるような慎重な触り方。堪らず俺もそのガラスの手に触れた。当然、ヒメの温もりは感じられないけど……見つめ合うには形だけでも充分だった。

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