第5話 時計仕掛けの恋
「あっ、カー君、こっちこっち」
雨が降りしきる日中。
凪いだ人波が行き交う階瞬駅に下りた俺に向かって、ヒメがパタパタと片手をあげた。小さい頃からお気に入りにしている水引の髪飾りを付け、着物っぽい独特の服を着ている。その光景は水晶症候群とは思えない感じ。
「また訊いて悪いけど……出歩いて平気なの?」
「大丈夫。進行はゆっくりだし、倒れて急に水晶化するわけでもないから」
それは橘製薬からも公表されている。信じていいんだとは思うけど、心配な気持ちは当然だろう。
「心配ですって顔してる」
「わかる?」
「わかるよ。カー君、あの頃から顔に出るんだもん。ババ抜きとかいつも負けてたしね」
言われてみれば、隠し事とかを全部指摘された記憶がある。そんなにわかりやすいんだろうか――わかりやすいんだろう。ババ抜きの思い出はほとんどが負けている。
「ふふ、でもそれがカー君の面白いところかな? じゃあ、行こっか」
こっちこっち、と手招きされて、俺はヒメの華奢な背中に続いた。
「階瞬の方は知らないでしょう? 今日は私のオススメスポットを巡るデートになっております」
フンス、と意気込んだヒメは改札を出ると、持っていた蛇の目傘を広げた。そういえば、小さい頃から和物が好きだったっけ。そんなことを思っていた時、
「カー君、お隣にどうぞ」
「えっ?」
「昔みたいにしようよ。相合い傘」
付き合ってるわけじゃないのに、という言葉を無理矢理喉奥に戻し、俺は目線だけを左右に動かしてからそのお手引きに従った。
「俺が持つよ。おヒメさま」
「ありがとう」
蛇の目傘を受け取り、擦れ違う人の視線を流しながら相合い傘のままヒメに寄り添う。
彼女が誘うのは繁華街とも高級住宅街とも違う階瞬の秘境部だ。昔からの地元民が住み、波邇夜山とは違う
降り止まない雨、濡れる電柱と蜘蛛の巣、民家と道を隔てるブロック塀をよじ上るカタツムリ、車の水轍、二人の吐息と足音、波紋の水面に集う雨が全ての音を押し流しているようにすら感じる静謐の世界。この静謐が永遠に続くんじゃないかと思い始めた時、引き止めるような感じでヒメが口を開けた。
「ねぇ、カー君、ガラスの駅のこと……迷惑になってない?」
「なってないよ。バイトしてるわけでも、部活動に入ってるわけでもないし」
「ちょっと……不安になっちゃって、ね」
「と言うと?」
「私、死が約束されてる。寿命とか運命とかの曖昧な先にある死じゃなくて……近いうちに死ぬことが約束されてる。どう足掻いても覆せない時計仕掛けの命……その命のためにカー君が動いているのは……良くないことなんじゃないかと思って……」
ヒメは立ち止まった。
「……死に行く人に付き合うのは時間の無駄だよって?」
「うん」
「んーん、俺はこの時間を無駄だと思ったことはないし、楽しいと思ってる」
「ほんと……?」
「ほんと。何だったら俺も水晶症候群にしてほしいよ」
「それはどういう……?」
「羨ましいんだよね。正直に言うと、ヒメに寄せ書きを届けに行った理由って……水晶症候群の人に関われば自分も発症するんじゃないか、なんて最低な理由だったんだよ」
「…………」
「もちろん、姫子って名前を見た時にヒメのことじゃないか……とは思ったよ。でもまさか、本当にヒメだとは思ってもいなかった」
「カー君は……」
「うん?」
「カー君は……どうして水晶症候群が羨ましいの?」
「う〜ん……生きていてもしょうがないから、かな?」
標準的な人生とは=高校卒業→大学卒業→就職→結婚→子育て→定年→臨終? これが正解なのかもしれないが、残念ですが俺にはどれも魅力的に見えない。
「つまらない人生は自分がそうしている……そう誰かが言ってたけど、そもそも俺は人生を楽しもうとも思わないし、それを損してるとか残念とかも思わないよ」
ついでに猪瀬家のことも話した。ある意味で、俺の人生観と死生観を決めた記念すべき家だ。
「そうなんだ……認知症は嫌だね」
「仲が悪いわけじゃなかったし、じいちゃんもばあちゃんも良くしてくれてたのに……認知症とか年齢になると……もうあの頃の姿は見えないよ。毎日嫌味だ我侭だトラブルだ何だを起こされたら憎むようにもなるさ」
それが現実だ。認知症の家族に憎しみを抱かない人は相当な菩薩か、認知症を相手にしたことがないおめでたい人なんだろう。
「あそこまで長生きなんてしたくないし、かといって……ただ生きてるだけなら死んでるも一緒だから終わらせたいけど……自殺は痛いし、長生きさせて骨までしゃぶりたい国もしゃぶられたい世間も安楽死を認めないから……水晶症候群なら安らかに死ねる……それは最高のご褒美だ。以上、高校生男子の死にたい理由です。公にしたら自分勝手だ何だって言われるだろうけど、生きたい人は生きればいいし、死にたい人は死ねばいいんだからさ。それでみんな幸せになろうよ」
「カー君も一緒にガラスの駅に行く?」
「それは良いアイデアだと思う。今なら……背中を押せそうだ」
「じゃあ……私を死なせてくれるんだ」
「うん。今度はちゃんと答えられたよ。ガラスの駅があるなら……俺も一緒に行きたい」
安らかに死ねるかどうかわからないけど、茜は認めてないけど、そのことは告げなかった。すると、ヒメは少しだけ目を見開いたが、何も言わずにまた歩き出した。
互いに静謐のまま、むしろこの静謐を楽しむかのように足下の水面を乱しながら進み、
「ふふ、またプロポーズしてくれたね。あの頃みたいに、私のことを救ってくれるんだ」
クスクスとヒメは笑った。その笑みだけなら水晶症候群の患者にも、死にたいと願っている人にも見えない。
「ねぇ、メールで葛城先生に会わせてほしいって言ったよね? 急にどうしたの? 今日のデートはそれを教えてもらうことも含まれてるんだけど」
「じゃあ……歩きながらにする?」
「ん〜ん、もうすぐ最初の
「これ……甘味処で話す内容?」
俺が店員だったら、なかなかにハードな客だ。男女が死について笑顔で話し合っているのだから。
そんな想像の果てに辿り着いたのは『甘味の靴』と書かれた赤い暖簾と茶屋みたいな美しい外見を持つ甘味処だ。如何にも老舗な雰囲気を醸し出していて、雨の中でも充分絵になる。
「ここのかき氷が美味しいんだ。マスコミの取材には一切応じないから、隠れスポットなんだよ。写真も撮れないしね」
「それはいいね。ブログだ何だにアップされたら……この静けさが壊される」
サプライズは苦手だけど、動物以下の騒ぎ立てる莫迦はもっと嫌いだ。
「共感出来て嬉しいよ」
そう言ったヒメは、粋な引き戸を開けて中に入った。蛇の目傘を畳んだ俺もその背中に続く。どうやら常連だったようで、店主の聡明そうなおばあさんとニコニコ顔で話している。
「お姫ちゃん、また来てくれて嬉しいよぉ。ゆっくりしていってね」
「うん、ありがとう。今日は友達を連れて来たよ」
その友達である俺におばあさんの視線が刺さる。彼女にとって孫のような存在なんだろうから、俺もきちんとした態度でおばあさんに会釈した。
「あらあらまぁまぁ、お姫ちゃんの好い人なのね。さっ、こちらにどうぞ」
案内されたのは奥にある
「私のオススメで良いかな?」
それに頷くと、ヒメは何も言わずにおばあちゃんへ頷いた。
「それじゃあ……さっきの続きを聞かせてね」
持って来てくれた緑茶を受け取った俺は、そのお願いに応えて今日までの流れをヒメに説明した。
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