第8話 プラモ・シンフォニー

 電話して来たのは、変声機で声を変えた誰かだ。


『約束通りに電話に出たな。お前が榊原和也か、あのプラモを作った』


「そうだ。あんたは?」


『こっちのことはいい。電話に出たということは、私と話すことを承諾した、と解していいんだな?』


「そっちこそ、ガラスの駅について教えてくれるんだろうな?」


『約束は守る。まず、お前はプラモ好きか?』


「三度の飯と比べたら……三度の飯……」


『なにっ?! そこはプラモと言うべきだろうが……まぁいい、本題に入ろう。草結放送部とやらの活動日誌に載ったプラモ……あれは見事だ。ちらりと見て、お前のセンスの良さに感服した』


「……それはどうも」


『実はな、私の知っているホビー店でちょっとしたプラモの展覧会をする。それに協力してくれる人を捜している』


「……あのプラモを展示すればいいわけだ?」


『そういうことだ。そうすれば……ガラスの駅と関わっているであろう都市伝説の詳細な情報を教えてやる』


「あんた……どうして俺がガラスの駅を探していることを?」


『部員じゃないから活動日誌を読んでいないようだな? 打ち合わせを無視してガラスの駅を尋ねていれば……それが欲しいことくらいわかるぞ』


「ああ……そういうことか……」


『どうする? お前がただプラモを展示します、と言えば万事うまくいくことだ』


「輸送すればいいのか?」


『いや、こちらが指定する場所に持って来てくれ。お茶くらいは出す』


「何だよ……それは……」


『他にも作ったのがあるなら……見せてくれるとうれしい』


「はぁ……?」


 そんなやり取りの後、俺はボディガードの淳二を連れて、指定された七月三十一日に波邇夜市を出て、神奈川県の藤沢市にまで来た。江の島を臨む海と空の心地良さときたら最高だけど、それを満喫する時間的余裕はない。


 江の島や海の幸に別れを告げて、ガタンゴトン、と町中を行く江の電と一緒に路地裏のような道を進む。風で揺れる洗濯物、ゴチャゴチャと伸びる電柱と伝線、物語みたいな静謐さと穏やかな雰囲気……波邇夜とは大違いだ。


「指定された住所はこの辺だな。え〜っと……そこの角を曲がった先にある建物か?」


 ナビゲーターの誘導を受けた俺は斥候として角を曲がり、小さな看板を掲げるプラモデルのお店と出会した。


「ここ?」


「店名がプラモデルの『スガイ』ならそうだ」


 件の看板には大手のプラモ会社のロゴマークがあるだけで、店名は見当たらない。それでもプラモデルの店はここしかないなら、ここがスガイなんだろう。小さいうえに少し曇っているショーウインドーの中には、最近のプラモデルが飾られている。草臥れた外壁にはスプレーの小さな落書き、手当たり次第に貼られたプラモ会社のロゴシール、いつかの選挙ポスターが貼られたままになっている。ある意味で穴場的な感じの店なんだろうか。


 スマートフォンで店のレビューを調べている淳二を背中にし、俺はプラモデルのチラシが貼り巡らされたガラス扉を開けた。


「……やぁ、いらっしゃいませ」


 ガラス扉の先に広がっていた店内は、良い意味での魔窟だった。床から天井までプラモデルの箱が積み上げられ、プラモ製作に欠かせない工具が山ほど並び、塗装道具もプラモデル雑誌も山ほど置いてある。ちなみに声は奥から聞こえて来た。


「余計なお世話かもしれないが……万引き穴場なんじゃないのか?」


「そうかもな。まぁ……考えるのは店の人だよ」


 ジェリコの壁ならぬプラモの壁を崩さないように俺と淳二は奥へ進み、プラモデルで埋もれたレジに辿り着いた。


「いらっしゃい……何かお探しかな?」


 レジにいたのは、可愛らしいエプロンを纏い、白髪と深い皺に覆われたおじいさんだ。だけど、その態度には卑屈も嫌味も接客が面倒だという雰囲気はない。むしろ、俺たちが来たことを喜んでいる感じすらする。


「どうも、あの……ここで人と待ち合わせをしているんですけど」


「ん? ああ、君たちがそうか。ちょっといいかな」


 よいしょ、とレジから身を乗り出すと、


かおる〜! お客さんだよ〜」


 声を投げた場所は、段ボール箱で埋もれている階段の先だ。入り口からレジまで吹き抜けがあって、ちらりと覗いた二階の手摺にもプラモデルの箱が積まれていて、おじいさんの声に応えるようにしてバタバタと足音が聞こえた。


「すぐに出て来ると思うからね」


 どうも、と一礼した俺と淳二は、下りて来る某を見逃すまいと手摺と階段に視線を送り――文句のない美少年がプラモデルのビルから姿を見せた。


「ああ、もしかして……榊原さんですか?」


「どうも、取引に来た榊原です」


「よく来てくださいました。妹がずいぶんと失礼な接触をされたようで……」


「妹?」


 熟れた感じで階段を下りて来た彼は、俺と淳二に改めて一礼した。


「初めまして、氷上誠ひかみまことといいます。榊原和也さんと遠藤淳二さんですよね? お二人とも先輩ですから、僕のことは自由に呼んじゃってください」


 訊くと、誠とその妹も中学三年生らしい。ずいぶんと大人びているし、俺が知っている中学生はもっと莫迦だから驚きだ。


「氷上君、その口ぶりからして……俺に接触したのは妹さん?」


「ええ、僕は後で聞かされたので、こうしてお迎えにあがりました」


「そうだったんだ。じゃあ妹さんは?」


「上にいます。どうぞ、こちらへ」


 中学生とは思えない穏やかさで誠は俺と淳二を二階へ誘う。ギシ、ギシ、と揺れる階段と段ボール箱を崩さないように気を遣いつつ二階へ上がる。


「二階は居住スペース?」


「ええ、おじいちゃんが住んでいたんですけど、今は僕と妹が入り浸らせてもらっています」


「いいなぁ、秘密基地みたいで」


「はは、そうですね。僕も妹もそんな感じで使わせてもらっています」


 その言葉通り、二階の廊下にはプラモデル以外にも水の段ボールやら百科事典やらボードゲームとかも積まれている。そんな廊下にはいくつかドアがあって、誠が向かったのは一番奥にあるドアだ。


「馨、榊原さんたちが来てくれたよ」


 無断立ち入りを禁ずる、と書かれたプレートと工事現場を示す黄色と黒のシールが貼られているドアだが、誠は何の躊躇いもなくドアを開けた――その直後、ピギャ! という悲鳴と一緒にドタバタと物音が聞こえて来た。


「ひっ……人の部屋にノックもせずに……はっ……入る奴がいるか……!」


 容赦なく露にされた立ち入り禁止の部屋は、桐谷のパソコン部屋のように薄暗かった。カーテンは閉め切られ、外の蒸し暑さとは無縁のエアコンがフル稼働している。


「馨だって榊原さんたちの都合とかを考えずに無茶苦茶な要求しただろ? 榊原さんたちの気持ちとかけた迷惑はわかった?」


 そう言って誠はドアを抜けると明かりを点けた。パチッ、と気持ちの良い音がして露にされたのは、足の踏み場が見当たらないプラモデルの右顧左眄と大きなモニターに映し出されるFPSゲーム、プラモデルが飾られているガラスケースとその陰に隠れている馨らしき人物の頭だ。


「あそこに隠れているのが僕の双子の妹である氷上馨ひかみかおるです。少し人見知りが激しいですけど、榊原さんたちに自分から会いたいと言ったんですから、きちんとお話出来ると思います。そうだろ、馨?」


「わっ……私が姉な……?! 先に生まれた方が姉なんだから……」


 その主張が飛んで来たので、俺はついついこう言った。


「でも一昔前の双子は先に生まれた方が妹と弟だったけど――」


「むっ……昔の話はどうでもいい! そっそれよりー今日ハヨクキテクレタナー!」


 顔を出さないまま、馨は頭だけを動かした。人見知りなのはともかく、ノックも無しに飛び込んで来た男たちに対して当然の反応だろう。


「えっと……馨さん? 髪の毛とか服装とかで出辛いなら一旦部屋の外に出るけど……」


「ああ、大丈夫ですよ。単純に人見知りしているだけですから」


 誠はガサゴソと足下を開拓しながら馨の横へ向かい、その首根っこを掴んで野郎二人の前に妹を引きずり出した。


「はい、ちゃんと挨拶しなさい」


「うぅ……苦手なの知ってるくせに……」


 小鳥のように俺たちの前へ引きずり出された馨は、想像とは違って普通の女の子だった。オタクみたいな雰囲気の下は病弱なヒメよりも華奢な身体があり、明らかなサイズ違いのブカブカ黒シャツには白文字で『いとおかし』と書かれている。ワンピースみたいにしたシャツの下から伸びる剥き出しの脚は顔や腕と同じで真っ白だ。顔立ちは双子なだけあって誠と瓜二つの美少女だ。その容姿で引きこもり的な感じはもったいないと思う。


「えっと……氷上馨……です。その……乱暴なコンタクト……失礼しました。ここまで……来ていただいて感謝しています……」


 一見した印象だと、礼儀がなってないとか愛想がない、とかじゃなくて、本人が言っていたように他人と話すのが苦手、ぐらいな感じ。対人恐怖症までではなさそうだ。


「いいよ、そこまで畏まらなくても。話しやすいなら氷上君――誠君と同じような感じでも」


「でも榊原さん……」


「誠君も普通でいいよ。部活の先輩後輩でもないし、今はその方が話を進めやすいだろうからさ」


「あっ……ありがとう、ございます」


 俺は肩をすくめてみせた。うるさい奴はうるさいだろうけど、それは色々と状況を見て動けばいいだけだ。


「どこでもいいかい?」


「あっ……ハイ、どこでも座っちゃってダイジョブです」


 お言葉に甘えて、と俺は足下にあった軍艦のプラモデルを退かして腰を下ろした。淳二の方は日本海軍の譽である戦艦のプラモデルに興味津々のようで、側に腰を下ろした誠に色々と尋ねている。


「馨殿よ、こうしてプラモを持って来たけど……これをどうするつもりなのよ。変声機まで使って接触して来たんだから相当な理由があるんだ?」


 落窪から持って来た百貨店の紙袋の中には、俺が今日まで作り上げてきたプラモデルが箱に詰め込まれている。山ほど作っていたわけじゃないから、某機動戦士は八機しかない。しかも二機はダメージ加工の失敗で無残な有様だ。


「持って来てくれたのは……完成品デスよね」


「そう。背景にジオラマはあまり使わないし、でかい足場も使わないから持ち運びはしやすいよ。壊れないように運ぶだけ」


「何とかは添えるだけ、みたいな言い方デスね」


「そうねぇ」


 ゴソゴソと紙袋を漁り、持って来たプラモデルを馨に見せた。俺の手前に並べられる某機動戦士たちを見、馨はおもちゃを買ってもらえた幼子みたいに飛びついて来た。


「コレは××専用の機体だ! 欲しかったけど買えなかった……ああ、これは高機動型だ! 今更になって人気出たからお店じゃもう買えなんだ……」


 目に見えて興奮している馨。好きなもののことなら流暢になるというやつだろう。


「これをどうするん? 譲ってほしいって言うならあげるけど」


「えっ! いいんデスか!?」


「欲しいと思ってくれる人にはあげるよ。飾ってるわけでもないからさ。注目するような感じには見えないし、ホビー部もあったろう?」


「いや、私のスキは技術とかそういうものじゃなくて、私のセンスにビビッ、とくるかどうかが大事なんデス。鐘早のホビー部は確かに技術的に優れてるけど、私のセンスにはビビッ、とこなかっただけなんデスよ」


 馨はそう言いながら俺のプラモデルをペタペタと触っている。まるで自分がペタペタされているようで嬉しかった。相手が誰でも、自分が作ったものを評価してくれるなら嬉しいものだ。


「それと……注目される作品が少しでも欲しかったんデスよ」


「注目?」


「このお店、おじいちゃんの店なんデスけど……こう……時代に取り残された感じがしません?」


「まぁ……確かに。でもそれが良いってお客さんもいると思うけど」


「いますけど……それは本当に昔からの常連さんだけデス。しかもその人たちもおじいちゃんとほぼ同世代だから、もうほとんどお店に来れないんですよ。このプラモデルたちも作られることなく物置のままゲームオーバーなんて寂しいな……って思ったんデス」


「ああ……それで注目されそうな作品を?」


 コクコク、と馨は頷いた。喜怒哀楽がハッキリしていて、何だか小動物みたいで可愛い。餌付けしたくなる感じだ。


 思わず笑みそうになる顔を律していると、後ろから誠が声をあげた。


「おじいちゃんはもう今年でここを畳もうとしていたので、最後に何か華を持たせてあげたいということで、人寄せに使えそうなことを馨は探していたんですよ。でもこの調子なんで、変声機とかを使わないと接触出来ないんです。おまけに成功したのは榊原さんだけで、遠藤さんが親切だったのも幸いしましたよ」


「そうねぇ……俺も最初は断ろうと思ったよ。馨がガラスの駅のことを口にしなければさ」


「それな、えっと……榊原サンはガラスの駅をどこまで?」


 そう言いながら立ち上がった馨は、大きなデスクトップパソコンの前に置かれたゲーム用のイスに座った。その勢いでイスは軋んだが、持ちこたえて馨を支える。


「どこまで……とりあえずは……」


 恵君のことを除いて知っていることを全て話した。すると、馨は得意げにフフーン、と鼻を鳴らした。


「正確な場所はわかりませんが、駅の場所をある程度は絞れる重要な情報を持っているのデスよ!」


「おお! それは縋っちゃっていいのかい?」


「もちのろんデス! センスにビビッ、なプラモデルも戴いたことデスし、仕入れた情報を差し出しますよ」


 カタカタとキーボードを巧みに操り、数あるモニターの一つをグイ、と俺に見えるように動かした。


「プラモデルを作る以外の趣味がオカルト蒐集なんデスけど、こんなところで役に立つなら嬉しいデスね」


 示されたモニターに表示されているのは、まさかの乳母車の老婆についてだ。関係があるようには見えなかったが、馨の行動が全てを物語っている。信じて目を通そう――として、俺は別のモニターに表示されているコーギーの写真が気になった。


「あっ……その犬デスか?」


「飼い犬?」


「コーギーのモナカっていうんデス。一昨年……闘病の末に亡くなったんデスよ」


「……そうなんだ」


 不味いことを訊いてしまった。すぐに話を戻そうとしたけど馨は続け、


「病院に連れて行ったんデスけど……もう手遅れで……」


 そこまで言って口籠った。だから、慌てて話を戻そうとしたが、


「夜も遅いから一旦帰ったんですけど……その日の朝に病院で亡くなったんです」


 誠が話を受け継いだ。


「迎えに行ったら……病院の人たちが綺麗にして待っていてくれて……安らかに見えたんですけど……」


「看取ってあげられなかったことが……?」


「……はい。それもありますけど……遺体を受け取った時、モナカ、ウチに帰るよって告げたんですけど……正直、今でも不安なんですよね……本当に、ちゃんとウチに帰って来れたかなって……」


「…………」


「ああ……ごめんなさい。湿っぽくなってしまいましたね。ペットロスはどうにか克服したんですけど、いけませんね……お客さんにするお話じゃありませんよ」


 かぶりをふって立ち上がった誠は、俯いている馨の背中を優しく叩いた。


「私も大丈夫デス。榊原さん、どうぞデス」


 目元を拭い、気丈に笑って見せた馨に感謝を告げて、俺はモニターを見た。


 乳母車の老婆について。


 囁かれ始めたのはパソコンの掲示板が普及し始めた頃、予想としては1996年頃から、掲示板の隅とかオカルトの集いとかで誰かが言い出した可能性大。幽霊なのか、モノノケの類いなのか、それに関しては死神的な幽霊と考えていいだろう。風土記とか民俗学とかオカルトに精通している人に問い合わせても、満足な回答が得られないことから、ネット上でしか口にされない存在と判断。個人レベルでは伝達すらされないようだ。ただ……知っているけど口にしていない、という可能性は捨てきれないため、断言することは控えるべきか?


 乳母車に魂を入れて黄泉へ誘うことについて。


 何故、乳母車を押しているのかがわからないため判断は難しい。ただ、目撃したという数少ない報告によると、乳母車に何かを乗せていることは確かなようだ。その中を覗いた人はいないようだが、目撃したと掲示板に書き込んだ人による外見的特徴は統一されている。古めかしい和服、落ち武者的なざんばら髪、皺だらけの口元と手、見事に最初の目撃証言と一緒である。言い出しっぺとコンタクト出来るはずもなく、誰もが同じことを口にしてそのまま埋もれている。魂を黄泉へ誘うというのは、おそらくその外見から連想されたものだろう。確証もないし、そもそもそれをしている光景を見たことがある人なんて掲示板にはいない。日本中でアンケートでもしろよ。


 回収した魂の集積場なんてあるのか?


 これに関して、私は重大な情報を握っている。その辺のオカルト好きたちは絶対に知らないはずのものだ。乳母車の老婆を目撃したという霊能力者と出会うことが出来たからだ。ここで老婆を幽霊の類いと断定することに。似而非ではなく、信頼のおける霊能力者(ここに名前は記さない)の証言だから、私の中では全ての情報に勝るものだ。その霊能力者によると外見は変わらないようだが、老婆が目指している場所が『ガラスの駅』だそうだ。存在自体が怪しい駅だが、老婆がそれを口にしていたということは非常に大きい意味を持つ。


 ガラスの駅との関係性について。


 件の老婆がガラスの駅と口にしていた。Aさんの実況がきっかけで知れ渡ったガラスの駅、この名称はリアルタイムでやり取りをしていた一人が口にしたことで広がったが、奇しくも老婆も同じ名称を口にしていたようだ。Aさんが駅名を口にしなかったことが悔やまれるが……誰かが広めた黄泉へ通じる電車が走っている、という内容と老婆が魂を回収しているという話が奇妙に結びついたことが驚きだろう。老婆の存在が確定し、その口から出たガラスの駅も存在が確定された。問題はこのガラスの駅がどこにあるかだ。Aさんの証言では雪深い知る人ぞ知る霊山という手懸かりしかない。ここは実況された日付に頼ることにした。


 12月26日の月曜日。冬休みの学生か社会人かどうか……やり取りからして学生だと思うけど、そこはどうでもいい。十二月になると雪に包まれる霊山は××山、××山、波邇夜山、××山……。




「えっ……波邇夜山?!」


 思わずモニターを掴んでしまった。


「あそこも昔は霊山として畏れの対象だったらしいデスよ? 何でも死体を棄てていた場所だったらしいじゃないデスか。その辺のことも調べてありますよ。候補地はほとんど調べましたけど、それっぽい場所、ガラスの駅が似合いそうな場所は波邇夜山デスかね」


 そう言われ、俺はまたモニターを掴んだ。




 波邇夜山について。


 ××県に存在するこの山と波邇夜市の辺りには、大和朝廷との争いに敗れた豪族の一部が逃げ込んだ場所らしい。摘んだ風土記とかにもその時の詳しい記述は無いが、東北出身でもない奴らが逃げ込む場所としては最悪だと思う。


 1909年には、あの遠野物語の著者である柳田國男が波邇夜を訪れている。書物の一つに、波邇夜は古墳時代からの名残で遺体を遺棄する場所であるという記載がある。氷漬けになるが、或る意味で幸せか? とまで感想を述べている。また、調査の際に地元民が霊山だから入らないでくれと懇願していたことも記述されている。死体を棄てていることを隠すためだったんだろうか。


 1911年には水晶が見つかり、採掘が始まっている。この時に村人が氷漬けの死体を片付けていたという鉱夫の日記がある。


 1940年、波邇夜山の中に〝北波邇夜駅〟が建てられる。その年、デハ100型という電車が丸々行方不明になるという怪事件が起きている。さらにさらに、それとほぼ同時に発生した地震と雪崩と落盤事故によって鉱夫が200人以上死亡、或は行方不明になっている。その際の捜索と調査で、いつのものかわからない人骨が大量に発見されたこと、収容された遺体が氷漬けになっていたことが記録されている。


 1941年、北波邇夜駅に勤務していた駅員の一人が行方不明になる。当時の新聞記事によると、有名な不良上がりだったそうで、働くのが嫌で逃げ出した可能性、と記載されていた。日米開戦だし……徴兵されるのが嫌だったのかな? 見つかったかどうかは不明。


 1973年、水晶や他の鉱物資源の枯渇を受けて、採掘を担っていた〝根槌ねづち株式会社〟が倒産し、波邇夜市は冬の時代を迎える。


 追記。


 この雪崩と落盤による事故で、奇妙な報告がある。〝氷漬けになっていた過去の人骨に触れた数名の作業員の身体が凍りついた〟というものだ。この事件の所為で山の祟りだと戦く作業員が続出し、捜索と調査は早々に打ち切られている。この事件について、私が真っ先に思い浮かんだのが水晶症候群だ。少しだけ似ている気がするのは気のせいだろうか? 


 ちなみに1945年に、青森県つがる市の亀ヶ岡石器遺跡で水晶症候群を表したような奇妙な土偶が見つかっている。当時のスケッチしか資料はなく、他のものは戦時中に焼かれてしまったそうだ。



 

「これ……まさか……」


 モニターから目を離せない。ガラスの駅の候補地が目と鼻の先にあるかもしれない、そんなことがあるんだろうか。宝くじが当たるような確立なんじゃないんだろうか。


「馨……ここに書いてあることって……」


「嘘じゃないデスよ。きちんと自分で調べたことデスし、霊能力者さんも本当の知り合いなんデスから」


 馨はそう言うと、イスをクルリ、と回転させて俺を見上げた。


「どーデシた? ガラスの駅について進展はありましたか?」


「進展どころじゃないよ……君……天才か?」


「ヘヘ、どーもデス」


 てれりこ、てれりこ、と文字が浮かぶ馨。


「この資料……もらえない?」


「どーぞデス。持て余しているUSBがあるんで使ってください」


 そうして俺はUSBを受け取り、興奮が止まらない帰り道で、桐谷に今日の収穫を全て伝えた。最後は恵君が持つとっておきの情報を手に入れて、Aさんこと遠藤猛氏が向かった先が波邇夜山なら全てが確定となる。


 幸せの蒼い鳥――幸せのガラスの駅は実在したよー、とヒメがいる階瞬にまで大声をあげたい気分のまま落窪に帰ったが、玄関を開けようとした時、


「ご機嫌だな、カー」


 呼び止めるかのような声が、俺の背中を掴んだ。


「ご機嫌? そう見える? ああ、そうだ。淳二も今日はありがとう。おかげで最高の結果が得られたよ」


「そうか。それは良かったが……お前にとってのそのご機嫌……誰かにとっては不快の極致だと思うけどな」


「何だよ、言いたいことがあるならハッキリ言ってくれよ」


「まさかとは思うが、桐谷さんに今日のこと……報告してないよな?」


「何で? 桐谷だってガラスの駅をハッキリさせたく……て……」


 血の気が引いた。淳二の目に俺の肌は青に見えているだろう。そう思うほどに凍りついた身体を無理矢理動かして、スマートフォンに打ち刻んだ軽薄の証を見た。


「…………」


「探し事が見つかった時は誰だって嬉しいが……お前が探しているのは見つけて嬉しいコレクションじゃない。死の背中を押す――自殺の名所を探しているんだぞ?」


「……悪かったよ」


「謝る相手は俺じゃないだろう。少し頭を冷やせ」


 サングラス越しに見えた淳二の目に冗談の影はなく、出会したことのない威圧感に俺は背中を見送ることしか出来なかった。


「とりあえず……桐谷には謝らないと……」


 返信されるわけないメールを送った自分の軽薄さを恥じつつ、メールを打ち込み――世界一気まずい電話に切り替えた。

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