第4話 3

 夜更かしの翌日、日曜日。


 空模様は梅雨を主張する猛烈な雨。


 ヒメのお見舞いを予定していたけど、件のメールが届いたため急遽キャンセルすることになった。


「ごめん。来週行くから。そっちは大丈夫?」


『大丈夫、こうやって電話出来るくらいには動けるから』


 何だか嘘をついている気がして、スマートフォン越しでも嫌な汗が止まらなかった。それが声音にも出ていたのか、ヒメはしきりに俺の体調を尋ねてきた。


 誰もいない落窪の相部屋でヒメとの電話を片付け、日曜日を謳歌する寮友たちの間を抜けて波邇夜を後にした。


 桐谷が住んでいるのは金山区の高級住宅街だ。人はいるけど閑静な住宅街が広がる文字通り上品な場所で、初めてここに来た時は場違い感に苛まれて大変だった。成り上がりよ、急に上流階級の真似事をしても疲れるだけだぞ。


 俺はそんなことを思いながら、手入れされた玄関と植木、埃も蜘蛛の巣も吹き飛ばしている窓、上品で片付けられた郵便受け、高級な自転車と高級車に外車……スプレーの落書きなんてどこにも無く、ゴミすら落ちていない町中を早足で進む。今の雪上の楽園はこの金山区の方だろう。


 ガラスの駅について知る情報提供と接触出来た。そのメールが本当なら、桐谷と知り合ってから続いた調査とアシスタント――という肩書きのパシリ生活も報われる。


 高級、という文字を押し出す立派な門に付けられたインターホンを押す。即座に室内飼いのワンコ(名前はヘラ)の元気な吠え声が聞こえた。


『あら〜榊原君ね〜? どうぞ、入って〜』


 このしゃべり方は桐谷のお母さんだ。名前は知らないけど、金持ち喧嘩せずの言葉を良い方で表したかのように穏やかで上品な人だ。この人から、「ガオー!」と叫ぶ娘が生まれるのだから人間とは不思議な生き物だ。


 自動で開かれた門を抜け、お母さんが可愛がっている綺麗な庭とアーチと高級車の先にある玄関へ向かった。すると、お母さんが両開きのドアを開けてくれた。


「こんにちは」


「いらっしゃ〜い。ふふ、今日も綺麗な声をしているのね〜。茜が初めて連れて来た男の子が美声って素敵ね〜♪」


「はは、ありがとうございます」


 そういう関係じゃありません。その説明は桐谷がしているだろう。ちなみにお母さんが教えてくれたことだが、桐谷の曾祖父はフランス人で、あのモノクルも曾祖父が使っていたものらしい。


「茜は奥のパソコン部屋にいるからね〜」


「ええ、お邪魔します」


 桐谷の自室は二階らしいが、そこは金持ちだ。自分の部屋以外にパソコンが並ぶ専用部屋まで持っている。俺が通されているのはそこの部屋とトイレだけだ。


「桐谷、約束通り来たけど」


 入って、と奥から声がして、俺は木目が綺麗なドアを開けた。


「やっと来たか。ほら、情報提供者と接触するよ」


 桐谷茜のために存在するパソコン部屋は、大げさに表現すると戦闘指揮所みたいになっている。天井の照明は点けられておらず、部屋の中心で社長椅子にふんぞり返っている桐谷を囲むコンピューターと大中小のモニター、分厚い本が並ぶ書架、カーテンで覆われた大きな窓、梅雨の不快な湿気を吹き飛ばすエアコン、主のために電化製品が自ら集ったような部屋だ。


「情報提供者なんてどこから?」


 そう尋ねると、桐谷は社長椅子をクルリと回転させた。体躯に合っていない大きな社長椅子に座る彼女の姿は少しだけ滑稽に見えるが、モノクルを光らせる表情は真剣そのものだ。


「電子の海には膨大な知識がたゆたう。現実で特定の魚を見つけるのは無理でもね」


 モニターやキーボードから発せられる虹色で浮かび上がる桐谷の顔はますます意地が悪く見える。悪の総裁か狡猾な軍師様だろうか。


「まぁ……俺はデジタル音痴だから全て任せるよ」


 俺はそう言って、ガラスの駅についての情報を表示しているモニターの一つに目をやった。


 ガラスの駅について! 頭に叩き込んでおくこと!


 1 都市伝説の中でもかなりマイナーな存在。

 電子の海でも、その駅を目撃した人はおらず、2005年の実況以外で有益な目撃情報は一つもない。ただ、実況したAさんとやらに弟が存在しているらしい。同年の行方不明者の新聞記事や警察に問い合わせても情報は得られず、Aさんの正体は今日まで一切が不明。


 2 誰が言い出したのかは不明だけど、訪れた人を黄泉へ導くらしい。

 それに関しては、実況で知り得た駅の状態と駅そのものの役割(物と人をどこかへ運ぶ以外に建てられる理由はない)を想像した誰かが無責任に口にしたのかもしれない。判明したら……姫子の代わりにあたしが殴ってやる!


 追伸・橋というものは目的があって(ここでは建設理由と結ばれる場所のこと)架けられたものではないと危険であるという情報が手に入った。その人によると、橋は黄泉とこの世を繋ぐ存在になり得るらしく、具体的な場所はともかく橋として機能していない橋が繋がるのは黄泉の世界になると言う。オカルト混じりかつ不確かな情報だから鵜呑みには出来ないけど、その理論でいくなら目的を失ったか最初から使われなかった駅の路線は黄泉に通じているという仮説は無理だろうか。実際に実況者のAさんとやらは電車と駅員の姿を見ている。しかも駅員から『稀人』という単語が飛び出している。


 3 どこにあるのか一切が不明。


 Aさんによると、入り込んだのは知る人ぞ知る霊山のようだけど、この瑞穂の国に霊山は調べただけで40以上ある。入力された内容を信じるのなら、地元民が勝手に霊山だと主張している場所なのか、それとも山登りのコミュニティでの隠語であるのか、色々と推測は出来たけど、隠語に関してはネット上でのコミュニティに関わっても出て来なかったし、いくつかのマニアに接触したけどガラスの駅っぽいものは出て来なかった。雪の進軍ならぬ、東北地方の山を手当り次第に登れば見つかるかな?


 4 存在する可能性はほぼ皆無。


 手に入る情報が都市伝説の例に漏れず、確かなことはない。そもそも存在しているのかすら怪しく、Aさんの実況以外に目撃情報はない。Aさんによる劇場という可能性の方が高く、関心を持っても積極的に関わったユーザーもいなかったことが進展のなさに拍車をかけている。


 他のモニターにも目をやる。


『ガラスの駅って知ってる?』


『何それ〜』


『いるよねぇ〜掲示板の内容を鵜呑みにする可哀相な人〜w』


『俺の近所に水晶の駅ってあるけど〜www草』


『暇人、死ね』


 得るものが何一つない掲示板のやり取り。


 他のモニター。


 ××県、山での遭難相次ぐ! 登山者のマナーの問題か?!


 ××県、山のキャンプ場で遭難事故発生! 親が目を離した隙にはぐれたか?!


 ××県の遭難、神隠しと地元民は恐々!


 山の遭難を伝えるニュース記事。


 他のモニター。


 全世界の謎と不可思議摩訶不思議に挑む『ラー』。4月号。


 あなたが知らない世界! 今月号は神隠しだ!


 怪談サークル『コーンフレークの会』が贈る! 山の怪異と言い伝え。8月号


 神隠しや山の怪異を扱ったオカルト雑誌の表紙。



 これらは俺も協力して調べたり集めたり買ったりしたものだ。電子書籍もあるし、空いていた書架に放り込まれている雑誌もある。だけど、どれもガラスの駅に近付けるようなものはなかった。その状況下で情報提供者が出て来たというのはまさに天佑神助とでも言うのだろうか。冷やかしでないことを祈ろう。


 ちらりと見たモニターには、


 またしても水晶症候群の犯罪者か!? 白昼の商店街で刃物男!


 橘製薬が水晶症候群患者への不当な差別を許さないと表明。大友財閥やその傘下企業も同様の表明!


 水晶症候群患者を海外でも受け入れか!? 橘製薬は否定!


 日本国内のみで確認される水晶症候群、これは天災か人災か!?


 今日まで外国人観光客に発症者なし! 日本人のみ発症か?!


 見鳩みはと首相(88)、『外国人観光客に発症者はおらず、日本観光や移住に何ら影響はありません』と公式発表するも、外国人記者や観光客は『信用出来ない』と一蹴。アメリカ政府や欧州は大友財閥による公式発表を要請!


 大友財閥、橘製薬代表と共に水晶症候群に関する見解を発表! 空気感染も接触感染もありえないと表明。


 1997年の橘製薬による公式報告から2018年までに確認された患者数は約3万人! 来年には全国民が発症か!?


 水晶症候群のありとあらゆるニュースや記事、ゴシックをまとめたものが表示されている。俺たちが生まれる前から存在していたんだと考えると驚きだし、桐谷が本気でヒメと向き合おうとしている覚悟が伝わってくる。


「そうだ、あちらさんが指定してきた時間は十二時三十分。その時間になったらビデオチャットで通話するから」


「しかしまぁ……向こうから接触して来るなんて意外なんだ。どんな出会いなのよ」


「複垢で餌をバラまいたら出て来た。変換とか文章の使い方からして小学生だと思う」


「複数のアカウント……って良いの?」


「目的が誹謗中傷とかサーバーダウンとかに使ってるわけじゃないからいいんだよ」


 さいですか、そう言って肩をすくめた時、


「茜〜飲み物よ〜」


 お母さんの声と一緒にドアがノックされたため、俺はドアを開けた。ありがと〜、と顔を出したお母さんは、俺と桐谷の背中を一瞥すると、


「外は蒸し暑かったでしょ〜? 榊原君もこれを飲んでゆっくりしてね〜」


「ありがとうございます。いただきます」


 高そうなグラスを掲げる御盆を受け取り、俺はその片方を桐谷の隣に置いた。


「茜〜榊原君の目が悪くなったらどうするの〜? お友達なんだからちゃんと気を遣いなさいよ〜?」


「こいつとはそんな関係じゃないから」


「そうなの〜? そう言うわりには最近楽しそう――」


 突然、桐谷は振り返った。その顔は真っ赤で、文字通りの、


「ちょっちょっちょっ……! 余計なこと言わないで!!」


 狼狽。今の桐谷の状況は幼稚園児でもわかるだろう。


「榊原君、茜はお友達が少ないから仲良くしてあげて――」


「いいから! 娘のプライベートなんて話すなぁーーーーー!!」


 怪獣が炎を吐き出すのと一緒。桐谷はお母さんに向けて炎を浴びせたが、まるで意に介されていない。合掌。


「それじゃあ〜お邪魔蟲は消えるわね〜」


 楽しそうな笑みを残してお母さんはドアの隙間から消えていった。置いていかれたのはキーボードに突っ伏している桐谷と気まずい俺だけだ。早く三十分にならないかな。


 美味しいレモンティーに舌鼓を打ちながら沈黙を続け、


『アカネ! 鴨ガ葱ダヨ!』


 また突然、パソコンそのものから声が聞こえた。


「……うっし! 小学生のわりに真面目だね!」


 桐谷を真正面から見据える大型モニターを見ると、CGで作られた浅めの海底を魚のような速度でしなやかに泳ぐ魚人みたいな女性キャラクターがいた。色っぽい裸体にヒレとか鱗の輝きがあって、顔立ちは桐谷によく似ている。こんなのがいるとは知らなかった。


「ああ、初対面か。彼女はローって名前の人工知能。あたしの自作」


「自作?!」


『ドーモ、人間サン。現在、ソチラノ外見的特徴ヲ認識シテイマス。アンタ様ハワタシノオ友達デショウカ』


 ローからの視線と桐谷の肩越しの視線が刺さる。


「えっと……友達なのかな」


『デハ、オ友達ト認識シマス。コレデワタシノオ友達ハ3人ニナリマシタ。ヨロシク、榊原サン』


「あれ? 名前……」


『先ホドノ会話ヲ拾ッテ推測シマシタ』


「正解だよ……凄いな」


『ワタシ、優秀デスカラ』


 そう言ったローは、コホン、と咳払いすると、話題と態度を変えた。


『ソレデ、通話スルンデショ?』


「繋いで。相手は顔出し?」


『顔出シデ話シタイッテサ。声質カラシテ小学生ネ。情報提供スル引キ換エニ、アカネタチモ顔ヲ出シテクレッテサ。要求ハソノ後ダト』


「マジかぁ……小学生って怖いもの知らずだわぁ……」


「でも……それってある意味で本気なんじゃないかな。小学生が匿名ばかりの海で顔を出す覚悟があるほどに」


「覚悟か無謀か無知かわからんけどね。冷やかしなら叩き潰してやる」


 覚悟はいい? と桐谷は肩越しの視線の後に通話をクリックした。


 モニター内を泳いでいたローはさっと退き、入れ代わるように姿を見せたのは――。


「あっ……」


「水晶……」


 ほぼ同時に俺たちは声をあげた。


 どんな小学生が出て来るのか、身構えていた俺たちの前に出て来たのは、水晶症候群が進行している男の子だ。


 肌が幽霊みたいに白く、上半身だけでもわかる華奢な体躯、女の子みたいな顔立ちだが、その顔の右半分は水晶のクラスターで覆われているため、右目が見当たらない。それだけなら水晶症候群の患者だが、俺はその水晶クラスターの状態を見て眉を顰めた。


 水晶症候群の患者に出る水晶の形状は決まっている。カテドラル、キャンドルクオーツ、エレスチャル、ファーデン、ハーキマーダイアモンド、レムリア、レーザー型、ポイント、それらがクラスターを形成して患者の身体を覆う。その種類には個人差があり、カテドラルばかりだったり、ファーデンばかりだったりする。


 おそらくその男の子の水晶はカテドラルなんだろうけど、右目とその周りのカテドラルが砕けてキザギザの断面を露にしている。


 その光景に思わず前屈みになり、俺は男の子を凝視した。


『あの……怖い……よ』


 男の子は口を開けた。


 前屈みの俺を押しのけた桐谷は、子供用の愛想の良い笑みを浮かべた。


「初めまして。名前は……お互い名乗る必要はないよね?」


『僕……めぐみ……』


 名乗っちゃったよ……とは言わず、俺も愛想の良い笑みを浮かべて会話に加わる。


「えっと、初めまして、恵君」


「恵君、ガラスの駅について……お姉ちゃんたちに教えてくれるの?」


『駅……ガラスの……うん……』


 水晶症候群の所為――だと思いたい。恵君のしゃべり方は拙くて弱々しい。だけど、彼が背負う背景は小学生の部屋とは思えない。


 カーテンで覆われた薄暗い部屋、プラモデルが綺麗に並ぶ棚、勉強机に積み上げられた本、新聞紙や何かの切り抜きが貼られたホワイトボード、バンドか何かのポスター……中学生か高校生のような印象だ。本当に彼の部屋なんだろうか。


「恵君、まずはそっちの要求を教えて?」


『うん……えっと、僕がしてほしいことは……』


 恵君はそう言ってから、少しだけ黙り、ガラスの駅に対する情報の引き換えを口にした。

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