第5話 3

「もしかしたら……水晶症候群について世間には知らせてない情報があるんじゃないかと思ってさ。発症する人の目安とか、進行の傾向とか……色々知りたくて」


 桐谷さんや恵君とのやり取りは全て話さず、俺はそれっぽい理由で葛城さんに会いたい理由を説明した。嘘をついているわけだけど、ヒメが傷付くようなことじゃないから、顔にも態度にも出ていないと思う。


「葛城先生……教えてくれるかなぁ。水晶症候群に関しては厳しい情報統制があるらしいけど」


「まぁ……駄目もとだよ。状況によっては血判でも何でもする所存です」


「それでも駄目かもしれないけど……わかった。じゃあ葛城先生が来る時の予定を知らされたらメールするね?」


「ありがとう。色々と訊きたいことがあるからさ」


 狭霧まで出て来た外の湿気を一瞥し、俺は額の汗を手拭いで拭った。すると、


「はい、二人とも。当店自慢の宇治抹茶かき氷です」


 届いたのは、赤い御盆に乗った抹茶の氷山だ。湧き水のように小豆が寄り添い、抹茶シロップを纏った氷の頂にはアイスまで鎮座している。オススメというだけあって、美味しそうだ。


「美味しい?」


「うん。もうかき氷の時期なんだなって実感するよ」


「私は一年中食べるけどね」


 そう言ったヒメを見ると、既に頂は無くなっていて、小豆の湧き水も枯渇しかけている。あれ? こんなに食べるタイプだったかな……。


 スプーンを操る速度の素早さに圧倒されつつ、俺もかき氷を食べ終えた。


「それじゃあ、次は食後の運動です」


 ほらほら、とヒメが次を示したのは、静かなアーケード街の中にある小さなゲームセンターだ。自動ドアを抜けて広がる店内は明るく、地方の寂れた感じは微塵もない。客層は元気な年寄りや子供連れの姿もあり、奥にはちょっとした軽食を出すお店まであって、何だか近所の交流センターみたいな雰囲気だ。


 カニを叩く筐体でハイスコアを叩き出しているおじいさんの横を抜け、ヒメは俺の手を握り締めたまま奥へ向かう。そうして出迎えてくれたのは、少し前に流行った『叛逆のオルフェウス』というゲームだ。


「オルフェウス……久しぶりに見たよ」


「私たち世代ならきっとそう言うと思ったよ」


 蒼の球体型コックピット(作中のコックピットを忠実に再現している)の筐体は四つある。オルフェウスと呼ばれる人型人造兵器を操り、プレイヤーは宇宙や地球を舞台に激戦を繰り広げる。二0一二年に日本中で大ヒットしたロボットアニメで、当時十一歳だった俺も友達の付き合いで関わっていた。さすがに今は日本中を呑み込むことはないが、忘れ去られてはいないようだ。


「今もこうして筐体が出てるんだって」


「それは凄いな。これを?」


「うん。操作は覚えてる?」


「どうかな、やってみればわかるけど……やってたの?」


「今の時代は女の子もゲームをしますよ〜」


 ヒメは楽しげにそう言うと、右端のコックピットに消えた。


 俺はその横のコックピットに入り、目から上を完全に覆うヘッドギアをかぶってからコイン投入口に百円を入れた。バックコーラス付きの壮大なテーマ曲が流れ、メインタイトルに続いてモード選択が始まった。俺はヒメとの対戦を選び、自分が動かす機体を選ぶ。ちなみにヒメが選ぶ機体はこちらからはわからない。


 先行試作型、高機動型、近接戦闘型、陸戦型、宇宙専用とかバリエーションは豊富で、しかも自分の好みで機体の色とかマークとかを作れる。また、家庭用版でも発売されており、メモリーカードを差し込めば筐体でもそっちの機体で遊べるようになっている。当然メモリーカードなんてないから、俺は個人的な好みである近接戦闘に特化した機体を選んだ。


 左腰に打刀、背中に脇差が二振り、後ろの腰に太刀、ふくらはぎに内蔵されたクナイ、足の裏に仕込まれた小刀、まさに全身が武器の機体だ。敵の中に飛び込めるように速度が重視されているが、その犠牲は装甲に向けられている。


 武装もスキルも選び終わり、コンピューターによって戦場が決められた。そこは日本にあるオルフェウス格納庫一帯だ。オルフェウスの劇中の主戦場は日本だから、当然ステージも山ほどある。


『これより益荒男小隊の戦闘訓練を始める! 双方、この大八州の守り手に相応しいかどうか、見せてみろ!』


 劇中で出て来る鬼軍曹的なキャラの声が耳元から流れ、ヘッドギアのゴーグル越しの視界では、俺の出撃に旗を振ってくれている整備兵たちの姿が浮かぶ。小難しい発進シークエンスが流れ、綺麗な声の女性オペレーターが俺の出撃に対して励ましをくれる。


 そうして俺は指示に従って足下のペダルを踏んだ。その動きに倣い、選んだ機体は日本の街並と富士山と紺碧を見据えながら戦艦のカタパルトから飛び出した。


 始まったヒメとの三本勝負。機体を動かすインターフェイスは二本のコントロール・スティックと足下にある二つのペダルだ。ヘッドギアに浮かぶ映像も相まって本当に機体を動かしているような感覚だ。


 現れたヒメの機体は女性的な美しいシルエットを持つ速度と手数と接近戦重視の機体だ。腰には軍刀を下げ、人造兵器らしく人間のような濡鴉を靡かせながら戦う。


 合成音声がバトル開始を告げた。最初の一本目は互いに慣らし運転だから、テケトーに動いて互いにテケトーな攻撃を繰り出した。結果、六十秒の制限時間を迎えてドロー。


 続いての二本目は鍔迫り合いと駆け引きとカウンターの末にヒメが勝った。友人の付き合いで通っていた当時はそれなりに実力者だという自負はあった。だけど、三本目のヒメは本気で挑んでも勝てなかった。


 これは……当時の俺でも泣かされていたな……。


 泥臭い(良い意味で、だ)ミリタリー色に染まる機体、飛び交うビームと銃弾とオペレーターの鬼気迫る戦況報告、援護射撃のNPCと流れ弾で壊されていく建物たち、その世界観に立つヒメの姿は、水晶症候群とはまったくの無縁に見えた。


「懐かしかった?」


 コックピットから出ると、ヒメはいつの間にか缶ジュースを両手に持っていた。ヒメはその一つを俺に手渡すと、片方を勢いよく飲み干した。


「たまにはこうして暴れないと気持ちも塞ぎ込んじゃうよね」


 カラカラと笑ったヒメは、次の場所があるからと言ってまた俺の手を握り締めた。


 ゲームセンターは彼方になり、今度は同じ商店街内にあるカラオケ店に入った。その後は階瞬駅にある映画館で何故かホラー映画を楽しむことになり、呪い殺される人々と同様に戦慄することになった。


「いや〜楽しかったね――って……あれ? 大丈夫?」


「いや……大丈夫。でかい音に疲れただけだから」


 最近の映画の傾向だろうか。とにかく急に大音量を出せば観客は怖がると思っているのだろう。耳を悪くさせるだけだ。


「それじゃあ……最後は喫茶店で終わろうか」


「おっ……それは大賛成」


 それは良かった、とヒメは笑い、俺を人気の少ない路地裏へ誘った。そこは繁華街の活気から逃げるために作られたような沈黙の路地で、毛細血管のごとく入り組んだ通路をヒメは迷うことなく進み、


「あそこの喫茶店が素敵なんだ。時代と距離を置いている感じがして」


 先導していたヒメが指差した先に見えたのは、表現通りの喫茶店だ。


 レンガ調の壁が掲げる店名はグリム。時代を追うことを拒む外見はレトロ好きを唸らせるような渋い出立ちで、ドアの横にはコックの人形が愛想を浮かべながらメニューの黒板表を掲げている。窓から微かに見える店内は薄暗い。


「あそこで夕飯にしちゃおうか? 寮だけど平気だよね?」


「門限までに帰ればね」


「じゃあ行こう♪」


 ご機嫌を連れたままヒメはドアを開けた。


 こんにちは、と会釈したヒメの上では開閉を告げるカランコロンが響き、続けて店内に入った俺に昭和の香りと光景を招いてくれた。珈琲豆が立ち並ぶ棚を背にしたマスターが黙々とサイフォンの珈琲を見守り、直角のソファーを従えるボックス席には花を模した控えめな照明が吊り下がり、壁の二カ所にはドレスを纏った女性を描いたステンドグラスが黄昏を浴びて静かに佇んでいる。アンティークな大時計もあって、テーブルの上にはルーレット式おみくじ器まである。


 そんなレトロ喫茶の主は老齢で、淳二みたいな大きいサングラスの下は固く結ばれていたけど、ヒメの姿を認めるとやおら片手をあげた。それに対してヒメも何も言わずに奥のボックス席へ向かった。


「はい、メニューね」


 差し出されたメニューの中には商品名が山ほどあって、写真が一つも無いけど書体からしてもう美味しいとわかる素敵な感じだ。これはこれは……。


「レトロ喫茶店ならこれだよね、メロンクリームソーダ」


「いいね。じゃあ俺は……ナポリタンかな」


「私はハンバーグステーキにしようかな」


 何歳になっても安心安定のメニューに万歳。


 注文を受け取ったマスターは影のようにカウンターへ消えた。お茶をしているお客さんたちも影みたいに静かで、何だか注文を口にしただけでこの静謐を壊してしまったんじゃないかと思うほどだ。


「お待たせしました」


 そんな緊張の中でメロンクリームソーダが届き、続いてハンバーグステーキとナポリタンが届いた。どちらも出来立てを告げる音と煙が空きっ腹を刺激し、私を食べましょう、と主張している。


 互いにナイフだフォークだを取り、絶品に舌鼓を打つ。キコキコ動くナイフ、グルグルとパスタで渦巻くフォーク、追加で注文したライスにも寄り添わせてちょっとした贅沢を楽しんだ。


「はい、カー君」


 そう言って差し出されたのはハンバーグステーキの一切れだ。あーん、の意味で間違いないようで、ヒメは黙ったまま俺のことを見ている。それに応え、その一切れをもらった。


「美味しい?」


「べらぼうよ〜」


 ク〜、とハンバーグステーキの肉汁とデミグラスの甘さに唸る。


「ここは全部が美味しいから、カー君も常連さんになるんじゃない?」


「雰囲気も味も最高ときたらファンにもなるよ」


 このグリムこそ世間の目から守られてほしい。見つかったら、人間の皮をかぶった莫迦が集まって店内を壊すに決まってる。ああいう連中はどうしてこう……落ち着けないんだろう。騒ぐことが自己主張だとでも思ってるんだろうか。


 グリムの未来に不安を抱きつつも夕食は進み、意外にもヒメが先にペロリと平らげてしまった。うむ、美味しそうに食べてくれる人は見ていて気持ちが良い。


「ごちそうさまでした」


 互いに食べ終わり、食後の余韻を楽しむ中で、俺はずっと気にしていたルーレット式おみくじ器を手前に寄せた。すると、


「神社とかで占いやるでしょ? あれってきちんと占ってほしいことを思いながらやるんだって」


「じゃあ……今は……」


 ガラスの駅に関する調査の全体運はどうでしょうか。そう念じながら、百円を自分の星座に捧げてレバーを引いた。そのレバーに促されたルーレットは勢いよく回り、数字は0となって、丁寧に包まれたおみくじが飛び出した。いそいそとその中身を広げてみると――大吉だった。血液型とか健康とかはともかく、全体運としては最高みたいで、運命的な出会い、とまで書かれている。どうやらガラスの駅と俺の相性は良いみたいだ。0というのも始まりな感じがして良い。そんな0の運勢は、全ての始まりの場所が吉、だそうです。何だろう、このフワッとした感じは……。


「マスターさん、ごちそうさまでした」


 フワッとしたおみくじを連れて、俺とヒメは喫茶グリムを後にした。


 階瞬駅に近付くにつれてヒメの手は少しだけ強くなり、俺もその手に応えた。だけど、駅は無くならないし、時間も人混みも止まりはしない。そんな当たり前のことに対して以前は何も思わなかったかもしれないけど、今はそのことに対して思うことがあるようになった。


 ヒメは階瞬駅の改札前まで来て、その手を放した。


「それじゃあ……今日はありがとう。楽しかったよ」


「俺も楽しかったよ」


 何だかあの頃に戻ったみたいな気がして。そのことは言わず、俺は門限のタイムリミットを告げる電光案内を見上げ――ヒメのスマートフォンが振動した。


「メール?」


「そう。新一さんからの」


 その言葉に俺はヒメの横に並んだ。


「病室を抜け出してどこに行ってるんだって」


「まぁでも……一人娘を心配する気持ちはわかるよ」


「私のお母さんはもう死んでるんだから……私のことなんて放っておいてくれればいいのに」


「灰原さんとお母さんの子供はいないんだよね?」


「私がいるからいいんだってさ」


 それは……凄いことなんじゃないかな。普通、再婚したら再婚相手との子供を欲しがるものだと思ってた。


「新一さんからしたら罰ゲームだよね。愛した対象は私のお母さんなのに、その人は再婚してすぐに死んじゃうし、残されたのは血も繋がらない病ダレの娘なんだから」


「……うぅん」


 人の家のデリケートな部分だから何とも言えないし、灰原さんの内心はわからないから……でも、


「ヒメのことを病ダレなんて思っていたら……病院にも来ないし、こうしてメールもしないと思うよ。忘れ……形見なんだしさ」


「その忘れ形見ももうすぐ死ぬのに、ね。それにさ、水晶症候群になった時点で橘製薬からお見舞金が家族に払われるし、私の衣食住は全て橘製薬が保証してくれる。放っておいて自分の人生に集中してよって思う」


 返信する素振りを見せないままヒメはスマートフォンをしまい、電車来ちゃうよ、と俺に告げた。俺も門限があるため、その話はここで打ち切った。


「それじゃあ、また今度」


「うん。また、ね」


 小さく手を振るヒメを背中にし、俺は改札を抜けて階段の先に丁度来ていた電車に飛び乗った。運良く空いていた端に背中を預け、スマートフォンを取り出した。


『葛城先生が来る時に教えてもらえるから、少しは進展があるかもしれない』


 そう入力して桐谷にメールを送った。


『吉報じゃん。あたしの関与は口にしてないでしょ?』


『何もしてない』


『それならよし。その日が来る前日には必ずメールするように』


『御意』


 女王様にそう返信し、俺は車窓に広がる夜景を見た。


 命の活発さを告げる照明が隙間なく灯される階瞬の街並は俺には眩しくて、まるで俺みたいに生きることへの意味も理由もない奴が来る場所じゃないよ、そう告げられているように見えた。だから、夜景が明らかに少なくなった波邇夜の光景を見てようやく安心出来た。


 俺に似合うのはこんなもんですよ、と心の中で呟いた俺は、スマートフォンを取り出してヒメに今日の感想を綴ったメールを送った。だけど、見ていないのか、朝になっても返信はなかった。

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